山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

信州小さな秋旅の記録<第5回>

2020-12-02 04:17:28 | くるま旅くらしの話

2年ぶりに旅に出かけました。旅と言ってもたった4日間の小さなものです。長いこと休んでいたため、旅の感覚が大きく鈍っているのを実感しました。6回に分けて久しぶりの旅の所感を報告させて頂こうと思います。

 

第4日(11/17〔火〕)

道の駅:オアシスなんもく→(県道・R254)→道の駅:下仁田→(R254)→下仁田IC→(上信越道・関越道・北関東道)→太田藪塚IC→県道)→みどり市知人宅→(県道・R50)→道の駅:みかも→(R50・R294)→自宅

何事も無く一夜が更けて朝が来て、いつものように5時には目覚めたけど、外は暗く明けの明星他の星が輝いていた。やっぱり6時を過ぎるまでは歩きは無理のようだ。6時半近くなってから、着替えを済ませ歩きに出かける。初めて来た土地なので、何処に何があるかなど全く判らない。とにかく思うままに歩くだけである。旅に出た時はいつも毎朝その地をさ迷い歩くことにしているので、今日もいつもと変わらない。昨日の朝は安曇野の平野の散策だったけど、今日は打って変わった山地の、細い谷川の両側に山の迫る中に造られた幾筋かの道を橋を渡り向こう側に行き、少し歩いて又橋を渡ってこちら側に戻るといった繰り返しの歩きとなった。何という川なのか、多分に南牧川とでもいうのだろうか、橋を渡るとき川の名を確認しようとしたのだが、橋の名しか書かれていなかった。谷川に迫る北側の山の下方中腹には人家が点在していた。この地では農業は無理だと思われ、恐らく昔より林業などで生計を立てて来ているのだろうなと思った。川に流れ込む小さな支流には、大雨の時には土石流の発生に注意と書かれた警告板があった。昨年の台風の大雨の際には、被害が出たのだろうなと思った。そういえば、昨日来た道の途中でも災害復旧工事をしていたらしいのが何ケ所かあり、一昨日のアップルラインの千曲川の氾濫だけではなかったのだと、自然災害の怖さを改めて思ったのだった。1時間ほど見知らぬ土地の景観を楽しみながら8時半過ぎ車に戻る。今日は休業だという道の駅には訪問者は無く静かで、車も自分たちだけだった。カミさんは寝床の中。寒いのでしばらくの間エンジンをかけて車内を暖める。その後朝食とする。

今日は旅の最終日とするつもりでいる。明後日は病院に行かなければならないので、今日中には家に戻っておきたいと思っている。それで、今日の行程なのだが、元々は富岡の世界遺産の織物工場を見学したり、その後で足利学校などに寄るのもいいかななどと考えていたのだが、駐車場のことなどを考えると、この車で行くのには不安があり、探すのがめんどくさい。それで昨日思いついたのは、今年の春にみどり市に移住された親しき知人のお宅を訪ねて、どんな暮らしぶりをされているのかお邪魔することにしようということ。昨夜電話で予めご都合を伺う話はしているので、そこへ寄り道することに決めている。

朝食の後、準備をして出発したのは9時半頃か。下仁田から高速道でみどり市の近くまで行くことにして、先ずは途中の道の駅:下仁田に寄り、名産の下仁田ネギを買い入れる。帰ったらこのネギを使って久しぶりにすき焼き鍋でも贅沢に味わうことにしょうという考え。旅の間は概して粗食なのだ。如何にも美味そうなネギの大束を買い入れた。ついでに大粒の銀杏があったので、こちらもゲット。山の幸の豊かな所である。

買い物を済ませ、間もなく上信越道下仁田ICから高速に入り、北関東道の大田藪塚ICを目ざす。上信越道から二つのJCTを経由して北関東道に入り、間もなく大田藪塚ICで降りて県道に入り、みどり市の方へ向かう。住所は調べてあるけど、これはもうナビを当てにするしかない。昨日のようなことは無いだろうけど、近くまでガイドして貰えば、何とかなるだろうという考え。

ところでみどり市というのは、全く土地勘の働かない市である。何年か前に初めてここを通った時には、突然見知らぬ市の名前が出て来て、これは一体何だと思ったのを思い出す。何年前だったか平成の大合併でこの市が生まれたてだった頃だと思う。それ以来のこの地の訪問となった。知人は横須賀在住の方だったので、今春突然転居の知らせを受け取ったときには驚いた。でも住所にみどり市大間々町とあったので、それを見てああ、大間々かと直ぐに解った。大間々とか笠懸という地名なら以前から知っていたのだが、いきなりみどり市などとなったものだから、一体ここはどこだろうと思ったのだった。時々国の施策で大合併というのをやらかされるが、全国を旅していると、そのおかげでわけのわからぬ新しい市や町が生まれていて、戸惑い何だかがっかりすることがある。みどり市もその一つだった。

大間々町のそれらしき所まで辿り着いてナビのガイドは終ったのだが、付近を探しても見つからない。そこで電話をして、結局迎えに来て頂いて、判ったのだった。直ぐ近くだったのだが、やはり少し迷ってしまった。でも上出来と言ったところか。

それから知人宅をお邪魔し、しばらくの歓談となった。知人のiさんは、横須賀に住んでおられて、今回の突然の転居に驚いたのだが、このご夫妻はもともと大のナチュラリストで、海や山を初めとする大自然に遊ぶのが大好きで、お若い頃から ずいぶんと沢山の経験をされたと聞いている。10年ほど前だったか、旅で知り合った頃は、ご主人は北海道での砂金採りに嵌っておられて、用具の板を抱えて嬉しそうに笑っておられたし、横須賀では畑を借りて農作物に力を入れたり、併せて蜜蜂を飼われたりして楽しんでおられたのだった。今度はどのような動機でこの地を選択されたのかと少し不思議な思いがしたのだが、訪ねたお宅は敷地300坪、屋敷は100坪を超える大豪邸だったので驚いた。伺ってご案内頂いたのだが、庭というのか畑というべきか、200坪を超える土地には、多種の果樹や野菜類が植えられており、ミカンやキウイなどが沢山の実をつけていたし、畑にはセロリなど何種類かの野菜類が育っていた。そして庭の隅にはミツバチの棲家の箱が置いてあり、数匹のミツバチたちがその入り口近くで、今日の陽気を味わうかのように肩を寄せて集まっていたのが愛らしかった。いやぁ、よくもまあこのような場所にこのような家を見つけられたものだと、その慧眼に敬服の念を抱いた。ⅰさんは未だ順老(老に馴れる世代=65~75歳)世代の人である。これからの人生を堪能するにはもってこいの、この上もない素晴らしい環境だなと思った。いろいろとご苦労もあるのだろうけど、それが楽しみなのだから、iさんにはご苦労などいうことばは無いのだろうなと思った。その後話し込んでいる内にあっという間に時間が過ぎて、午近くとなってしまい、慌ててお別れの挨拶を交わす。初めての訪問だったが、我が家からは横須賀よりはずっと近くなったし、これからは、会いたくなった時には、いつでも来易くなって良かったなと思いながら帰宅の途に就く。iさんは自分よりもお若いのだが、人生を楽しむについては、自分などよりも層倍の経験を持つ名人である。改めてそれを実感した。

そのあとは、高速を利用するのは止め、R50で行くことにしたのだが、これは正解だった。車の流れはスムースで、足利市から小山市を通りぬけ、筑西市でR294に入り、そのまま直進して、我が家到着は思ったよりも早くて、16時10分だった。やれやれである。結局3泊4日の行程で、総走行距離は693Kmだった。

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