山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

旅が終わると、……

2007-06-01 05:57:35 | 宵宵妄話

旅が終わると、何時でもそうなのですが、何か精神の脱落状態となります。脱落といっても道元禅師のおっしゃる「身心(しんじん)脱落」というような世界とは無縁の、単なる倦怠感のようなものがやってきます。それを忘れるためには、庭や畑の草むしりなどに汗を流すのが一番なのです。2日間取り組んで、敵対する草たちは略退治を終えました。我が家の庭周辺では、難敵の草といえばカタバミです。一見弱弱しそうですが、相当にしぶとい侵食力があり、芝生の中にも蔓根を伸ばして入ってきます。葉だけを摘んでもなんのその、数日で元に戻るどころか、もっと葉数をまして勢力を誇示するのです。カタバミは、本当は薬草になったり、研磨用に使われたりしたらしくて、悪い草ではないようなのですが、我が家の場合は、あまりにしつこいので敵対関係になってしまっています。

畑に行くと、こちらの方のこれからの難敵はスベリヒユです。この草は飢饉の際に食用にすることを、彼の黄門様が推奨したというような話を、どこかで聞いたような記憶がありますが、つまりは他の作物が全滅するというような大飢饉の気象条件でも生き残って繁茂することができる植物ということで、相当に生命力逞しい存在なのでしょう。金のなる木の葉を小さくしたような肉厚の形をした植物ですが、手で引き抜くと大変もろく、根を残す前に折れてしまうような存在です。小さな苗を至る所に生えさせ、どんなに引き抜いても数日経つとしっかり再生しています。

植物の生存戦略には様々なものがあって、草を引き抜きながらいろいろ教えられることが多いのです。カタバミもスベリヒユも基本戦略は弱弱しき形をしていて、踏みつけられればいっぺんにクチャクチャに壊れ、引き抜かれれば力なく身を折っているように見せること。しかし、根は簡単に持ち去られることなく、ホンの僅かでも大地に残して、たちまち再生を期すパワーを発揮することにあるようです。生き残りには、強そうに力を誇示するよりも、一見弱弱しそうに振舞っていて、根はしたたかな存在が効を奏すようです。人間世界でも同様の戦略を持って巧みに生きている人は多いようです。草たちのその力には、人間は到底太刀打ちできるものではないと知りながら、一見きれいになった庭や畑の様子に満足しているのが、草取りの現実のように思えます。

畑には、旅に出る前にラディッシュを播いて、芽が少し出た頃に出発したのですが、戻ってみると巨大な赤い玉が出来上がっていました。いつものとは違う品種を播いたようで、葉が少ない割には根が大きいという、人間にとっては都合の良い出来上がりぶりでした。他に玉ねぎも予想以上の育ちぶりで満足でした。そして何よりも嬉しかったのは、なかなか芽を出してくれず、斑模様の生えぶりだったジャガイモが、畑一面(といっても僅かに30㎡ほどですが)を覆って花を咲かせていたことです。連作なので、今年はダメなのかなと半ば諦めていたのですが、この分だと豊作を期待できそうです。

ま、旅から戻った時は、今はこのような状況で、庭や畑の草や樹木達との関わりを楽しんでいます。

2日ほどブログを休みましたが、今日から6月。今月末辺りには北海道への旅に出発予定です。今回の旅の途中でも、北海道に向かうという何人かの人に出会いましたし、既に北海道入りをしている人の話も聞きました。北海道には東北とは違った旅の魅力があります。一度その虜になってしまった人は、中毒症にかかったように北海道へ向っているような気がします。私たちも又明らかな中毒症罹患者のようです。出発までの間に、東北春旅の記録を整理しなければならず、しばらくは(勝手な)忙しい時間が続きそうです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東北春旅:第30日 | トップ | 長文の功罪(携帯電話からの... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

宵宵妄話」カテゴリの最新記事