山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

ジジババ二人くるま旅漫遊紀行(2003年 西の方へ行くの卷)第9日(その2)

2011-12-12 00:18:53 | くるま旅くらしの話

 

第9日 道の駅:しまなみの駅御島から道の駅:アリスト沼隈まで(つづき)

 

橋のすぐ近くのICから高速道に入り、今眺めていたその大橋を渡ると、直ぐに生口島にある瀬戸田PAです。生口島は瀬戸田町という行政名なのです。もう一度多々羅大橋の景観を味わいたくて、しばらく休憩することにしました。このPAには今車で渡って来た多々羅大橋につながる遊歩道の入り口がありました。ちょっと行ってみることにしました。5分ほど歩くと下方の海に向かったミカンの段々畑が広がっていました。その畑のてっぺん辺りに細い遊歩道がつくられており、それが大橋につながっているのでした。ミカン畑には色づいたミカンがたわわに実っていて、それはみかん色というよりも黄金色に光っている様に見えたのでした。みかんの花咲く丘や瀬戸の花嫁などの歌がそのままぴったりの景色は、ああ、これが本当の穏やかな瀬戸の内の景色なのだなと、心からそう思ったのでした。光溢れて世界が暖かく膨らんだ、心和む実に良い景色でした。

 

10分ほど歩くと橋の入り口に着きました。遠くから眺める橋の景観とは違って、そこは巨大な鉄骨の建造物の世界でした。遥か下に青緑色の海が光り、海に突き刺さった巨大な鉄柱の辺りには僅かながら渦を巻いている流れがみえました。高所恐怖症の気があるのですが、一方で怖いもの見たさの野次馬根性もまだ残っているらしく、このような所に来ると無理をしてでもチョッコら橋を渡ってみようという気になり、二人しておっかなびっくり足を踏み出したのでした。多々羅大橋には車道の他に端の方に自転車・小型バイクと兼用の歩道がつくられており、歩いて渡れるようになっていました。幅は5~6mほどでしょうか。下を見ると足がすくむので、見ないように見ないように息をつめながらの歩行でした。橋を釣る大きな柱が何本かあるのですが、その2本目までようやく辿り着きましたが、うっかり下を覗いてしまったら不気味に海流が渦を巻いているのが目に入り、もうそこから先に行くのは止めることにしました。引き返そうとふと鉄柱を見ると何か書いてあり、よく見ると「多々羅鳴き龍」とあり、ここで拍手をすると不思議なことが起こりますとのことです。傍に拍子木も置いてありました。

 

鳴き龍というのは日光の東照宮の薬師堂のあれと同じものかと思いました。早速両手で柏手を打ってみました。すると、「ウヲ~ン、ワヲ~ン」という大音響です。日光のよりも遥かに巨大な龍がここには住みついているようです。両手よりも拍子木の方がより大きな声を引き出せるようです。何度かその鳴き声を聞かせて貰いました。いやあ、驚きでした。

 

とにかくもうそれ以上は進むのは止め、引き返すことにしました。高所恐怖症ではなかった筈のバサマの足の速いこと。人間怖いものの正体を見るまではおっかなびっくりで歩行もそろそろですが、正体を知ってしまった後でも怖さが残っている時にはそこから逃げ去るのは早くなるのだと、その時そう思いました。橋の入口に戻った時はホッとしました。まさに足が地に着くという感じでした。PAに戻って、ちょうど昼飯時でしたので、この辺りの名物のタコ飯を食べました。明石のタコにも負けないほど、ここのタコもシコシコ、コリコリ歯ごたえがあって美味でした。殆ど外食をしない我々にとっては久しぶりの旅の味でした。

 

食事の後は生口島北ICから降りて、平山郁夫美術館へ。ここはジサマは2度目、家内は初めての来訪です。ジサマの方は以前仕事で福山に来た時に、明日再会予定のS君が仕事の後で、わざわざ福山から案内してくれたのでした。思いもかけないことでしたので、甚(いた)く感動したのを思い出します。平山先生といえば、現役の大家ですが、故郷に立派な美術館がつくられているのはさすがだなあと思います。その時はあれよあれよといった流れの中での見学でしたが、今日はじっくりと鑑賞することにします。家内は以前から平山先生のファンで、画集なども持っており、今日は実物を見ることが出来るので大いに楽しみにしているようです。館内にあるハイビジョンの上映室で、先生の仕事のあらましを1時間近く拝聴し、これは大いに参考になりました。絵画の方はいつ見てもそのスケールの大きさに圧倒されます。仏教をテーマに砂漠の中を行く玄奘法師のお姿など、その絵画に取り組まれる姿勢には、特別な感動を覚えます。とても充実した時間でした。

 

