山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘13年 秋の関西方面への旅レポート <第7回>

2013-11-02 06:55:56 | くるま旅くらしの話

【今日(11/2)の予定】 

  道の駅:明恵ふるさと館 →(R480・R24)→ 湯浅町・重伝建エリア探訪 →(R24)→ 未定(南紀のどこかの道の駅に泊る予定)

【昨日(11月1日)のレポート】      

<行程>

道の駅:宇陀路大宇陀 →(R370他)→ 道の駅:吉野路大淀センター →(R370・R24)→ 道の駅:紀ノ川万葉の里 →(R24・R42・R424・R480)→ 明恵ふるさと館(泊)

<レポート>

大宇陀の道の駅の夜は、すぐ近くにあまり可愛がられていないのか、或いは飼い主のしつけが悪いのか、夜中に時々目を覚まして甘ったれ声で鳴き騒ぐ犬がいて、妙に眠りにくかった。トラックの騒音にも迷惑するけど、断続的に夜通し鳴き続ける犬も、真に腹の立つ存在である。それでもしっかり8時間以上は睡眠をとっているので、あまり文句を言うべきではないのかもしれない。

今日のメイン目的は五條市にある新町という所の重伝建の町並みを探訪することである。しかし、その前に、ここ大宇陀の地も重伝建に指定されている昔が残った商家町があり、改めてもう一度じっくり歩いてみることにした。大宇陀の道の駅の地元農産物の売店は、早朝から近所の農家の人たちが軽トラで荷を運んで来て、活気がある。8時前にはそれらが揃って、新鮮な野菜類が山と積まれて販売が開始される。つい嬉しくなって獲物を探しに出かけてしまう。今朝は、黒豆の枝豆と里芋と蕪を買った。蕪はさっそく漬物にした。旅の間の漬物は、ビニールのパックに入れて塩もみするだけなのだけど、これが結構美味いのである。

      

道の駅:宇陀路大宇陀の地元農産品売り場。朝の8時には山と積まれた新鮮な野菜の販売が開始される。農家の人たちの思いのこもった生産物には力があるように感じられた。

9時過ぎ重伝建エリアに歩くに出かける。もう何度も訪ねている場所なので、おおよその地理の勝手は知っている。大宇陀のこのエリアは、その昔大和時代の頃は朝廷の狩場だったとか。柿本人麻呂の「東の野にかぎろいの立つ見えて 返り見すれば 月傾(かた)ぶきぬ」の歌も、その時代の頃に詠まれたのであろうか。「かぎろい」はこの地では、名物となっているようである。かぎろいとは、陽炎(かげろう)のことであるけど、この歌に詠まれたかぎろいは、日中にぼわ~っと霞むあの陽炎ではなく、早朝の夜明け前の日の出直前の頃の、赤く染まった空のことを言うのである。それは秋の深まった頃が一番だとか、とも聞いている。この地ではかぎろいを見る会なども催されているとか。そのような大昔の時代を経て、江戸時代の途中からこの地は天領となったとかで、地域の経済を支える中心地の一つとなったようで、明治時代を過ぎての戦前まで、大いに栄えた場所なのである。江戸の昔からの建築物等も幾つか残っている町並みは、日本の昔の香りをたっぷり含んでいるような気がして、ここに来るとホッとするのである。このところしばらくご無沙汰していて、3年くらい経ってしまっていた。町の通りを歩くと、少しずつではあるけど、改修や補修された家が目立ち、現役の住まいとしては難しい選択を強いられているのだろうなと思った。

      

