昭和20年代、太平洋戦争に負けた日本に元気がなかった時代、当時「フジヤマの飛魚」と言われた二人の世界的水泳選手がいました。古橋廣之進と橋爪四郎でした。終戦後間もない1948年(昭和24年)にロンドン五輪が開催されましたが、敗戦国日本には五輪への出場が認められませんでした。世界で1,2位の記録を持つ二人の「フジヤマの飛魚」も五輪への出場は適いませんでした。そこで日本水泳連盟は二人のためにロンドン五輪の水泳競技と同じ日程で、日本選手権大会を開いてくれました。この大会において二人は1500mを自由形で泳ぎ、1位と2位に輝きました。その記録は二人とも当時の世界記録より約40秒も速い驚異的なものでした。
古橋廣之進の記録 18分37秒0
橋爪四郎の記録 18分37秒8
ロンドン五輪一位の記録 19分18秒5 (アメリカのジェームズ・マクレーン)
もし、「フジヤマの飛魚」の二人の五輪出場が適っていたなら、世界新記録で、表彰台に二本の日の丸が揚がっていたことでしょう。
「フジヤマの飛魚」は、記録において世界のトップの位置を不動のものにしたのです。そして、当時の日本人に元気と希望を与えたのでは
ないでしょうか。
古橋選手は数々の記録を残して2009年に81歳で永眠しましたが、橋爪四郎氏は今もご壮健で、日本の水泳界を見守っておられます。
古橋廣之進の記録 18分37秒0
橋爪四郎の記録 18分37秒8
ロンドン五輪一位の記録 19分18秒5 (アメリカのジェームズ・マクレーン)
もし、「フジヤマの飛魚」の二人の五輪出場が適っていたなら、世界新記録で、表彰台に二本の日の丸が揚がっていたことでしょう。
「フジヤマの飛魚」は、記録において世界のトップの位置を不動のものにしたのです。そして、当時の日本人に元気と希望を与えたのでは
ないでしょうか。
古橋選手は数々の記録を残して2009年に81歳で永眠しましたが、橋爪四郎氏は今もご壮健で、日本の水泳界を見守っておられます。