《今日の予定》
終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在
《昨日のレポート》
8月となった。昨日と今日は何の変哲もなく繋がっているけど、人の心の中では、時の変移には区切りをつける必要があるようだ。この新しい1ヵ月は70%は別海のこのキャンプ場に滞在することになるだろうと思う。別海町を通して、北海道の歴史などを訪ねてみたいと思っている。
早速今日は町の図書館に出向こうと思ったのだが、相棒が言うには、今日は月曜日なので休みではないかとのこと。全国どこでも月曜は公的機関の休館日が多いというのは、元東京江戸たてもの園でボランティアガイドをしていた相棒の目立った知識の一つでもある。逆らわないことにしている。しかし、何だか出鼻を挫かれた感じだ。仕方がない。今日も一日グータラを決め込むことにした。
気分転換に丘の上にある郊楽園という温泉施設に、朝風呂に入りに行く。営業開始は7時からだと思って出掛けたのだが、6時半からだった。早朝から風呂に入る人はさすがに少なくて、泊まりの客が2~3人と外来は自分一人だけだった。この温泉はモール温泉で、古代の植物の堆積した層を潜り抜けて来たお湯は薄い褐色で、柔らかい湯は身体全体の疲れや緊張ををゆったりとほぐしてくれる感じがする。いい気分だった。
8時迄と言うので、5分前には上がって着替えようと思っていたら、何だかゴソゴソするので、振り返って見たら、入っているのは自分一人で、担当の人が早めに掃除の準備を始めたようで、男性の担当者らしかった。5分前になったので、上がろうと脱衣場に行こうとしたら今度は女性の清掃担当者が入って来たので驚いた。まだ5分あるのに、挨拶も声かけもせず、客を無視して自分の仕事を始めるのはけしからんなと思った。一人ぐらいは無視しても構わないと思っているのかなとも思った。文句を言うほどでもないので、急いで着衣して出口に向かったのだが、その時営業開始時刻が6時半からと知り、もっと早く来れば良かったと反省した次第。
しかし、客にこの様な反省をさせるような商売のやり方には問題があると思う。掃除は所定の時刻の前に客が一人も居なくなった時にだけ始めるべきであろう。ここのマネジメントの責任者は、従業員全員にサービスとは何かを周知徹底すべきである。上っ面の心の籠もらない形式的なサービス行為は、決して顧客満足にはつながらない。ましてや約束の時刻を守らず、客を無視するような行為は、例えその従業員が昨日臨時に雇用された人であっても、教育・指導責任は経営者や管理者にある。郊楽園については、サービスのあり方に関して厳しく再考して欲しいと思った。昔の職業意識がちょっぴり働いた次第。
ついでに少し勝手なことを言うと、北海道を旅していると、昔の職業意識を揺さぶるほどに、社員教育のニーズが溢れている。サービス業はたくさんのお客との接点を抱えているので、今は殆どその客の側に居る自分には、そのニーズが分かるのである。その中で最も多いのは、スーパーやホームセンターなど販売店に於けるレジの対応だ。購買心を削ぐような無神経なレジに出会った時は買うのを止めたこともある。商品を抱えた人が並ぶレジという場所は、販売店に於いては確実に購買者となって頂いた方がならんでおられる重要な場所であり時間なのである。それなのに客を一人の人間とも意識せず事務的にマイペースで対応しているのを見ながら並んでいると、だんだん腹が立って来るのだ。レジの担当者だけではなく、販売店の全員がレジに商品を抱えて並ぶお客全員に対して常に注意・関心を向けなければならないのはサービス業の基本だと思うのだが、現実はマニュアル的口上の対応レベルでお茶を濁らせている店が殆どなのである。もっとお客様が人間であるということを考えろと
言いたい。お客様は神様ではない。軽薄に祀られて黙っているような存在ではないのだ。皆、個々の事情を抱えた感情の動物なのである。それをどこまで汲み取って対応出来るかがサービス業の基幹なのである。現役に戻ってもう一度仕事をしてみたいと思うことが時々ある。
さて、そのあとは終日本物のグータラを実践する。従って書くことは何もない。強いて書くなら、この日は午後から快晴となり暑さが戻ったが、湿気は殆どなく真に北海道らしい快適な夏日となり、午睡のその気持ち良さは無上のものであったということ。それくらいである。おわり。
