鈴木貫太郎(1867-1949)は、千葉県関宿(現在の野田市)の人。海軍大将、連合艦隊司令長官、軍令部長などを歴任。侍従長の時、2.26事件に遭い、襲撃され重傷を負うも命をとりとめました。誰とも話し合いをする穏やかな公平な人で、日頃から、「軍人が政治に口を出してはいけない」と言っていましたが、人望があり、終戦時には内閣総理大臣を務めました。
遺訓に「正直に腹を立てずに撓まず励め」があります。この遺訓は、鈴木貫太郎が卒業した前橋市の桃井小学校の校歌になって今も唱われています。「正直に腹を立てずにたゆまず励め」。遺訓には「撓む」という字を当てていますが、「たゆまず」と言い伝えられています。
因みに、実力名人制度を創始した将棋の関根金次郎 十三世名人は、鈴木貫太郎と同じ関宿の出身です。
遺訓に「正直に腹を立てずに撓まず励め」があります。この遺訓は、鈴木貫太郎が卒業した前橋市の桃井小学校の校歌になって今も唱われています。「正直に腹を立てずにたゆまず励め」。遺訓には「撓む」という字を当てていますが、「たゆまず」と言い伝えられています。
因みに、実力名人制度を創始した将棋の関根金次郎 十三世名人は、鈴木貫太郎と同じ関宿の出身です。