大宇陀の古い町並み。重伝建エリアは、どこへいってもひっそりとしている感は免れないけど、ここはかなり現役の家が多くて、車の通るのも多く、元気さが窺える

いつも寄る奈良漬と地酒を売る店に今回も入ることにした。相棒はここで作っている奈良漬のファンで、自分は地酒の、その名も「かぎろい」のファンなのである。店番をされているおばあちゃんは、橿原神宮近くの今井町(確かこちらも重伝建指定地ではなかったか)からお嫁に来たと以前話されていた。店は開いているらしいのに、自動ドアが開かず、いくら声をかけても届かないようなので、相棒は隣の家に声をかけて電話番号を教えてもらい、電話をしてようやく開けて貰うことができた。おばあちゃんの話では、電気のスイッチを入れ忘れていたとのこと。その後、わざわざお湯を沸かしてお茶をご馳走になり、昔話などを聞きながら、奈良漬とかぎろいを手に入れたのだった。帰る途中、このエリアの名所の一つである森野旧薬園という薬草を栽培していた家で、現在も葛を製造販売しているので、そこに寄って、葛を買う。これは相棒の世界である。車に戻ったのは、10時ごろだった。

      

古い通りに面した奈良漬のお店。代々酒や味噌づくりにも関わってきている歴史のある店のようである。

      

銘酒かぎろいのデモ陳列。これは吟醸酒だけど、自分的には吟醸酒はあまり好みではなく、なんといっても純米酒が第一である。買い求めたのはもちろん純米酒の方だった。

今日もいい天気になって来ており、暑いくらいの陽気になっている。さあ、これからは五條市を目指すことになるのだが、その前に2か所寄る所がある。相棒の要請で、先ずは柿の葉寿司の老舗の平宗という店、そしてもう一つは道の駅:吉野路大淀センターである。R370を快調に走って、間もなく吉野川に沿った道に入る。平宗の店は、吉野川の橋を渡った向こう側にあり、この橋が狭い幅なので、今迄一度も寄ったことが無かったのだが、今回は思い切って行って見ることにした。恐る恐る渡って、店の前に行って見ると、聞いていた駐車場はSUN号が入るのは不可能で、車を止める場所が無い。とにかく何とかすることにして、相棒だけが降りて店に駆け込んだのだった。その後、車を止めるのに困惑するほどどこも狭い道ばかりで往生した。かろうじてUターンできる場所を探し、その後は少し余裕のある交差点の脇で待つことにした。なかなか戻って来ないので、イライラは募るばかりだった。幸い車は少ないので事なきを得たのだが、相棒の話では注文した後、作ってもらっていたとのこと。駐車場所のことを考えると、もうここには二度と来たくないなと思った。

橋を渡って元の道に戻り、しばらく走って山越えをして大淀の道の駅に到着。ここも良く宿泊に利用する場所で、新鮮な野菜の販売では、大宇陀に引けを取らない。今日もたくさんの野菜類が並べられていて、買いにくるお客さんも多かった。相棒は以前ここで買ったお椀の修復について、訊きに行ったようである。修復が可能なので持参されたしと聞いていたので、今回それを持ってきたらしい。しばらく待って担当の専門家がやって来ての話では、修復は可能だけど、送料がかかるとのことだったので、止めにしたとのこと。無駄な時間だった。この間に美味そうなヒラ茸があったので、一袋をゲットした。

さて、その後は五條に向かったのだが、目指す重伝建の新町エリアは、入口が良く判らず、ウロウロする羽目となった。どこにも何の案内板もないのである。R24の脇に入った道は狭くてごちゃごちゃと入り組んでおり、とても中に入ってゆく勇気はない。地図のイメージと現地とのギャップは大きく、駐車する場所を探している内に迷って、高速道の入口の方に行ってしまった。引き返すのは不可能だったので、止むなくそのまま行くことになってしまった。幸い(?)無料だったので安堵したのだが、次のICで直ぐに出て、R24に戻った。しかし、もう一度五條の方に引き返す気にはなれず、重伝建の探訪は諦めることにした。五條市は文化財等も多いのか、重伝建エリアなどにはあまり気も予算も使っていないらしい、そんな疑いが果てしもなく広がった。明治維新発祥の地などと書かれた表示板などを見かけたが、何のことか判らない。虫眼鏡で拡大した些細な事実を表に掲出したのであろう。あんなものよりも重伝建の昔の方がずっと力があるのに残念である。

