yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

子沢山

2021-02-16 06:18:49 | 文化
子沢山になるのには、財力と精力が必要であり、男子として立派なこととも言えます。子沢山には、多少の羨望と人としての親しみを覚えます。古今の子沢山で、まず思い浮かぶのは、徳川11代将軍、徳川家斉(いえなり1773~1841)はチャンピオンかも知れません。大奥に入り浸って16人の側室を持ち、53人の子供をつくりました。これらの子供を全国の大名に配り、ファミリ-で統治を強固にしました。これは初代将軍、徳川家康(1543~1616)も似ており、家康も16人の側室の間に18人の子供を作りました。全国の要所に子供を配り、尾張、紀州、水戸、越前、その他をおさえました。ファミリ-で統治したのです。
また、明治時代の財政家、松方正義(1835~1920)も子福者でした。ある時、明治天皇に「子供は何人か?」と問われ、咄嗟には答えることができず、「調査の上、後日奏上します。」と申し上げました。子供は15男11女、合計26人でした。
渋沢栄一(1543~1616)も艶福家でした。最初の妻、千代を43歳の時に亡くすと、後妻の兼子と結婚し4男3女をもうけました。お妾さんも数多く持ち、その子供は30人以上いたとか。普段やかましく道徳を口にするわりには女性関係にだらしがないのは、渋沢家の女性達にとっては格好の攻撃材料となっていたようで、孫の華子も、「わたしの若いころは祖父をなんとヒヒじじいと軽蔑していた」と述べていますし、妻の兼子も「父さまは儒教といううまいものをお選びだよ。ヤソ教なら大変だよ」と皮肉交じりに語っていたといいます。栄一自身も晩年には、「婦人関係以外は、一生を顧みて俯仰天地に恥じない」とみずから語っていたといいます。その栄一が最後の子供を儲けたのは齢八十をゆうに超えていました。

  渋沢栄一「現代語訳 論語と算盤」ちくま新書






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