山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘13年 秋の関西方面への旅レポート <第9回>

2013-11-04 05:44:10 | くるま旅くらしの話

 

 【今日(11/4)の予定】 

  道の駅:飯高駅 →(R166・他)→ 終日ここに滞在予定

【昨日(11月3日)のレポート】      

<行程>

道の駅:椿はなの湯 →(R42)→ 道の駅:志原海岸 →(R42)→  道の駅:なち →(R42)→ 紀宝町うみがめ公園 →(R42)→ 道の駅:熊野きのくに → (R42・R368・R166) → 道の駅:飯高駅(泊)

<レポート>

道の駅:椿はなの湯は、新しい道の駅である。温泉観光地で有名な南紀白浜に近い場所に造られており、近くにはリゾートマンションらしき高層の建物も建っている場所に隣接して造られていた。着いて、温泉に入り、車に戻った頃は大して泊りの車も居なかったように思っていたのだが、その後夜が深まるにつれて、ここに泊る車が増え、明けて見ると50台近くの車が泊ったのを知りびっくりした。道の駅の所定の駐車場は少なくて、20台にも満たず、そのため隣の開いている砂利敷きの駐車場が多くの旅車で埋まっていた。ここは南紀の各名所にも近く、人気の場所となっているのだなと思った。

今日は文化の日。確か晴れの特異日だったはずなのだが、予報ではだいぶ前から雨が宣告されている。どうやらそれに違わないようで、起きて見ると空はすっかり雲に覆われており、朝食をとっている間に雨が降り出して来た。大した降りではなさそうだけど、どうやら今日は特異日はダメとなるのは確実のようだ。この駅には、足湯の傍に給水の設備があったので、大助かりである。少し少なくなっていた生活用水を補給する。ごみ箱はないので、持参の箱の中に収納する。TVは映らない。ネットのニュースでは楽天の田中投手がついに連勝をストップさせてしまったとあった。永遠に勝ち続けるということなどあり得ないのだから、田中君には気の毒で、我々も残念だけど、30連勝という記録はそう簡単には破れまいと思う。気持ちを清算して、再び頑張ってもらいたいなと思った。

さて、今日の予定だけど、特に何もない。移動するだけである。できれば明日の休日を利用して高速道を使って岐阜の郡上八幡まで行って、重伝建エリアの探訪をしようかなどと考えているけど、どうなるかわからない。行けるところまで行って温泉にでも入ってのんびりしたいとは思っている。候補地としては、三重県松坂市となった飯高町にある道の駅まで行きたいと思ってはいる。途中、那智の滝などを見たりしたら、届くのは無理かもしれない。ま、成り行き任せである。

8時45分道の駅を出発する。雨は小雨が時々降る程度で、大したことはなさそうである。少し走ると、道の駅:志原海岸というのがあったので、ちょっと寄って見ることにした。名の通りすぐ傍が海で、津波などが来たら一発でお陀佛という感じの場所だった。東北の大震災のあった以降は、旅に出た時の泊る場所には注意を払っている。昨日の道の駅:椿はなの湯も海の傍だったけど、こちらはかなりの高台に造られていたので、大丈夫だと思った。志原海岸の場合は、逃げ道は全くないなと思った。小用を足していると、観光バスから関西方面からと思える中高年の男女の団体がやって来て、そのおばちゃんグループの姦しいのなんのって、トイレが膨れ上がってはみ出しそうな大阪弁らしきセリフが飛び交っていた。相棒もたまらず逃げ出してきたようだった。大阪おばちゃんのエネルギーの凄まじさには、関東の田舎者などとても太刀打ちできるものではない。

その後はひたすら那智の道の駅を目指す。串本を過ぎ、那智勝浦が近づく。南紀の海岸線を走る道は、以前よりは大分整備が進んだようで、随分と走り易くなっていた。何年か前の現役だった頃、那智勝浦のホテル浦島に3週間余り泊って、トレーナー取得の訓練を受けたことがあり、その時の休日に那智勝浦から串本まで歩いたことがある。糖尿病の宣告を受けたばかりの時で、ホテルの毎回のご馳走を如何に食べないで済ますかに苦労したり、歩くための時間をどう作るかに苦労したりしたのを思い出す。串本まで歩いたのは、その糖尿病の対策のためでもあったけど、海辺の道の景観を楽しみたかったし、更にはついでにマニュアルのポイントを暗記してやれと思って、メモを手に声を出しながら歩いたのだった。早朝の6時頃宿を出て、串本の駅に着いたのは、12時近くだったかと思う。帰りは電車で戻ったのだが、めはり寿司を食べながら車窓から見る景色は何とも言えない美しさだった。その道を今日は旅車で通っているのだけど、こんな日が来るとはその頃は夢にも思わなかった。懐かしさのこみ上げるしばらくの時間だった。

