山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

へのへのの旅(07東北春旅)第7回

2008-06-23 04:43:42 | くるま旅くらしの話

第7日 <5月05日()

道の駅:東由利 →(R107R13)→ 後三年の役・金沢資料館:金沢柵跡散策(横手市)→ (R13) → 道の駅:仙南(美郷町)→ (R13R105) → 八乙女温泉(大仙市) → 道の駅:中仙(大仙市)(泊) <71km

明け方になって雷鳴は収まったものの、雨は依然として降り続いており、風も結構強い。これでは日本海側を走る気には到底なれない。何しろ昨夜は碌に眠れなかったので、急ぐ旅でもないのだから、昼時にここのレストランの名物の一つ、フランス鴨の肉入りラーメンを食べて出発することにして、午前中はのんびり過ごすことにする。邦子どのはそのまま寝直す。自分の方は、いつも朝一番に行なっている給水やトイレの処理などを済ませた後、パソコンの中身の整理などをし、珍しく読書などすることにして「岩手県の歴史散歩」を読み始めたのだったが、たちまち睡魔に襲われ、これまたベッドにもぐりこむ。

11時過ぎの再起床となったが、雨は依然降り続いている。予定通りラーメンを食べた後、出発。今日は中仙の道の駅(大仙市)に泊る考えでいる。そして翌日角館を訪ねることにしたい。というのも、ゴールデンウイークも明日で終わるので、角館も人混みはかなり減るのではないかという計算。連休の最後の日というのは、帰り急ぐ人の方が多いはずだ。これから横手に出て、R13を北上する予定である。

横手市街を過ぎ、郊外にある「後三年の役金沢(かねざわ)資料館」というのに立ち寄る。ここはその昔金沢の柵(さく)があった所だ。柵というのは、中世の城砦のようなものを指すらしい。ここはいつも気になってはいたが、通過ばかりしていた。今回はどんなものなのか見学しようというわけである。前九年の役・後三年の役というのは、名前だけは覚えてはいたけど、その内容については殆どわかってはいなかった。

   

後三年の役:金沢資料館 横手市郊外の国道13号線脇にあり、すぐ裏が公園となっている。

昔の奥州のことは、蝦夷(えみし)という言葉で引括ってしまって、中央政権の征伐対象という理解の仕方しか持たなかったのだが、東北を旅するようになってからは、次第に奥州の立場からものを見るようになってきている。よく考えれば征夷大将軍などというのは、中央権力からの呼称であり、地元蝦夷から見れば冗談ではない話であろう。似たようなことは現在でも世界の至る所で、特にイスラム圏では行なわれているように思う。

前九年の役は、平安時代後期、中央に反旗を翻した安倍一族が討たれた戦であり、およそ9年の歳月を要したということであるし、又後三年の役は安倍一族を討つに功績のあった奥州の豪族、清原一族の内紛を中央が関与して治めたという戦である。その結果、どちらかと言えば支流の清原清衡が中央と手を組んで勝利し、姓を藤原と改め、居を平泉に移してその後の奥州藤原3代の基盤を作ったと言う歴史である。家系図などをみると、とにかくややこしい。全ての戦が、結局は中央の陰謀などが絡んだ、作られた内紛のように思えてくる。革命ではなく、身内同士の争いのように思えてくるのだ。そしてその結果は、中央にしてやられているという筋書きだ。

藤原三代の栄華も結局は頼朝によって滅ぼされている。人間というのは、欲が絡むと、親子、兄弟でさえも血で血を争うことを何とも思わなくなるようだ。欲(権力や面子などを含めた)の前には、愛情などというものは全く無力のような気がする。資料館の中を見学しながら、歴史の実態というのはいずれもこのようなものなのかと、落胆の感慨を新たにした次第である。

見学を終えた後、未だ時間があるし雨も収まっているので、直ぐ近くにある実際に柵の残っている辺りを散策することにした。今は金沢公園となっている。金沢八幡宮まで行こうと思ったのだが、坂が急で邦子どのが音を上げそうなので取り止め、小高いところまで行って引き返した。景正功名塚というのがあったが、歴史の名残りの殆どは勝者の名の下にある。馬骨を自称する自分としては、あまり勝者を尊敬する気にはなれない。

車に戻り、途中買い物などをしながら中仙の道の駅へ。ここへ来た時は、少し離れた所にある八乙女温泉というのに入りに行くことにしている。行って見ると、いつもの駐車場の脇に何やら建設事務所のようなものが出来ており、車も多い。何だろうと思ったら、この辺一帯は運動公園になっており、立派なグランドや体育館が建っているのだが、今年秋田県で開催される若杉国体の会場の一つとして使われるらしく、体育館などの手直し工事のようだった。国体は、スポーツの大会だが、行政から見れば道路などを始め、諸インフラ整備の良い機会らしい。

邦子どのは始めてのバッケ味噌作りに取り組むので、風呂には入らないと言う。その間、八乙女温泉の小さなだけど心はゆったり出来る湯船に浸って戻る。バッケ味噌の出来具合は結構いい線を行っていた。道の駅:中仙に戻り、泊る。天気は依然として不良。

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