山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

孫と二人キャンプに行く(その3)

2020-08-12 00:36:07 | くるま旅くらしの話

この後は帰途に就くだけです。しかし、釣りのあとの手洗いは、沼の水で洗っただけではゴカイを扱った臭いも取れないし、近くに洗う場所もないので、思い切ってもう一度昨日の大串ふれあい公園の文化財センターまで行くことにしました。というのも孫はダイダラ坊をもう一度見てみたいというので、それに応えることにした次第です。15分ほどで着いて、存分に手を洗い消毒を済ませてから、もう一度ダイダラ坊の塑像の所まで往復しました。孫も満足したようなので、いよいよ本格的に帰途に就くことにしました。

一応の予定では、常磐道をそのまま走って戻るのではなく、一般道(R6)を石岡市まで行って、ショッピングモールで弁当を買って食べ、その後は近くのICから常磐道を利用することにしていましたので、その行程に従うことにしました。大串ふれあい公園からは、R51で水戸市方面へ向かい、途中からR6に入って石岡市方面へ。1時間と少しで目的のショッピングモールに到着。この間の車の中では、孫は大声で歌を歌うなどして一人盛り上がってのご機嫌でした。普段あまり孫の歌など聞いたことが無かったので、少し驚くと共に浮かれ気分となると大きな声で歌を歌う、普通の子どもなのだと安心したりして、ジサマもいい気分になりながらの安全運転でした。

ショッピングモール内のスーパーに入り、孫に自由に食べ物を選ばせることにしました。何を選ぶのかなと思っていたら、何と選んだのは鮭のおにぎり1個と何やらジュースのようなものとあとは麦茶だけでした。質素な暮らしをしているのか、それとも欲がないのか判りませんが、この選択は少し意外でした。自分の方は普通の弁当を買って車に戻り、二人でこの旅の最後の食事をしました。

一休みのあと、再びR6を走り、千代田・石岡ICから常磐道に入り、30分ほど走って谷和原ICで降りて、我が家到着は12時半過ぎでした。予定では15時頃の帰宅としていましたので、家族は少し早い到着に驚いたようでした。車の外に出ると、炎暑としか言いようのない暑さが襲って来て、こりゃあ早く帰って来て良かったかなと思いました。家に入ると孫娘に、「ジイジお疲れさまでした」、と声をかけられたのにはびっくりすると共に妙に嬉しくなりました。この児も一緒に行きたかっただろうに、親に教わったセリフであったとしても、笑顔でそう言われると、益々可愛ゆさが増すのを抑えることはできません。(疲れてなどいないけど、ありがとう)という気持ちが膨らみました。かくて、たった2日だけの孫との二人旅は終わりを告げました。

 

さてさて、短い旅が終わって、心地よい疲れを味わいながらこの旅の振り返りをしたいと思います。何しろ孫とは、お互いに生まれて初めてのコンビの旅なので、旅の3つのステージ、即ち前楽・現楽・後楽という楽しみは絶大なものでした。

先ず前楽ですが、これは主としてジサマの準備の楽しみだけで、孫の方はただただ待つだけの楽しみだったのかもしれません。ジサマの方は、あれこれと準備に思いを巡らし、今までの旅で使っていた用具などが古くなっていたので、これを機にかなりの物を新しく買い揃えました。それらを並べてみると、

・スクリーンテント(サイズ3.2m四方)・アームチエア・焚火グリル台・火消壺・ランタン・キャノビポール・補助ペグとロープ・バスケット・釣り用小物用品・水汲みバケツ等など、その他に食材関係として・米・そうめん・肉・ウインナーソーセージ・トウキビ・カボチャ・サツマイモ・リンゴ・砂糖・シナモン・玉ねぎ・各種タレ類・パン・チーズ・牛乳・卵等とそれらの調理に伴う用具類などでした。当日に抜かりがないようにと、細心の注意を払いながらの調達は楽しいものでした。これらのコストはたった二日足らずの旅としてはかなり高いものとなりましたが、その効果は無限ともいえるもので、数値などで表示できるものではありません。

又前楽としては旅の行程をつくることも楽しいものでした。孫にどんな体験をさせてやるか、あれこれ思いを巡らし、些か盛沢山で、うっかり三密を忘れてしまったメニューもありましたが、改めて茨城県の地図を詳細に眺めて、どこかいい場所がないかを探すのは実に楽しい仕事でした。結果的には1,2箇所しか行けませんでしたが、自分の頭の中では、茨城県について今まで気づかなかった新しい発見が幾つかあり、それは今後の自分自身の旅に役立つものとなりそうです。

現楽というのは旅の現実そのものを楽しむことですが、それはもう、ここに記した通りのことであり、この二日間の孫と一緒の時間の全てに亘って満ち足りていた楽しさです。

そして後楽は今これを書いている、旅の全行程の思い起こしと記録の整理なのです。これから先あの世に行くまでの間、思い出してこの記録を読む度に、この時の孫との旅の楽しさを味わえることになるのです。

さて、旅の楽しみのことはこれくらいにして、初めて孫と一緒に過ごして見て、少し気になったことがあります。それは孫との会話の中で何か違和感を覚える彼の応答があったからなのです。二つあって、その一は何か注意したり、説明しようとすると、「分かっている、知っている」という応答が即座に返って来ることです。例えば、トイレに一緒に行って用が済んで、「手をきれいに洗わないといけないよ」と言うと、「わかっている」と返ってきますし、魚釣りの場で「リールはゆっくりと静かに巻くのだよ」と話すと、「うん、知っている」と返ってくるのです。必ずしも間違いではないのですが、期待しているのはそのようなことばではなく、「ハイ!」という返事です。知っているというので、試しに何故なのか?と聞くと、多くの場合「わかんない」となります。どうやら「ハイ」ということばをあまり使いたがらないようです。何でもないようなことでも、大人であっても「わかっている、知っている」といいながら、実際は良く分かっていないことが結構多いのですから、安易にわかっているとか知っているということばを使うのは、問題だなと思いました。それで、そのような場面に出合った時は、「ハイ、と言え!」とやや強制的に注意することにしました。このジサマは頑固ジジイでもあるのです。

それからもう一つは、時々「実は,‥‥」という言い出しをすることです。まるで内に秘めていたことを告白するかのように、急に大人びた言い回しで、時々このことばを使うのです。何か特別なことでも話すのかと、思わず身構えると、大したことない当たり前の内容なのです。学校へ通うようになって、こども達の間ではこのような会話の用語が使われているのかと思いました。面白いなと思えば面白いのですが、こんな小さな時から「実は,‥‥」などと妙に告白めいたことばを使うのは如何なものかと思いました。これについては、何も注意はしていませんが、やはり少し気になっています。

その他、家にいる時の孫は、ややオッチョコイで先走り傾向のある少し落ち着きのない子どもだと思っていましたが、二日間あれこれと話をしている内に、見かけよりはずっと芯があり、ものの判断もしっかりしているのを知り、安心しました。

考えてみれば、孫は未だ6歳でジサマは傘寿。74歳もの差があるのです。考えや生きて来た環境にギャップがあるのは当然の又当然です。今から一々ことばの切れ端など気にしてもあまり意味がないなと正気に戻りました。孫にはこれからの時代を可能な限り大らかに健康に生きて欲しいなと思いました。ジサマは生きていて元気な限り、機会をとらえてこれからもキャンプや旅に連れていきたいと思いました。初めての小さな二人旅は、とても稔り多いものでした。(おわり)

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