最近読んだ本の中に次のような文がありました。
在日外国人に「日本のいいところを言って下さい」というインタビューをする企画がありました。そのときに大多数を占めた「日本人のいいところ」は、「時間通りに来る」「言った通りにやる」でした。これを日本人の美点として評価してもらえるのは結構な話でしょう。しかし、裏を返せば「時間通りに来ない」「言った通りにやらない」ほうが世界基準だということです。だから外国人は日本に来て驚く。
「時間通りに来ない」「言った通りにやらない」ほうが世界基準、といわれても、純粋日本人
の私は首をかしげます。貴重な時間と、言葉の価値を信じている者は、世界基準のほうがおかしいと思います。昔、読んだ本、「雨月物語」や「中国の小説、聊斎志異」の中に、帰る約束を守るために男が霊になって戻ってきて約束を果した、という悲しい話がありました。
「武士に二言なし」、とか「綸言汗の如し」、皇帝が一旦発した言葉(綸言)は取り消したり訂正したりすることができない(漢書劉向伝)。とも言います。
私は、「時間通りにやる、言った通りにする社会がいい」と思います。世界基準とは異なるそうですが、日本人のやり方のほうが普遍的な価値が高く、現代社会が円滑に動くのにより合理的な基準ではないでしょうか。
養老孟司「「自分」の壁」 新潮社
在日外国人に「日本のいいところを言って下さい」というインタビューをする企画がありました。そのときに大多数を占めた「日本人のいいところ」は、「時間通りに来る」「言った通りにやる」でした。これを日本人の美点として評価してもらえるのは結構な話でしょう。しかし、裏を返せば「時間通りに来ない」「言った通りにやらない」ほうが世界基準だということです。だから外国人は日本に来て驚く。
「時間通りに来ない」「言った通りにやらない」ほうが世界基準、といわれても、純粋日本人
の私は首をかしげます。貴重な時間と、言葉の価値を信じている者は、世界基準のほうがおかしいと思います。昔、読んだ本、「雨月物語」や「中国の小説、聊斎志異」の中に、帰る約束を守るために男が霊になって戻ってきて約束を果した、という悲しい話がありました。
「武士に二言なし」、とか「綸言汗の如し」、皇帝が一旦発した言葉(綸言)は取り消したり訂正したりすることができない(漢書劉向伝)。とも言います。
私は、「時間通りにやる、言った通りにする社会がいい」と思います。世界基準とは異なるそうですが、日本人のやり方のほうが普遍的な価値が高く、現代社会が円滑に動くのにより合理的な基準ではないでしょうか。
養老孟司「「自分」の壁」 新潮社