山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

'11北海道くるま旅( 第53日)

2011-08-04 05:01:30 | その他
又またお詫びです。旅の出発日からの日数が、7月29日から8月3日まで1日遅れの記載をしてしまいました。携帯での投稿のため、メンテがいい加減になってしまい申しわけありません。


《今日の予定》
終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在


《昨日のレポート》
北海道の子供たちの短い夏休みも今がたけなわであり、キャンプ場には毎日家族連れや先生などのリーダーに連れられた小グループの子供たちなどがキャンプにやって来て賑やかに過ごしている。昨夜やって来た20人ほどのグループは、早朝5時過ぎから起き出した何人かの子どもたちが、走り回って、場内にある滑り台などの遊具で遊んでいた。少しうるさいのは事実だけど、毎朝ガアガアと超煩いカラス共の悪声から比べればずっと心地良い。今日はカラス共は子どもたちに圧倒されてどこかへ消え去ったようだった。
我々の遅い朝食が終わった頃、子どもたちのエリアでは一斉に何か物を叩く音が鳴りだした。何をしているのだろうと不思議に思っていたら、しばらくしてストンと静かになり、どうしたのかと見たら、あっという間に数個の巣箱が生まれていた。小鳥たちのための巣箱を作っていたのだった。グッドアイデアだなと思った。指導者と子どもたちに拍手。でもこのジジイの実際は、遠くから黙って見ているだけである。
さて、今日からはしばらく町の図書館通いをするつもりでいる。毎日の処理雑事を片付けながら、帯広からお見えのHさんご夫妻と話している相棒の話の輪に加わったりして遅くなり、図書館へは歩きの予定を自転車で行くことに変更する。この様な変更は楽しい変更である。11時少し前出発。
今日は昨日の続きの別海町百年史のポイントをメモるだけである。13時近くまで読み続けて、ようやく幕末近くまで辿り着いた。その中に肝心の別海町に直結する話は殆ど出て来ない。百年以上前の別海町はまだ殆ど未開の土地だったようだ。幕府の国家意識の弱さの様なものを感じながら、この地に住む人たちのロシア人南下の対応の厳しさを思った。吉田松陰が蝦夷地までやって来た先駆者としての心情も何だか解る様な気がした。(余計なことだけど、現在の政治にも同じ様な心配・懸念があるのではないか)
あっという間に13時近くになり、今日はここまでとし、車に戻ることにした。この根釧エリアや道東のその昔のことが少しずつ判ってくるのは楽しい。明日も又来るぞと思った。
車に戻り昼食。暑いのでそうめんを茹でて食す。冷たい摩周湖の伏流水でキュッと締まった島原そうめんは、格別の美味だった。ついでにビールを一杯やれば、その後はもう決まっている。午睡しかない。その昔のこの地のあり様などを想い描きながら、たちまち仙酔境に至る。
その後は昔流に書けば、因って件の如し、である。少し解釈がズレるけど、要するにいつもと同じパターンの暮らしぶりだったということ。ハイ、今日はこれだけで終わり。
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