芭蕉と蕪村の俳句を正岡子規が評論しました。
さみだれをあつめて早し最上川 芭蕉
正岡子規は、この句を古今有数の傑作と思っていましたが、よくよく考えてみると、「集めて」という言葉は巧みすぎて面白くない。巧みすぎることを臭みと感ずるまでに、子規の句境は熟しはじめていましたが、おなじ五月雨を詠んだ蕪村の句を思いました。
五月雨や大河を前に家二軒 蕪村
この句のほうがはるかに絵画的実感があるうえに、刻々増水してゆく大河という自然の威力
を、ことさらに威力めかしくうたうことをせず、ほんのひと筆のあわい墨絵の情景にしてしまい、しかもその二軒の心もとなさをそこはかとなく出しています。この二句を並べればはるかに蕪村がまさる、このように子規は考えました。子規は俳句と短歌において写生を重視し、説明することなく情景が思い浮かぶような詠み方を良しとしました。
司馬遼太郎 「坂の上の雲 二」文春文庫
さみだれをあつめて早し最上川 芭蕉
正岡子規は、この句を古今有数の傑作と思っていましたが、よくよく考えてみると、「集めて」という言葉は巧みすぎて面白くない。巧みすぎることを臭みと感ずるまでに、子規の句境は熟しはじめていましたが、おなじ五月雨を詠んだ蕪村の句を思いました。
五月雨や大河を前に家二軒 蕪村
この句のほうがはるかに絵画的実感があるうえに、刻々増水してゆく大河という自然の威力
を、ことさらに威力めかしくうたうことをせず、ほんのひと筆のあわい墨絵の情景にしてしまい、しかもその二軒の心もとなさをそこはかとなく出しています。この二句を並べればはるかに蕪村がまさる、このように子規は考えました。子規は俳句と短歌において写生を重視し、説明することなく情景が思い浮かぶような詠み方を良しとしました。
司馬遼太郎 「坂の上の雲 二」文春文庫