ようやく道の駅:なちに到着。11時を少し過ぎていた。ここは新しい道の駅で、初めて来る場所だった。世界遺産登録を強調して建てられたのか、道の駅の駅舎もその隣にあるJRの駅舎も朱色の神がかった風のデザインで、派手さが目に付いた。もう少し時間が経つと、それらしき貫禄が出てくるのかもしれない。ぴかぴかの神社は何だか有難味が定着していない感じがするけど、この建物も今のところはそんな感じがする。この地には那智の滝を始め、それに関連する様々な観光資源ともいうべき建築物や自然があるけど、今日は滝や神社仏閣の訪問は止めることにした。ただ、道の駅のすぐ近くにある補陀洛山寺には参詣して行こうと思った。駅からはわずか100mほどの所に位置しているのである。           

      

新しい道の駅:なちの駅舎(左の方) 右奥がJR那智駅の駅舎。世界遺産登録地の玄関として新築されたようである。

一息入れてから参詣に出かける。ここには何度も来ており、懐かしいというよりも又来ましたという感じである。補陀洛山寺といえば、彼の補陀洛渡海の本拠地であることでも有名である。補陀洛渡海というのは、海の彼方にあるという補陀洛浄土という仏の世界を目指して、小さな舟に乗って大海に乗り出すという、捨て身の行(ぎょう)を行うことである。この寺での修行僧が、平安時代の昔から江戸時代までの間に20回も行ったと、説明板に書かれていた。これは行というよりも自殺行為ではなかったかと自分は思っている。行というのは生死の境目をさ迷うほど過酷な試練をわが身に課して、仏の境地を体験練磨することだと思うけど、しかし、死んでしまっては、行を行った意味がなくなってしまう。わずかな水と食料を積んだだけで、小さな舟で大海に乗り出したなら、その先どうなるかは、今の時代だっで生の安全は保証できるものではない。羅針盤も無線装置もなにも一切ない、ただの小舟なのである。生きて戻れない浄土を覗いてみたとて、世の人々にそのありがたさを伝えることなど何もできないのであるから、これはもう自殺行為であり、本人が嫌なのを無理やり舟に押し込めたとしたら、それは明らかなる殺人行為であったに違いない。宗教が死をもてあそぶようになると、それはもはや狂信の世界であり、健全な人間にとっては忌々しい害悪以外の何物でもない。ジハードなどというのも、その類の匂いがする。少し横道に逸れたようだ。

      

補陀洛渡海の本物サイズの模型船。上部の屋根は展示場の屋根である。船の上の朱色の鳥居に囲まれて杉皮葺きの屋根がある。

      

渡海船の内部の様子。このような狭い中に鎮座して、大海の彼方にあるという浄土を目指しての、捨身の行が行われたという。

久しぶりの補陀洛山寺は、いつもと同じ静かな佇まいだった。相棒はここの本尊の観音様のファンで、前に来た時はご住職にお願いして開帳して見せて頂いていたのだが、今日は先に来られた方がご覧になったようで、丁度扉が閉められるタイミングだったようである。それにあやかって、ほんの少し拝観したようだった。後での話では、住職さんから、あなたの顔は観音様に良く似ていますねと言われたと、嬉しそうだった。木像に似ていたというだけで、観音様に似ているというわけではない。そう思ったけど、口には出さず、随分と優しくない観音様もいるもんだと、憎タレ口をきいた。自分の考えでは、人は誰でも観音様なのだと思っている。慈悲の心が湧いたときは、人は誰でも観音様になれるのである。それゆえ、人は如何に多くの慈悲の心を持ち続けるかが大事な課題となるのであろう。先ほどまで労わりと同情のセリフを述べていた人が、数時間後には別の他人の悪口を憎々しげに言っているというような所業は普通の出来事である。人間というのは不思議な生き物だと思う。

      