終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在
《昨日のレポート》
8月となった。昨日と今日は何の変哲もなく繋がっているけど、人の心の中では、時の変移には区切りをつける必要があるようだ。この新しい1ヵ月は70%は別海のこのキャンプ場に滞在することになるだろうと思う。別海町を通して、北海道の歴史などを訪ねてみたいと思っている。
早速今日は町の図書館に出向こうと思ったのだが、相棒が言うには、今日は月曜日なので休みではないかとのこと。全国どこでも月曜は公的機関の休館日が多いというのは、元東京江戸たてもの園でボランティアガイドをしていた相棒の目立った知識の一つでもある。逆らわないことにしている。しかし、何だか出鼻を挫かれた感じだ。仕方がない。今日も一日グータラを決め込むことにした。
気分転換に丘の上にある郊楽園という温泉施設に、朝風呂に入りに行く。営業開始は7時からだと思って出掛けたのだが、6時半からだった。早朝から風呂に入る人はさすがに少なくて、泊まりの客が2~3人と外来は自分一人だけだった。この温泉はモール温泉で、古代の植物の堆積した層を潜り抜けて来たお湯は薄い褐色で、柔らかい湯は身体全体の疲れや緊張ををゆったりとほぐしてくれる感じがする。いい気分だった。
8時迄と言うので、5分前には上がって着替えようと思っていたら、何だかゴソゴソするので、振り返って見たら、入っているのは自分一人で、担当の人が早めに掃除の準備を始めたようで、男性の担当者らしかった。5分前になったので、上がろうと脱衣場に行こうとしたら今度は女性の清掃担当者が入って来たので驚いた。まだ5分あるのに、挨拶も声かけもせず、客を無視して自分の仕事を始めるのはけしからんなと思った。一人ぐらいは無視しても構わないと思っているのかなとも思った。文句を言うほどでもないので、急いで着衣して出口に向かったのだが、その時営業開始時刻が6時半からと知り、もっと早く来れば良かったと反省した次第。
しかし、客にこの様な反省をさせるような商売のやり方には問題があると思う。掃除は所定の時刻の前に客が一人も居なくなった時にだけ始めるべきであろう。ここのマネジメントの責任者は、従業員全員にサービスとは何かを周知徹底すべきである。上っ面の心の籠もらない形式的なサービス行為は、決して顧客満足にはつながらない。ましてや約束の時刻を守らず、客を無視するような行為は、例えその従業員が昨日臨時に雇用された人であっても、教育・指導責任は経営者や管理者にある。郊楽園については、サービスのあり方に関して厳しく再考して欲しいと思った。昔の職業意識がちょっぴり働いた次第。
ついでに少し勝手なことを言うと、北海道を旅していると、昔の職業意識を揺さぶるほどに、社員教育のニーズが溢れている。サービス業はたくさんのお客との接点を抱えているので、今は殆どその客の側に居る自分には、そのニーズが分かるのである。その中で最も多いのは、スーパーやホームセンターなど販売店に於けるレジの対応だ。購買心を削ぐような無神経なレジに出会った時は買うのを止めたこともある。商品を抱えた人が並ぶレジという場所は、販売店に於いては確実に購買者となって頂いた方がならんでおられる重要な場所であり時間なのである。それなのに客を一人の人間とも意識せず事務的にマイペースで対応しているのを見ながら並んでいると、だんだん腹が立って来るのだ。レジの担当者だけではなく、販売店の全員がレジに商品を抱えて並ぶお客全員に対して常に注意・関心を向けなければならないのはサービス業の基本だと思うのだが、現実はマニュアル的口上の対応レベルでお茶を濁らせている店が殆どなのである。もっとお客様が人間であるということを考えろと
言いたい。お客様は神様ではない。軽薄に祀られて黙っているような存在ではないのだ。皆、個々の事情を抱えた感情の動物なのである。それをどこまで汲み取って対応出来るかがサービス業の基幹なのである。現役に戻ってもう一度仕事をしてみたいと思うことが時々ある。
さて、そのあとは終日本物のグータラを実践する。従って書くことは何もない。強いて書くなら、この日は午後から快晴となり暑さが戻ったが、湿気は殆どなく真に北海道らしい快適な夏日となり、午睡のその気持ち良さは無上のものであったということ。それくらいである。おわり。
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