yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

世間

2015-05-04 04:56:12 | 文化
「広辞苑」によれば、世間とは「有情の生活をする境界」「衆生世間」とあり、仏教から来た言葉のようです。平たくいうと、社会、世の中、でしょう。
世間話、世間離れ、世間知らず、世間に出る、世間が広い、世間体が悪い、わたる世間に鬼は無い、世間の口に戸は立てられぬ、とかく世間はままならぬ、渡る世間は鬼ばかり、など「世間」という言葉は様々に使われています。日本独特の言葉なのかも知れません。学者の養老孟司氏は「世間」について次のように書いています。
「世間にすんなり馴染めないからこそ、私は世間を関心の対象としてきました。そして、わからないからこそ、何とかそのルールを明文化したいと考えた。面白いのは、そうして考えたことを日本に住むアジアの人たちに説明すると、理解してもらえたことです。彼らも日本ではアウトサイダーであり、世間のメンバーにはなれません。だからこそ理解しやすいのでしょう。彼らには、こんな説明をしてきました。『日本には世間というものがあります。世間のメンバーではない人はメンバーとは別の扱いを受けます。しかし、これは差別意識の産物ではありません。あくまでも会員クラブのメンバーかどうか、ということです。』こういう感覚は日本人にはかなり共有されているのですが、アジアのほかの国はあまりそういうふうに社会を見ていません。だから日本社会に戸惑うのです。日本人自身も、意識的に会員制クラブを運営しているわけではありません。あくまでも無意識です。だから、アウトサイダーである私は手さぐりでルールを見つけて、それを書くわけです。世間に折り合いがついていないから、よくわからないと言うと、『だからお前は虫でも取っていろ。あとは任せておけ』という状態ならばいいのです。それが「自由」というものでしょう。ところが、現実にはその「自由」はすぐになくなります。戦前がその典型です。徴兵制がしかれて、嫌でも軍隊に引っ張られていった。それは現代でも同じようなものです。政治問題、社会問題に対して「お前は親○○か反○○か」と明確な立場を決めろと言ってくる。「とりあえず虫を見ていていいよ」とは言ってくれません。これが、うっとうしい状況を作ります。

世間と国家が同一になると、戦前の例のような危ない事態が生まれる恐れがあります。
憲法には、国民の自由権、人権を規定しています。(11条、12条、13条、18条、97条)
この点からも「日本国憲法」は護るべき憲法ではないでしょうか。第18条は、明快に「自由の拘束」を否定しています。

第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。


養老孟司「「自分の壁」 新潮社

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする