山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

稲田御坊に参詣する

2011-02-08 00:09:51 | くるま旅くらしの話

    この頃家内が親鸞上人への関心を膨らませており、隙あらば自分の話題の中に引き込もうと狙われている感じがします。彼女は五木寛之氏の作品の大ファンで、「百寺巡礼」や「日本人のこころ」などといった著作を私の本棚を分捕って並べているのですが、只今は「親鸞」に突入しているらしく、本の他にも購読している東京新聞に毎日掲載されるその小説記事を飛びついて読み、そのあとは切り抜いて大事に束ねて読み返しているようです。そのような思いへの没入は拍手をすべき行為なのだと思いますが、度々突然に確認風のかなり細かい事跡などについての投げ掛け質問をされると、大して真宗などには関心の無かった自分としては、親鸞という方の生い立ちも経緯も知らないわけで、持て余し困惑するというのは、これはもう生身の凡人の道理というものでしょう。

私は親鸞といえば、歎異抄の有名な一節「善人尚もて往生す、況や悪人をや」という言葉くらいしか知らず、且つその文語の意味をしっかり受け止めて理解しているわけでもないのです。わずかに思っていることと言えば、自分自身を初めこの世に善人など存在しないということ。善人ぶっている人は無数にいますが、彼らは己の錯覚に気づいていないだけの話です。競争心や欲望といったものがもたらすプロセスや結果は、大なり小なり悪や偽の世界につながっていると考えた方がまともだと思うのです。人並み以上に競争心や欲望の強かった自分が、善行ばかりを行って来たなんて、考えるのは無理というものです。気づかぬままに大勢の人を害し、自然環境だって多分に壊し続けているに違いありません。しかしまあ、善人ぶらないとこの世を巧く生き難いので、そうしているまでのことに過ぎないのです。古希を過ぎると、この思いはますます強く且つ明確なものとなってきていて、より一層善人ぶって世の批判などを書き綴っているわけです。

さて、その親鸞聖人ですが、茨城県すなわちその昔の常陸の国といわれた地域とは結構ご縁があって、その旧跡や所縁(ゆかり)のお寺などの場所が幾つかあるようです。その中でも現在の笠間市稲田にある稲田御坊(=西念寺)は、親鸞が越後に流された後、許されてからはここを頼って来訪し、真宗の聖典ともいえる「教行信証」を著わした場所として有名とのことです。しかし、そのことを知ったのも家内の説明を受けてからのことで、稲田といえば石切場があって石屋の多い所とくらいしか知りませんでした。ただ、稲田御坊という名前は、郷里の常陸大宮市に帰る際に通る国道50号線の脇に、その案内板があるのを目にしていて知ってはいたのです。浄土真宗については、歎異抄との絡みで、親鸞の直弟子の唯円という人が水戸の河和田という所に住んでおられ、その著作を著わしたということは学生の頃から知っていましたが、それとて、へえそうかと思っただけで、現地にまで行って確認したわけでもありません。学生の頃は、水戸の西部に位置する笠間市には滅多に行く機会も無く、稲田御坊があることなどゆめ知らぬことでした。

家内との話で、今度郷里に行く用があるときは、是非その稲田御坊へ寄ってみようということにしていました。そのチャンスが直ぐにやってきました。偶々我が家の好物のうどん(乾麺)が切れてしまったので、それを買い求めに郷里まで行くことになったのです。常陸大宮市の旧山方町辺りは昔から乾麺作りが盛んで、今でも何軒かの業者さんが作り続けています。私はこの乾麺が大好きで、ほぼ常備しているといって良い状況なのです。そのこともあってなのか、我が家の全員がこの乾麺を茹でたうどんが大好きで、その調理はいつも私自身の出番となっています。在庫が無くなると、2時間以上をかけて買いに行くことにしています。今回はその帰り道に立ち寄ったという次第です。

稲田御坊(西念寺)は、笠間市の中心街からは、筑西市方面に向かう国道50号線のJR稲田駅入口を通過し、少し行った先の右手にあって、参道の下に大きな駐車場があります。それなのに立ち寄るのが初めてのため駐車場に気づかず、手前の狭い場所に車を置いて少しばかり参道を歩くこととなりました。どのような所なのかと思いながら100mほど歩くと、ケヤキの大木の並ぶ参道の先に、茅葺屋根の風格のある楼門のようなのが建っていて、その横に「浄土真宗別格本山」と大書された石塔が立っていました。なかなかの貫禄です。

   

稲田御坊(西念寺)の参道正面にある山門。茅葺の楼門の形をしており、このあたりのお寺では見かけない貫禄がある。

 

その門を潜り境内に入ると、本堂の左手に銀杏の大木があるのが目につきました。何やら案内札があるので傍に行って見ると、「世界的珍種御葉つき銀杏」とあり、以下のようなことが記されていました。 「往古より言い伝えに 親鸞聖人御草庵の庭前に銀杏の実を葉に包みて蒔き給えしところ 葉先に実る不思議ありと 東京大学農学部向坂教授参詣あり 偶々実物を見て 植物学上世界的天然記念物御葉つき銀杏であることが確認された 銀杏は化石の植物であるといわれ、百万年以前のものである 老木にできる現象でもないのであるが それが聖人が蒔き給いしものであってみれば 参拝の念仏者にとって特になつかしいものである 参拝者は一粒の実を参拝の記念に蒔いて深き仏縁を喜んでいる 明治4年の大火の際類焼したるは惜しむべきも 後に樹枝繁茂して往年の樹勢に復帰するは嬉し 越後の七不思議と言い 又祖蹟の神原の井や銀杏の不思議を目の当たりに拝見できることは信者にとり驚異であり大きな歓びであろう」

    

境内にある御葉付き銀杏の大木。その不思議な実をぜひ一度目にしてみたいものである。

 

のっけから親鸞聖人の不思議な法力を目の当たりに見せられて、先ずはびっくりでした。今は冬なので銀杏の根元の落ち葉すらも見られず、その葉先に実が成るというのも、俄かには信じがたい感じがしましたが、今年の秋ごろにはぜひもう一度参拝してその世界的珍種を目にしたいものだと思いました。昔の聖人や偉人といわれる方には、不思議といわれる力が常に付随していたようです。

その銀杏の木の横の方に何やら屋根つきの井戸のような物があるので覗きますと、「神原の井(いど)」と書かれており、そこに次のような説明がありました。 「鹿島大明神 白髪の老翁となりて親鸞聖人の法庭につらなり 聞法随喜のあまり御弟子となり 法名を釋信海と賜う 老翁よろこびのあまり 鹿島七つ井の一つを献ぜばやと大地を叩き給いしところ 忽然と清水湧き出でたり この水 六月十四日減ずることあるも案じ給うこと勿れと 今も猶旧暦六月十四日に此の不思議あり 水戸光圀公いわれを聞き喜びのあまり 御影石の井筒を寄進せり」 いやあ、驚くばかりです。鹿島神宮の大明神が親鸞聖人のお弟子になったというのですから。神様でもやはり自分を悪人ばらだと考えるなど、悩みは多いものなのでしょうか。地を叩けばたちどころに清水を湧き出させるほどの力をお持ちなのに、親鸞聖人に帰依されるとは、これはすごい話だなと思いました。黄門様も大いに喜んで井筒を寄進されたというのもわかるような気がします。

とにかくあっけにとられるような話ばかりです。実際に親鸞という方がどのような話をして真宗の考えを伝えたのかは知る由もありませんが、往時の人たちには真に奇跡と思えるほどの心にしみる話だったに違いないと思います。さほど広くも無い境内には、その外にも幾つかの記念碑のようなものが建っていました。本堂に参詣した後、裏手の山の中に太子堂や聖人の御廟それに何人かのお墓などがあるというので、坂を上り木立の中を巡ってお参りをしました。スケールが大きくて、やはり普通のお寺ではないなと思いました。山の途中から南東の方を望む景色は、京の叡山を見る景色に似ているとかで、何やらそのような説明がありました。昔の人の都を思う心なのか、或いは何気ない風流心なのか、現代人からは只の筑波山の裏側にしか見えないのには、往時の人々も呆れ返って開いた口が塞がらないということになりましょうか。

予想していたよりも遥かに風格のあるお寺で、とてもいい時間でした。1時間以上じっくりと歩き回りましたが、今度来る時にはもっと親鸞の事跡について勉強をし、野次馬よりも少し深みのある見学をしなければと思いました。

参道の脇、楼門の手前に林照寺という茅葺の小さなお寺があり、往時の草庵を思わせる雰囲気がありました。中を見たいなと思ったのですが、ちょうど屋根の葺き替えなのか補修なのか、工事を行っており、今回は遠慮しました。次回の楽しみです。

この日は、この後少し時間が余ったものですから、帰りの途中から下妻市の方に寄り道して、親鸞にはもう一つ所縁(ゆかり)のある「小島(おじま)草庵」という史跡を訪ねました。ここは親鸞が越後流罪の罪を許されて後、稲田に行く前の何年かを過ごされたとかで、建物等は一切無く、田畑の中に数個の石碑らしきものが、銀杏の大木の下にあるだけでした。説明によれば、真宗開祖の親鸞がその活動を開始した東国における最初の地であると書かれていました。それを確認した後は、夕暮れの中を帰宅の途についたのでした。

   

小島草庵跡の様子。こちらにも銀杏の大木が植えられていた。背景に見えるのは筑波山。稲田御坊はあの筑波山の裏の左方に位置している。親鸞聖人は筑波山を越えて行かれたのかも?

 

今回の訪問で、もう少し親鸞の事跡のことについて学ばねばと思いました。歎異抄は今でも時々思い出しては読んでいますが、どうも解ったような気分になっているだけで、その本当のところは未だ遠くにあるようです。本を読むばかりでは理解できないことがたくさんあるようです。事跡を訪ねみることにより、気づくものがあるのは、旅の大いなる恵みの一つですから、これから先は親鸞についてもそのことを大切にしたいと思いました。

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