その後は、今夜の宿を予定している道の駅:明恵ふるさと館に行くだけである。R24は大分前に、相棒の母を連れて西国三十三観音めぐりをしたときに、粉河寺などを訪ねた際に通っただけで、この辺りは九度山や高野山に行くときにかつらぎ町の道の駅に行って泊っただけである。有田辺りは殆ど記憶にない。道の駅:明恵ふるさと館も初めて訪ねる場所である。どのような所なのか、ちょっぴり期待がある。五條を蹴飛ばすような気持ちで和歌山方向へしばらく走り、かつらぎ町の道の駅:紀ノ川万葉の里に着く。ここで大休止して、昼食とする。先ほどの平宗の柿の葉寿司を食した。確かに美味かった。

食事の後、ここかつらぎ町は全国有数の柿の産地でもあるので、昨日メールを頂戴したK君に少し送ってあげようと思い売店に足を向ける。甘柿では富有柿が本命だと思うけど、まだ最盛期には少し早いようだ。それでも早生種なのか、旨そうに輝いているのがあったので、それを送ることにした。ついでに旅の間に食べる分を相棒がゲットしていた。K君にはせめて好きな柿を食べて元気を回復して欲しいと、心から願っている。

14時半くらいまで休憩して、この間に晩酌用にと大宇陀の道の駅で手に入れた黒豆の枝豆を茹でたりした。ここから先は、ナビのガイドに従って、有田川町の道の駅:明恵ふるさと館を目指してひた走る。R480に入って、有田川の河畔を走る道は、最初は道幅も広く快適だったが、しばらく走ると、突然せまくなりだし、辛うじて離合が可能なほどの道となった。道路ナンバーが400を超える道は怪しげな要素があるというのをうっかり忘れていた。ひやひやしながらしばらく走って、ようやく道の駅にたどり着く。かなり時間がかかって、到着したのは16時半近くだった。思っていたよりも小さな道の駅で、駐車場も平らな場所が殆どなく、泊る場所としてはあまり快適とはいえないなと思った。ただ、トラックなどが入って来る可能性はないと思えるので、その点は大丈夫だろうと考え、とにかくここにお世話になることにした。

有田川町というのは初めて聞く町名である。有田市の方はミカンで有名である。今回はミカンをゲットしたいとの願望もあり、有田の名に惹かれてやって来たのだが、この有田川町も同じミカンの産地であるのが判った。来る途中の有田川周辺の景色は、殆どがミカン畑で占められており、連なる小高い山の中腹の上の方までミカン畑で埋め尽くされていた。この道の駅の周囲も大半がミカン畑で、有田ミカンは名には聞いていたけど、これはもう日本一のミカン産地だなと驚きを以て実感した。ミカンは最盛期にはまだ少し早いようだけど、早生種でも味のいいのがあるようなので、明日が楽しみである。いつものようにささやかで豪華な夕食を済ます。ここはTVもOKだけど、ニュースを少し見ただけで、もう眠くなりだした。相棒も同じリズムになり出したらしい。20時前には二人とも完全なる眠り人となった。

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‘13年 秋の関西方面への旅レポート <第6回>

2013-11-01 05:09:33 | くるま旅くらしの話

【今日(11/1)の予定】 

  道の駅:宇陀路大宇陀 →(R370・R24)→ 五條市・重伝建エリア散策 →(R24・R42・R480)→ 道の駅:明恵め畏敬ふるさと館(泊)

【昨日(10月31日)のレポート】     

<行程>

道の駅:伊勢本街道御杖 →(R369・R165・R169)→ 大神神社駐車場 → 山の辺の道散策 → JR柳本駅 → JR三輪駅 → 大神神社駐車場 →(R169・R165・R166・R370)→ あきのの湯(宇陀市)→ 道の駅:宇陀路大宇陀(泊)