静かな佇まいの補陀洛山寺本堂。その昔は大伽藍を備えたお寺だったというが、天災を被って以降このような姿になったとか。この寺も世界遺産の一つである。

補陀洛山寺の参詣を終えて、那智の駅に戻る。道の駅の情報センターの様な所を覗いたら、那智の世界遺産を紹介する写真などが並べられており、その奥の方では世界遺産の紹介用に制作されたビデオがあったので、それをしばらく見ることにした。火祭の行事などは実際に見たことが無いけど、それ以外のものは概ね見聞している。改めて熊野古道などを歩いてみたいなと思った。春の新緑の季節の頃にでも来訪の計画を作ることにしよう。今回は先へ行くことにした。

那智を出発して、次の道の駅:紀宝町うみがめ公園に着いたのは12時半近くだった。ここで昼食とする。今日は特製のうどん。相棒が売店を覗きに行っている間に大宇陀の道の駅で買った油揚げを煮て具を作り、15分ほどで完成。うどん屋でも始めようかなと思うほど、いい出来だった。味にうるさい相棒も文句は言わない。昼食の後は、自家用にとミカンを買う。この辺りもミカンの栽培が盛んなようで、道の駅の売店の外には、5kg入り1000円の袋詰めされたミカンが、大量に並べられていた。軽トラでミカンを運んできた農家のお母さんに、このミカンはあとどれくらい持つのか訊いてみたら、せいぜい10日ほどかなとの答えだった。その方の持って来られた一番新しいものを1袋買い入れた。

紀宝町の道の駅にある道路情報の電光板を見ていたら、尾鷲の先の方のR42の道路の法面が崩れ落ちて通行止めとなってるので、紀勢道を迂回しろと書かれていた。通ったことのない道だけど何とかなるだろうと思いながら出発した。少し行って、熊野市の郊外で給油をする。この辺りの油価は高くて、軽油はL辺り137円以上となっている。その中で134円のスタンドがあったので、立ち寄った次第。それにしても全国を回って見て見ると、油の価格の差は大きい。輸入するまでは皆同じのはずなのに、どこからこのような差が生まれ出るのか、経済活動というのは、計り知れない闇を持っているようだ。

熊野辺りからはかなりの山道となる。トンネルを幾つも潜って、尾鷲を過ぎ松阪に近づく。今日は道の駅:飯高駅場で行ってしまおうと、少しスピードを上げる。飯高の道の駅にはいい温泉が併設されているので、それに入ってゆっくりしようと思ってきたのだが、少し時間がかかり、走り過ぎの感もあって、途中で相棒が風呂には入らないと言い出した。この人は疲れると風呂には入らないタイプらしい。いや、疲れ過ぎて入らないということなのかも知れない。確かに運転もせず、トラックの助手席に座りっぱなしというのは、疲れることであろうし、疲れ過ぎることでもあろう。今日は既に200km以上を走っており、年寄りの半日仕事は守られてはいないようだ。どうも、運転作業などは仕事の内に入らないと考えてしまう傾向があり、これは何とか改める必要があるようだ。16時10分道の駅:飯高駅に到着する。

駅構内の駐車場はかなり混んでいた。我々はいつもと同じ駅の裏手側にある小さな公園脇の駐車場に車を止める。ここへ来た時は、もうこの場所と決まってしまったようだ。この道の駅は我々のお気に入りの場所で、奈良県の吉野からも近く、又伊勢神宮参拝の際にも比較的近い場所なので、便利なのだ。その上に温泉が良い。TVが映らないのが残念だけど、一夜ならばどうってことはない。温泉に入れないほど疲れた相棒は、たちまちどこかへ消え去っでしまった。その間に米を仕掛け、おかずの食材の準備をする。近くで相棒の話し声がするので外に出ると、隣の車の方と話しているのだった。その方は帯広ナンバーで、北海道には多大の関心を持っている相棒のことだから、声をかけて話し込んだのであろう。自分も挨拶をする。相棒の話では、帯広ナンバーのご夫妻は、名古屋までフェリーで来て、その後九州を回られ、今日は伊勢神宮に参拝するつもりで向かわれたのだが、大学駅伝(熱田神宮→伊勢神宮)の交通規制に巻き込まれて、目的を達し得ず、ここに来られたとのこと。明日再度参拝に向かわれるとのこと。ご苦労様です。我々の方は、今回は端から伊勢神宮参拝は考えていない。

自分も風呂に入るのが面倒になり、その後はいつものように乾杯の後夕食をすませ、日本シリーズ最終戦の放送も相棒に任せて、寝床にもぐりこむ。今夜は雨が降るとのことだけど、今のとこその気配はない。何だか疲れた。おやすみなんしょ。← これは我がふるさとの昔のあいさつことば。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする