yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

木鶏

2021-02-13 07:17:50 | 文学
昭和14年の正月。安岡正篤老師は、欧州に向かう照国丸にのって、インド洋あたりを航海しておられた。ある日、船の電信係がやってきて、「先生、双葉山かららしいのですが、電文の意味がどうもよくわかりません」と言って、一通の電報を見せた。その電文の終わりには、「イマダモッケイニオヨバズ」とある。「そうか!」老師は思わず感嘆された。船員は、「これでいいんですか。一体何のことですか」としきりにたずねるので、老師は、これは連戦連勝の双葉山が、はじめて安芸ノ海に負けた知らせで、「モッケイ」は「木鶏」、荘子や列子にある闘鶏の話であることを説明されたのである。
 「木鶏」は荘子(外篇達生)や列子(黄帝篇)に出てくる闘鶏の話です。昔、紀悄(きせい)子という闘鶏を飼う名人が、王様のために一羽の鶏を育てていた。十日ばかりして、「もうぼつぼついいかな?」と王がきくと、「まだいけません。ちょうど空元気のさいちゅうです」との答。また十日ばかりして王は催促する。「まだいけません。相手を見ると興奮します」という答。さらに十日ほどたって、待ちかねた王が催促すると、「まだいけません。相手に対して何が此奴が、というふうに、カサにかかるところがあります」という答。また十日ばかりして、しびれをきらしている王に紀悄子はやっといった。「もうぼつぼつよろしゅうございましょう。相手が挑戦してもいっこう平気でございます。ちょっと見ると木彫の鶏のようで、その徳が完全なのでございます。どんな鶏だってもう応戦するものなんかございますまい。みな退却しましょう。」

「木鶏」とは木彫りの鶏のごとく、全く動じない強さを秘めた、最強の鶏のことを言います。
      双葉山は昭和13年、27歳で横綱になり、69連勝と勝ちを続けていましたが、昭和14年春場所4日目で安芸ノ海に敗れ、「イマダモッケイニオヨバズ」の電報を打ったのでした。双葉山は右目が見えず、その少年が命がけの稽古をして最高位に登りつめました。力水は一度しかつけない。待ったはしない。相手の声を受けて立つ。これは他の強制でもル-ルでもなく、自分でつくった自分の律でした。酒井忠正(元横綱審査会長)は、「おそらく彼の土俵上の自律は、その日常座臥、求道行路の一方便に過ぎなかったのであろう。双葉山黄金時代、その絶頂の時に、人気というものの空虚さを悟ることのできるような彼になっていた」とのべています。

        小島直記 「逆境を愛する男たち」新潮社
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