<レポート>

御杖(みつえ)の道の駅の夜は騒音ゼロの快適な静夜だった。温泉に浸かって、極上の鯖のなれ寿司を味わって後の爆睡は、日本シリーズの結果など問題にもせず、ラジオのスイッチを切るのと眠りに就くのとが競り合って、タッチの差で切る方が勝利したという具合だった。その後の眠りも快調で、19時過ぎに寝床に入ったのに、目覚めたのは4時少し前だった。8時間を超えての眠りは久しぶりのことだった。ブログを書き終えてカーテンを開けると、朝の光が飛び込んできた。今日も晴れの天気らしい。御杖村はかなりの山の中にあるので、もう紅葉も始まっており、明け方の冷え込みは結構なレベルとなっていた。14℃くらいにはなっていたのではないか。ここはTVが全く映らず、ナビのワンセグも全く機能しなかった。朝ドラを見るのは諦めて、少し早目に出発することにした。道の駅の構内にはたくさんの案山子の作品が展示されていて、無人に近い構内を賑やかに盛り上げていた。昨夜の暗がりの中では、些か不気味さを感じたりしたのだけど、明るい朝の光の中では、そのような雰囲気はすっかり消し飛んでいた。相棒が是非見ておけと騒ぐので、行って見ると優秀作品に選ばれた案山子があり、それがゴムのパチンコ銃で悪さをする烏を懲らしめようとしているスタイルのお百姓の姿を作っており、その様が自分にそっくりだと哄笑しているのだった。確かに、自分も烏を懲らしめようとゴムのパチンコ銃を作って持っているのだけど、まだ使ったことはない。この案山子さんは、球を入れるのを忘れたと説明に書いてあり、なかなかユーモアのある奴だなと思った。それにしても、この制作者の意図は、まったく自分に似ているなあと、拍手をしたい気分になった。

      

自分の格好にそっくりだと相棒が哄笑する案山子君。このようなダイナミックなスタイルの案山子を見るのは珍しい。制作者に拍手。

今日の予定は、山の辺の道を歩くことである。当初は奈良市の方へ行き、平城宮や興福寺などを訪ねようかなどと考えていたけど、ごちゃごちゃ細かい時間の使い方になるので、それらの訪問は又次の機会にして、山の辺の道をミカンを頬張りながら歩く方を優先させることにした。歩き終わったら、あとは大宇陀の道の駅に行って寝るだけである。今日も無理をせず、年寄りの半日仕事を守ることを優先させることにした。

8時40分出発。途中隣村の曽爾にある屏風岩というのを見ようと寄り道をしたのだけど、行って見ると道が狭くてSUN号では無理だと判断し、行くのを諦めて引き返す。朝の山道は気持ちがいい。離合する車も殆どなく、快適なドライブをしばらく楽しんだ。榛原を経由して桜井市に入り、間もなく大神(おおみわ)神社の駐車場に到着する。途中、新しいバイパスが出来ており、長谷寺の方から来るときは、大神神社へはあっという間の時間となっていた。いつもの駐車場に車を置き、出発の準備をする。いつもは大神神社から石上神宮までの歩きなのだけど、歳もとって来ているので、無理をしないことにして、今日は大神神社から長岳寺辺りまで歩くことにし、そこからは歩いて引き返すのではなく、バスかJRなどの交通機関を利用して戻ることにした。地図を見る限りでは、国道まで近い距離にあり、それが一番無難だと思った次第。

10時を少し過ぎた頃出発する。先ずは、大神神社に参拝する。今日は特段のイベントもないようで、参拝者は少なかったが、時期とあってか、七五三の参拝者が何組か散見された。親子だけの組もあれば、祖父母も一緒の組もあって、微笑ましい風景だった。自分たちもあと何年かたったら、何処かの神社に孫と一緒に参拝が叶うのかもしれない。だけど、それまで耄碌しないで生きておられるのか、先ずはそのことを神頼みしなければならないなと思ったりした。

      

大神神社境内の様子。平日なので、参拝者は少なかった。七五三の参拝で記念写真を撮る家族も見られた。

大神神社に参拝した後は、山の辺の道の歩きを開始する。今日は天気も良く、何組もの中高年、というよりも高老年と思われる世代の元気人たちがリュックを背負ったりして歩いていた。歩けるというのは真にありがたく、幸せなことである。この当たり前の動作をありがたく思う気持ちは年を追うごとに強くなり、このような素晴らしい道を歩くときはそれが層倍になって感じられるのだ。この頃は相棒もそのことを口に出すようになって来ている。奈良のこの辺りに来た時は、生きて元気に歩ける限りはこの道を歩きたいと思っている。

      

林間を行く山の辺の道。いつもここへ来ると自動的にというくらい必ずカメラを構えてシャッターを切ってしまう。代表的な景観の一つである。

しばらく歩くと、汗が滲んで来た。坂を登り終えると、少し展望が開けて、そこに奈良の青垣と書かれた説明板がある場所を通過する。「大和は国のまほろば たたなずく青垣 やまごもれる大和し 美わし」と古事記に書かれた景観を展望できる場所だということである。時代が1300年以上経って、さて今は青垣はどうなっているのだろうか。  

      

大和の時代には、ここから青垣の見られる眺望が広がっていたという場所。樹木の向こうに奈良平野が広がっている。今は青垣の姿もすっかり変わってしまったようだ。

少し歩くと、ミカン畑が広がるエリアに入る。道端に取り立てのミカンが置いてある無人販売所が随所に設けられており、ここでそれを買って頬張りながら歩くのを楽しみに来ている。今は早生のミカンの時期であり、一袋100円のミカンは、大きさによって個数が違うのだけど、自分が選んだ袋には、小粒のミカンが9個も入っていた。味もGOOD!である。大和は日本のミカンの発祥の地であり、この近くにそのことを書いた碑が建っていた。ミカンの他にも柿や野菜などいろいろなものが並んでいた。ついついどの販売所にも立ち寄って覗いてしまい、ミカン、万願寺トウガラシ、里芋、柿、枝豆などを買い込んでしまった。どれも皆100円なのが嬉しいのである。自分という奴は、百均向きの性格なのかもしれない。

      

ミカン山を過ぎると、傍らにコスモスの花咲く小道が続いていた。山の辺の道は、変化があって、疲れ知らずに歩けるのが嬉しい。

1時間ほど歩いて、長岳寺近くにある休憩所に到着する。ここで休憩して、引き返すことにした。持参した大福とお茶を飲んでの休憩だったが、自分は大福は半分だけに止めた。栗が入っており、これはかなりハイカロリーだなと思った。昼食は車に戻ってからにすることにした。休憩所には観光案内所もあり、そこの方に訊くと、すぐ近くにバス停があり、次の停車時刻までは約1時間の待ちがあるという。JRだと、ここから歩いて20分足らずで、こちらの発車時刻はバスよりも20分以上早いということなので、JRの駅まで歩くことにした。駅の名前も知らずに行ったのだが、そこは柳本という駅で、この辺りはその昔小田信長の弟の小田有楽斎という人の何番目かの子供が治めた土地で、明治に至るまで続いていたなどと書かれている案内板があり、その藩邸跡などが残っているようだった。不用意に来た見知らぬ土地でも、いろいろと見つけものがあるものだと思った。10分ほど待って、2輌編成の気動車がやって来て、たった二駅先までだったけど、久しぶりに乗ったローカル線にちょっぴり興奮した。この頃は偶につくばエキスプレスに乗るだけで、こんなに揺れまくるローカル線に乗ったのは久しぶりだった。長時間は疲れるけど、二駅なら揺れを存分に楽しめていいなあと思った。三輪駅で降りて、車に戻り、昼食にうどんを作って食べ、しばし休憩する。13時近くになっていた。

