常識」を「広辞苑」で引きますと「普通・一般の人が持ち、また持っているべき知識。専門的知識でない一般的知識とともに理解力、判断力、思慮、分別を含むCommon sense」と、あります。<o:p></o:p>
「常識」というと誰もが持たなければならないもの、普遍的で正しいものと思われがちです。しかし、常識は限られた範囲にしか通用しません。日本の中、関東地方の中、自分が住んでいる町や社会の中だけとか狭い範囲にしか通用しません。<o:p></o:p>
関東での常識は、関西での非常識。日本の常識は中国の非常識などとなるのはよくあることです。<o:p></o:p>
自分の常識を善として、他人の行為を評価するのは大変危険なことです。<o:p></o:p>
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常識と似た言葉に「良識」というのがあります。「広辞苑」では「社会人としての健全な判断力、bon sens(仏)」とあります。<o:p></o:p>
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犬養道子さんは、世界の人と交際するのに、人間としての常識が何より大切、良識は危険であると書いていました。良識には善悪判断がともなっていて、善悪の判断の基準は人それぞれの国籍、人種、宗教、信条、その人が生きてきた歴史により異なりますから、良識を善として行動するのは大変、危険であると述べているのです。例えば、キリスト教徒の良識はイスラム教徒にとっては良識でなくなるなことがしばしばあります。歴史上キリスト教徒の良識に基づく戦争で多くのイスラム教徒が殺害されるということがありました。昔の十字軍の遠征を始め、宗教戦争は苛烈で救いがありません。<o:p></o:p>
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常識にせよ、良識にせよ、自分の狭い判断にだけ依ることなく、また、盲目的に一党一派に組みすることなく、広い知識と視野をもって物事に対処することが大切だと思われます。<o:p></o:p>
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