美術館を出た後は、家内のお目当ての向上寺の参詣です。ここの三重塔が国宝とのことです。この瀬戸田町には、向上寺よりも遥かに有名な耕三寺というお寺があり、東の日光に対して西の日光とも呼ばれるほどなのだそうですが、家内はの関心はもっぱら国宝にあり、そのような所へ行く気は全く無いらしいようです。この考えはジサマも同感です。変なところが似たもの夫婦という奴のようです。耕三寺の近くを通りましたが、随分きらびやかな派手なお寺だなと思いました。

 

向上寺は思ったよりも気の毒な存在でした。急な坂道を登って行った境内には、何と本堂も伽藍もなかったのです。明治の頃に焼失してしまい、その後再建が叶わなかったようで、古材で作られた本堂も老朽化してしまい、現在は仮本堂が辛うじてあるだけという寂しい様相をしているのに驚かされました。耕三寺とは大違いだなと思いました。しかし、本堂伽藍があった場所の裏手にある三重塔は、その昔の姿をとどめてすっくと建っていました。鎌倉時代の建立らしく、その建築の様式に何やら特徴があるということらしいのですが、ジサマにはさっぱり分からず、バサマ一人が肯いている世界でした。塔の更に裏手に回ると、そこに平山先生が「しまなみ海道五十三次」という画題でお描きになられた、その中の一つのスケッチをされた場所がここなのだという記念碑がありました。五十三次の絵の中に向上寺を描かれたものがありましたが、あれはこの場所でスケッチされたものだったのです。家内は同じ場所から一所懸命写真を撮っていました。さて、その出来栄えや如何に?

 

坂を下り車に戻って、次に向かうのは尾道の浄土寺という所です。今日は忙しいお寺巡りの日となってしまっているようです。浄土寺には本堂と多宝塔の二つの国宝があるのだそうです。因島から向島へと行き、しまなみ海道の最後の橋を渡って尾道市内に入り、少し迷いながら(一番迷ったのはお寺ではなく駐車場探しでした)浄土寺に着きました。浄土寺はR2沿いの少し高台にあって、R2の直ぐ下にはJRの山陽本線が通っています。尾道は坂の町としても有名ですが、お寺も多い所です。浄土寺は一番下の海に近い場所に建てられているようです。鉄道や国道などが出来る前は、海岸に近い場所に位置していたのではないかなどと思いました。ほんの少し石段を上がって行くと立派な本堂と多宝塔がありました。なるほど国宝だなと思えるほどの貫録のある建物でした。いずれも千三百年代前半の建物といいますから、さもあらんです。境内からは対岸の向島を含めて狭い海を囲んで造船に係わる工場やドック、それに人々の住まいの密集している姿を見下ろすことが出来ました。今日はお寺のことは家内にまかせることにして、ジサマは景色を見ながら、今度来た時は坂と文学の町尾道をじっくりと散策してみたいなと想像を膨らませたのでした。

 

浄土寺参詣の後は、今日の宿を予定している沼隈町の道の駅に向かうだけです。日が暮れかけ始めており、辺りが少し暗くなり出しました。尾道の市街を抜け、途中からR2を右折して県道に入り沼隈町方面へ。初めての場所なので、迷わずにちゃんと着けるか少し不安もあります。沼隈町というのではそれがどこなのか、関東育ちの人間にはさっぱり判りませんが、鞆の浦のある所といわれるとほんの少し場所の見当をつけることが出来ます。でも鞆の浦は話を聞いているだけで、まだ実際に行ったことはありません。途中で夕食用の食材を仕入れたりしながら夕闇の迫りくる中をしばらく走って、無事に道の駅に到着しました。

 

 「アリスト沼隈」という名の道の駅は、町のどの辺りに位置するのか見当もつきませんが、地図では比較的海に近いようです。暗くなってきてよく判らないのですが、県道脇の小さな川に架かる橋を渡った所にあり、駐車場はあまり広くないようです。県道の向こう側にパチンコ店があり、すこし派手なネオンが夜空を走りまわっている感じでしたが、騒音のようなものは届いては来ませんでした。今日は温泉はないけど、それは我慢することにして直ぐに夕食を済ませ、寝床に入ることにしました。そのまま安眠につながれば良かったのですが、真夜中近くにバイクでやって来た若い奴らが、声を上げてうるさく騒いだりして、とんだ迷惑でした。起き出して注意したりすると、何やらトラブルになるやもしれず、やむを得ず我慢をして寝たふりを続けました。若者がエネルギーをもてあまして夜中に動き回る気持ちは判らないでもないですが、このような公共の場での騒ぎには賛同は出来ません。この頃はとかく自分勝手な奴が多く、「関係ネ~」などとうそぶくバカな奴らが多いのは困ったものです。ま、自分勝手というのは若者だけではなく、中高年や老人にだって最近は蔓延(はびこ)り出していますから、あまり偉そうなことは言えません。

 

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