相棒はその後、すぐ近くにある参道脇の知り合いの店へ、いそいそと出かけて行った。古布などを扱った着衣や民芸品などを扱っているらしいお店で、ここに来るとそこの経営者の女性の方と会うのを楽しみにしているのである。これを妨げるほどの悪趣味は持ち合わせていないので、どうぞいつまでもごゆっくりと送り出す。当方は、その後ブログの記事書きなどで、いくらでも時間は必要いなので、解放された気分なのであった。それから15時半過ぎに相棒が戻るまで、あれこれと書きものなどの整理をした。あっという間の時間だった。

終わりかけた頃に携帯が鳴り、誰かなと思ってみたら、親友のKさんからのメールだった。彼は、2~3か月前、腰を痛めて動けなくなったという話を聞いており、その後どうなったか時々思い出しては気になっていたのだが、ただの腰痛だということだったので、ま、大丈夫だろうとは思っていたのだった。メールによれば、それがとんでもない故障の様で、何と背骨のどこかが壊れかけたのが原因での腰痛だったとのこと。それに眼底出血にも見舞われて、好きな酒もずっと禁酒だったとのこと。体重も5kgも減ったと書かれていた。ようやく少しは歩けるようになり、背骨の方は手術をするほどには至っていないとのことで、それでも温めたり引っ張ったりの治療の継続は大変だなと思った。

TVのコマーシャルで、男性は8の倍数、女性は7の倍数の年次に、何かしら体調の変化が起きるといっていたけど、それは当っているように思う。自分たちの場合は、72歳がその時で、Kさんは元勤務した会社の同期であり、彼は早や生まれなので、自分よりも少し遅い誕生日である。もちろん個人差はあるのだろうけど、彼の場合は自分より少し遅れて災厄がやって来たということなのかもしれない。自分も老化というのを実感させられたのが昨年だった。病には至らなかったけど、活力の減退を実感し、これじゃあまずいなと思っていたところに、三浦さんのエベレスト登頂へのチャレンジの話を聞き、刺激とヒントを頂戴して、4月から鍛錬を始めたのだった。これは着実に効果を上げて、今はもう少しは頑張れるなとの感触を得ている。この先も鍛錬は続けたいと思っている。

この次の体調トラブルの時期は80歳であり、そこまで生きていて、トラブルを乗り越えられれば、念願の88歳までくるま旅が叶うのかもしれないなどと考えている。何しろ自分の旅車には「88-55」のナンバーをつけており、88歳までくるま旅にゴーゴーというのが念願なのである。Kさんには、何としても現在の逆境を乗り越えて、二人で乾杯が出来るようになって欲しいと願っている。旅の途中でのショッキングな情報だった。

今日の宿は宇陀市の道の駅を予定している。ここは奈良を訪ねる際の定宿の感じでお世話になっている場所で、桜井市の大神神社からは10km足らずの近い距離にある。途中で給油をしながら向かう。桜井市内でL当り125円で軽油を入れることが出来て、満足する。守谷市のスタンドよりも高いけど、旅に出てからでは、一番の納得を得た給油だった。25分ほど走って、道の駅:宇陀路大宇陀に到着。ここで夕食用の柿の葉寿司を買ってから、近くにあるあきのの湯という温泉入浴施設に向かう。相棒が歩きで大汗をかいたので、どうしても入りたいとのことだった。自分の方は大して汗もかかなかったので、連日の入浴は敬遠した。行って見ると、温泉の機械が故障していて、水道水の風呂となっていた。少しがっかりしたようだが、料金が200円安くなっていたので、銭湯に入るつもりで相棒は入ったようである。戻るまでの間、自分は枝豆を茹で、里芋を塩茹でし、鯖のなれ寿司を切って、夕食の準備をする。1時間ほどで戻って来て、道の駅の方に移動して夕食乾杯。相棒もしっかりビールを手に入れて来ていた。自分は勿論日本酒と次は焼酎。辺りはすっかり暮れて、夜となっていた。

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