山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

ドラッカー博士の経営哲学のこと

2011-01-12 04:01:39 | 宵宵妄話

 今日も寒い一日でした。それでも昨日とは違って、風が無かったのが救いでした。7kmほど遠回りをして歩いて、久しぶりに本屋に立ち寄り、昨日発売の雑誌(=温泉博士)を買い求めました。と、レジの直ぐ傍に「漫画と図解でわかるドラッカー」という雑誌のような本が積まれているのに気づきました。宝島社の別冊宝島というシリーズの1冊というものらしく、まあ、世の中も国際的になったものだと、ちょっぴり不思議な気分を抱きました。

というのも、ドラッカー博士といえば、アメリカ経営学の頂点に立つ方、というよりも経営哲学の最高峰の人物と信じ、尊敬している私から見れば、漫画本などでその考え方が紹介されるなどとは夢にも思っていなかったからです。しかも別冊宝島に加わっているとは!時代は、半分くらい戻りながら、且つ進んでいるという印象です。何故なら、ドラッカー博士は何年か前にお亡くなりになっており、その考えなどは、もう遠い過去となってしまっているのではないかと思っていたからです。そして私自身も化石化の道を、スピードを上げながら進んでいると感じていたからなのです。それなのにこのような本が出版されているとは!

宝島社は面白い出版社です。一昨年は「田舎暮らしの本」で取材を受け、ホンのちょっと紙面(12月号)を汚しました。推理・探偵小説の出版社かと思っていたら、田舎暮らしから本格的な経営哲学の世界まで、まあ、その取扱い範囲の広いことは大変なものです。ま、出版社の経営のことはコメントの対象外なのですが、多少の驚きを禁じ得ないというのが私の所感です。

さて、今日の話はドラッカー博士に係わる私自身の人生哲学といったようなことについてです。私は、(これは自分自身の勝手な思い込みなのですが)、くるま旅くらし人を標榜するまでは、企業内教育コンサルタントを自負しておりました。あんな奴が企業内コンサルタントを名乗るなどとは、チャンチャラ可笑しいと冷笑する向きの人も何人かいるかもしれません。それはまあ、致し方も無いことですが、元の勤務先を辞して、半自立するまでの間は、我が人生においては最も本気で勉強をした期間だと思っています。その中で最高の師匠となったのが、ドラッカー博士でした。

経営に関しては、日本では何と言っても松下孝之助さんが神様と言われる存在となっていますが、ライバル企業に籍を置いた身では、その偉大さを素直に受け止めるのには少しハンディが大きすぎる嫌いがありました。実業の競争社会の中では、創業者の松下さんのお考えとその育てられた企業の行動にはギャップがあり、さほどのビューティフルさは感じられませんでした。しかし、この方の偉大さは、経営実務ではなく、その哲学にあったと私は思っています。

同じ意味において、その経営哲学的な偉大さを明示されたのがドラッカー博士だったと思います。松下さんとドラッカー博士はその哲学において多くの共通点があると思いますし、その究極世界においては、お考えが殆ど一致しているように思います。その中でドラッカー博士が、論理的な面においてより明快な感じがするのは、実業に係わった人と学者としての熟考を重ねた人の、経営哲学の解析と説明の仕方の差によるのではないかと思っています。

さて、そのドラッカー博士のことなのですが、この方はかなりの日本贔屓の方だったように思います。それは、アメリカの企業経営者よりも日本の経営者の方が、遙かに本気で、真剣にその論理に耳を傾けたからと思うからです。世界のGMが破綻を来したのも、ドラッカー博士の声などは無視したからではないかと思えるほどです。何度か来日され、私もその講演を拝聴に参加しました。残念ながら英語が解らず、通訳を介しての受け止め方だったので、著作に書かれている以上の理解は身につかなかったのですが、それでも、この方の並々ならぬ企業経営に対する思い入れの強さを感じたのでした。

哲学というのは、ものごとの本質を探究する学問だと理解しています。ドラッカー博士は、経営という現代の企業が持たなければならない本質的な考え方を探究され、提言された方でした。経営というと、経済という物と金の動きの世界を扱うというイメージが強くなりますが、ドラッカー博士が提唱される経営というのは、物や金ではなく人の世界であり、それにはマネジメントという言葉を使った方が適切な感じがします。そうなのです、ドラッカー博士の経営哲学というのは、企業経営の中での人間の持つべき発想や行動のあり方についての提唱なのです。ですから、これは経営活動を通しての人間研究の学問なのです。ということは、現代の企業行動を見据えた人間探求の成果の提唱なのです。言い方を換えれば、現代の企業社会に身を置く全ての人たちに対する生き方の原理原則を提唱し、説明されていると理解することが出来るのです。そこに、今でも新鮮な感覚を持ってドラッカー博士の考え方が受け入れられる理由があるように思います。

ここでドラッカー博士の経営哲学のことを縷々説明するつもりはありませんが、幾つかある著名な指摘の中に、今日の企業経営の目的は「顧客の創造」である、というのがありますが、これについてホンの少し触れてみたいと思います。この短いことばには、とてつもなく深い意味があると私は理解しています。企業経営サイドとしては、新規のお客さんを創り出してゆくこと、というのが一般的な理解だと思いますが、ドラッカー博士の提唱はそんな平板な意味ではありません。新規ではなくても、既存のお客様との間においても、常に新たな関係を創り出して行くという意味が含まれていると解釈し、その考えを応用すべきなのです。

ここで、「顧客の創造」という考えを、個人の普段のくらしの中での人間関係に置き換えて考えることも出来ます。顧客というのを自分と係わり合いを持つ相手と考えれば良いわけです。私たちが生きてゆくためには、様々な人間(=相手)との関係を維持・発展させながらの活動が、否応なしに求められます。誰とも係わり合いを持たない人生などある筈がありません。常に必ず誰か相手がいるのです。例えば一生の間に、親子関係皆無などという人生は存在しないからです。この相手との関係を創造してゆくという意味は、新たな知人を増やすという意味だけではなく、既知の人との関係をより清新なものとしてゆくということも含んでいるのです。親子であっても、その関係を全く創造しようとしなければ、関係は薄れ、消滅してしまうかも知れません。人間というのは関係の中に生きている動物なのです。この関係を常にブラッシュアップする(=磨き上げる)ことも顧客の創造の意味するところなのです。

ドラッカー博士の経営哲学の凄さは、この人間(関係)の本質を的確についているところにあります。学べば学ぶほど、その奥が深いことに気づかされます。私の場合は、自分なりのビジネス理論の源泉としてCLM(Customer Loyalty Management ― 顧客中心のマネジメント)という考え方を持っていますが、この理論構築の際には、ドラッカー博士の研究からたくさんのヒントを得たのでした。CLMは、お客様との関係を如何にして構築して行くか、についての理論(哲学)とその方法論を提示するものですが、この考え方は、くるま旅においてもそのまま応用することが出来るので、恐らく終生私の人生の宝物探しを助けてくれるものと思っています。機会があれば、この理屈を紹介してもいいのかなと思っているところです。

何だか半学問的な変な話となりましたが、店頭に漫画本のようなドラッカー哲学紹介の本を見て刺激を受け、つい昔のことに触れたくなりました。まだ、現役意識がかなり残っているのかも知れません。

コメント
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