今月の13日、高校卒業時のクラスの第60回新年同窓会が開催された。18歳で卒業して以来今回の78歳まで、毎年休みなく続けて来ているというのは、もしかしたらギネスものなのかもしれない。元々は担任の先生を囲んでの有志の人たちの集まりだったのだが、丁度30回目辺りに先生からの呼びかけがあり、卒業時の文集の復刻版が送られて来て、それ以降一段と出席者が多くなった。既に先生は11年前に鬼籍に入られているのだが、今でも毎年20人近くのメンバーが集まって、それぞれがこの1年間の主な出来事などを報告しあっている。年に1回のこの集まりは、今では本物の楽しみとして、各メンバーの心の中に定着しているようだ。
今年は17名の出席だった。事前に出席予定の一人が風邪(インフルエンザ)に罹ってしまって、来られなかったのだが、現在連絡を取り合えるメンバーは全員で34名となっているので、その半数の出席を確保できたのは、上々の出席率と言ってもいいと思う。
ところで今回も又話題の中で多かったのは、やはり健康に関することで、実際体調不良のために出席できない人も何人かいることなので、後期高齢者となっている世代としては避けられないテーマなのだと思う。様々な健康問題が遍在しているのだが、その中で特に気になったのは、「ボケ」という話だった。このことについて、自分も普段から思うことがあるので、少しそのことについて書いて見たい。
今回のボケに関して多かった話としては、「カミさんとの約束ごとをすっかり忘れてしまっていて、しょっ中カミさんから注意され、叱られて、時々喧嘩になったりしている」というような類の話だった。本人もボケ(もの忘れ)の始まりを少しは自覚していて、その防止のためにもカミさんとのせめぎ合いは有効というような話なのである。深刻なレベルの話ではないのは、まあ、大丈夫ということなのであろう。もし本当にボケが本格化して物忘れが酷いレベルだったとしたら、話題に出すことも困難になる筈だからである。斯く言う自分も又カミさんには、もの忘れに関して絶え間なく小言を言われ続けており、その度に反発して文句を言って抵抗し、時々妖怪小言ババアなどと悪たれを言ったりしているのである。
さて、そのようなボケの症状なのだが、今は軽いレベルのもの忘れということなのであろう。けれども、それが進行した先には認知症という恐るべき病がイメージされているに違いない。自分は、人間が係わる様々な病の中で、認知症ほど恐ろしい病はないと思っている。何故なら、この病は人間を人間たらしめているものの全てを失わせてしまうからなのだ。イヌやネコたちは、自身がイヌであり猫であることを自覚していなくても、何を食べ何を飲むかという本能を忘れることはない。なのに認知症は、人間の持つ社会性はおろか生き物としての食べる、飲むという本能すらも失わせてしまうほどの恐ろしい病なのである。その初期症状がもの忘れということなのだと思うけど、これは決して冗談めかして済ませてしまうようなことではない。厳に警戒しなければならないことなのだと思う。
大切なのは、如何にしてボケを防ぎ、認知症への道を閉ざすかということであろう。自分の場合は、身近に認知症への道を辿った者がいるので、10年間ほどそれを熟視する中で、どう対応すればよいかを教えて頂いたと思っている。ボケを笑いで済ませられるレベルで終わらせるために大切なことは、次のようなことではないかと思っている。
①生きがい・張り合いを失わないこと(持ち続けること)<精神>
②病に取りつかれる頻度の最小化を図ること <身体>
③①②を実践・実行すること <行動>
基本的にこの三つが重要だと思っている。①は、心を常に活き活きと動かすことであり、より具体的に言えば、何事にも好奇心を以て取り組むこと、自分の好きなことを見出し、それをしっかり(=死ぬまで)やり続けること。②は言うまでもなく健康の保持ということであり、病を遠ざけるための不断の注意と行動を怠らないこと。③は①②を頭で考えるだけではなく、実践行動に移すこと。である。
この三つ全ての力が弱まり、無気力になった時、ボケは急速に進み、認知症が駆け足でやって来る。10年の体験を通して、認知症へのステップを教えられたように思っているが、それは突き詰めるとこの三つとなるのだ。
我われ老人たちは、ボケを警戒しながらもこの三つのどれかをおろそかにし、日常に甘えて暮らしがちである。特に加齢とともにその油断は拡大しがちである。現在の軽い冗談としてのボケの話が、やがて深刻なものとならなければいいなと思いながら、出席者の人たちの話にそっと聞き耳を立てたのだった。
いま、密かに思っているのは、この集まりが最後の二人となって消え果てるまで、自分は任されている幹事を務めあげようということ。全員を見送った後、ゆるりとあの世に旅立つことにしたいということである。 60回目の新年会を終えて帰る途中の電車の中で、そのような夢を見たのだった。
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