山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

ブログ記事の全整理雑感

2010-03-31 06:45:06 | 宵宵妄話

今日は3月の最終日、あすからは4月です。しかし天気は世の中の気分とは無関係に、景気の動向に同調しているかのように冷え切っています。昨日も寒い一日でした。寒さとは無関係に、凍えながら咲く桜の花の下で、花見と決めた行事を敢行している人たちもおられるようですが、お気の毒のような、羨ましいような気分でニュースを見たりしています。

ぼちぼちと春の旅の活動を始めた知人たちのあれこれを思いながら、さて、今年の旅をどうしようかと思いあぐんでいます。旅をしないとこのブログは成り立たないなと思いながら、ネタ切れ近くになっている現状をどう打破しようかと迷っているのですが、一つ思いついたのは、この辺で過去の記事の整理をしてみようと思ったことでした。2007年の2月1日に開始したブログへの投稿は、満3年を過ぎて今日に至っていますが、この間の記事は書き捨てといった感じで、過去の記録はまだ一度も整理していませんでした。「〇〇っ放し」というのがありますが、私の場合もその傾向大で、振り返るのを忘れることが多いのでした。

それで、せめてタイトルだけでも整理して、いつでも過去の記事を読めるようにしておこうと数日前からその作業に取り掛かっていたのですが、昨日ようやくそれを終えることが出来ました。何しろ一日一日を全てチエックするものですから、アバウトの好きな自分としては途中で面倒くさくなって、投げ出したくなるのです。自分をなだめ、我慢をしなだらやっとのことで一昨日分にたどり着いたというわけです。

勿論毎回の投稿に当たっては、投稿用の画面に直接書いているわけではなく、下書きをしてそれをコピーしたものを使っているわけで、それらの下書き原稿は残っているわけなのですが、実際には投稿した後何度も推敲して編集画面上で大幅に変更することもありますので、作成した原稿と投稿した結果とが必ずしも同じものとはなっていないのです。従って最終投稿画面の結果をきちんと記録しておかないと、自分が実際に何を書いたのかが曖昧になってしまうことになりかねません。そのようなことを思っての作業でした。

いヤア、3年間というのは結構長い時間というか、たくさんの日にちなのだなあと改めて思いました。計算すると開始日からは昨日までに1154日となるようです。この間の投稿の実際を見て、気づいたことなどについて述べたいと思います。

まず、この間結構休みの日が多いということでした。自分としては、8割くらいは投稿したのかなと思っていたのですが、見かけ上はそのようになっていても、実際は手抜きというか、過去に書いたものをそっくりコピーして載せているものが結構多いのです。つまりその日はブログに係わることは何も書かなかったということであり、ある意味ではサボりの時間だったということになります。ある意味というのは、ブログ用以外の書き物もしていますから、毎日5千字という目標に対しては必ずしも裏切ってはいないということなのです。

ま、休むというのは、本当はもっと必要なことなのかも知れません。以前倅に読むのが大へんだと言われたことがありますが、確かに読者諸氏の側から見たって、長文の理屈の多い文章を読むのはお疲れのことに違いありません。最後まで読んではもらえず、途中で飽きられ捨てられたものがかなりあるのではないかと思っています。というのも自分的にはかなり力を入れて書いた記事の方が、意外とIP数やアクセス数が少なかったりしていますので、少しガッカリすることがあります。しかし頑固ですから、読書子に媚びるようなことはせずに自分流のやり方、書き方を守りたいと思っています。

次に思ったのは、堅い文章が多いということです。論文調を基盤とした書き方から抜け出せていないということです。これを改めるためには、会話や対話のフレーズなどを使うのを増やさなければならないのですが、どうもそれがうまくゆかず、気づいてみれば只の叙述となってしまっています。何だか自分には感情表現が出来ない力がどこかにこびり付いているのかなと思ったりしています。他の方のブログを覗くと、写真入りの豊かな感情表現に満ち溢れたものが多いのですが、私にそれが少ないのは、思考が固まりかけた老人となってしまっていて、人情の機微に疎くなってしまっているからなのかもしれません。今のところ、これは一つの壁だなと思っています。

時々携帯電話から投稿していますが、苦労して書いた割には画面の文字が小さくて不満を覚えます。私の想定している読者層は自分と同世代周辺ですから、小さい文字では失礼だと思っています。老眼鏡を使うかどうかの迷いの世代から、それ無しでは文字には触れたくないという世代なのですから、文字のサイズには適当な大きさが求められると思います。今のところ携帯電話からではそれができないようですので、真に申し訳なく思っています。新鮮な記事を適切な文字サイズで送れる技術が開発されることを願うのみです。(もしかしたら、既にそのような技術は開発済みで、自分の携帯がすでに老朽化しており、取替えが必要なのかも)

投稿記事のタイトルを整理して3年分をざっと眺めていますと、自分の不断の暮らしぶりが見えてきます。心の乱れなども窺えるのです。投稿をサボったり、古い記録から丸写しの手抜きの記事を載せたりしている時は、当然のことながら旅には出かけられない事態に見舞われているときです。その背景に何があったかは、自分なりには良~く思い出されるのです。多くは旅に出かけたいのに、出かけられないときです。そのような時には、ブログを書く気が起こらないものですから、然るべき結果となってしまいます。

又、旅を離れた記事については、一端(いっぱし)の評論家風になってしまい、我ながら「止めた方が良いよ」といってしまいたくなります。他人様の批評とは別の、自分なりの見解や主張をしたいのですが、手持ちのバックデータが無いため、ニュースの断片記事や報道だけで、思い込みの感情処理的なものになりかけていることが多いので要注意です。しかし、世の中には不可解というか、腹の立つ出来事が多いものだなと、改めて実感した次第です。

さて、何はともあれブログ記事の全整理を終えたのですが、今思っているのはやっぱり旅に出たいなということです。同時に家にいても旅をしている感覚を養いたいなとも思っています。願望と負け惜しみ的発想の共存という感じでしょうか。人生そのものが旅であると考えますと、在宅のくらしの中にも旅の感覚を養う手立てはあるように思います。ま、もうしばらくは時間をかけて頭の中を整理する仕事が必要なのかも知れません。

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