第6日 <7月20日(火)> 晴れ
道の駅:美郷の夜は、トラックヤードから離れた反対側に車を止めたので、夜間の騒音もなく安眠も確保できてよかった。東北地方でもこの辺りまでは夜になると涼しくなるエリアなのか、昨日の田舎館よりも涼感は少なかったけど、まだまだ東北にいるのだという感じがした。
さて、今日はR13をひたすら南下して、米沢ま行き、そこから取り敢えずは福島県会津エリアの喜多方まで行き、道の駅:喜多の郷に泊って、あわよくば温泉に入って一晩夜を過ごし、翌日には自宅に帰着するという大まかな予定を立てている。しかし、この暑さでは、到着の時刻がずれると、この通りにはゆかないことは覚悟しており、その時には先に行けるところまで行こうと考えている。今日の朝も空に雲は少なく、どこを通っても暑さからは逃れられない感じがする。涼しい内に距離を稼いでおこうと、6時10分に出発する。今日は長距離のドライブとなるが、無理をせず速度制限をしっかり守って、運転に取組むことにしようと、改めて自分に言い聞かせた。
出発して間もなく横手の市街を通過する。ここは思い出の地だ。何年か前、前の旅車を使っていた時、ここを通りかかった際に突然車から異常音と異臭が発生し、下車して見てみると、何とオイルが漏れて煙まで出ているではないか。丁度傍にあったイオンの広い駐車場の一角に車を止め、JAFに連絡して助けを請うことにした。間もなくJAFの人が来られてチエックをして頂いたのだが、原因が良く判らないという。昨日から車の下部にから異音が発していて、途中角舘のトヨタで見てもらったが、スタピライザ―の具合が悪いのではないか。走行には取り敢えず大丈夫ということだったので、そのままここまで走って来たのだがまさかこんな大ごとになるとは思わなかった。取り敢えず近くにあるトヨタのディーラ―の工場まで行って見てもらうことにしようと、辛うじて自走しながらJAFの方に案内して貰った。ところが明日からゴールデン連休に入るため、しばらく休業となりるとのこと。1週間以上もの連休となるそうで、それまでは調べられないということだった。それまで待つのか、或いはレッカー車で家近くのトヨタまで運ん貰うかのどちらかしかない。保険屋に聞いたけど、保険の効く範囲からはかなり離れており、相当高額の負担になるという。なので諦めて連休が明けるの待つことにした。それまではJAFの方が動いてくれてイオンに話をして、暫く片隅に駐車してもOKということになった。買い物やトイレには何の心配もないのだけど、水の補給には困惑した。けれどJAFの事務所が歩いてゆけるほどの距離にあり、そこの水を使ってもよいとの了解を頂いた。それから1週間以上この駐車場の住人となったのである。このような突発事態で故障が直るまで何日か滞在して待ったという経験が、以前鳥取を通過した時もにあったので、又か!と思い、店が営業を開始するまでの間は、毎日横手市内を歩き回り、かなり詳しく地形や地域の様子を知ることが出来たのだった。営業が再開されて診て貰ったら、何とシャフトに問題があり、交換しなければならないという。車が少し古いタイプなので、もし在庫がなければ最悪の場合新しく製造しなければならないという。そうなると急いでも半月はかかるとのこと。いやあ、とんでもないことになったなと、とにかく部品の在庫などの手配を待つことにした。その結果、部品は在庫があったが、届くまで3~4日かかるという。今度はトヨタの駐車場に住まいすることになった。代車を出してくれたので、それを使って、近くの重伝建等を見たりして、もはや所期の東北春旅に来ていることなど忘れ果ててしまうほどの状況となってしまった。その後無事修理が終わり、出発が叶ったのは故障から半月近くが経っていたのである。その時のあれこれを思いながら、横手の市街を通過したのだが、R13はイオンのある方は通らない道だったので、ちょっぴり残念な気分だった。
その後、湯沢、新庄、村上、東根と通過して、天童市内で給油を済ます。通過エリアごとにガソリンの売価が気になりチエックをしながらだったのだが、地域によりかなりの格差があり、酷いところは10円近くもあったので驚く。天童市内は良心的なスタンドが多くて、自分が寄ったところは、売価も146円/Lと安く、しかもセルフではなくフルサービスだった。これは守谷の地元よりも遥かに上のレベルだった。ありがたい。この車は燃費が悪くて、前のディーゼル車よりも劣る感じがしていたのだが、今回本格的に走ったので、少し燃費は向上したようである。ここで満タンにすればもう給油なしで家まで帰れるのかもしれないなと思った。
天童を出てからは、山形、上山、南陽と通過し、間もなく米沢市内に入り、そこからはR121に入って、喜多方に向かう山道を通ることになる。その麓にある道の駅:田沢でちょっとトイレ休憩して、喜多方に向かう。まだ12時よりかなり前で、日差しは強く、これじゃあ喜多方の道の駅に着いてもどうにもなるまいと思った。その後坂道を上り、下ってトンネルを幾つか潜って、喜多方の道の駅:喜多の郷に着いたのは12時をほんの少し過ぎた12分だった。炎暑はどこまでも追いかけて来ていて、この道の駅もどこにも逃げ場など見当たらない。温泉なんてとんでもない話だ。昼食を摂る気にもなれず、そのまま南下することにした。取り敢えずナビは猪苗代からR294で自宅方向に向かうことにして、途中の天栄村の道の駅:天栄をセットした。
R294は、R46を猪苗代近くから右折して、ずっと続いていて、自分が済む守谷市を通って、取手市を通るR6に出て終点となる道である。もう何度も通っており、悪路の山道から高速道並の片側2車線道路まである変化にとんだ道である。会津若松郊外のコンビニで弁当に、再びおにぎりを買ってお茶で流し込む。これで4日連続のおにぎり昼食が続いている。コロナ禍のこともあり、食専門の店に入る気にはなれない。10分ほどで済ませて、出発。間もなく右折してR294に入る。手前に長い坂道があったが、以前の旅車ではすこし喘ぎ気味だったが、さすがにこの車ではその様なストレスは無い。登坂車線とは無縁で走れるのには、ちょっぴり安堵感がある。
R294に入って、しばらくは平地が続いたが、やがて次第に山道を行くようになった。守谷市辺りの道からは想像も出来ないほどの曲がりの多い道となった。昨日の八幡平と同じように、ベッドの上の本などの荷物が踊り始めるのが分かった。間もなく坂を上り勢至堂峠を下ると、ようやく平地に出て、少し走って道の駅:天栄に着いた。相変わらずの炎暑が続いており、とてもここに泊る気にはなれない。もう少し先の道の駅:東山道伊王野まで行ってみることにした。
少し走ると、間もなく白河市街となる。ここまで来ると、もうすぐ栃木県に入り、我が家もぐっと近くなる。白河市は大都市で、市内の道路はかなり混んでいた。ナビを見ながら通過して、間もなく伊王野に向かう、片側に田んぼの続く道を走り、そろそろ伊王野に着くなと思っていたら、突然雨粒が落ちてきた。あれ、何だろう夕立にしては少し早いのではとそのまま走り続けていたら、その内に雨勢は一気に強まって、ワイパーをハイスピードにしても前方が見えないほど激しい降りとなった。これじゃあ、道の駅に寄って休憩することも出来ないなと諦めて、そのまま走り続けて、我が家からは比較的近いので時々野菜などを買いに来る道の駅:はが(=芳賀)まで行き、そこに泊って明日は朝一番で野菜などを買ってから帰宅することにしようと考えた。間もなく雨は止んで、雲は未だ空を覆っているようだが、薄日が射していて、ほんの少し暑さは和らいだようだ。16時半頃道の駅:はがに到着する。
未だ日暮れには少し遠く、かすかに遠雷の音が聞こえるのは、もしかしたらここにも夕立がやって来るのか。それならばありがたいと思ったのだが、結局そのままやや蒸し暑い夜を迎えることになった。ここにはロマンの湯という温泉もあるのだが、風呂から上がった後の汗をどう抑えたら良いのかを考えると、とても入る気にはなれない。残っていたパンなどを齧っていい加減な夕食をした後、涼しさがやって来るのを待って寝床に横たわり、夜を迎える。
第7日 <7月21日(水)>
朝が来た。4時には目覚めて、今日はここで野菜を買って帰ろうと思っていたのだが、売店は9時開店であり、それまで何をして待つのかを考えると、だんだん考えが変わり、何も無理して暑くなり出すのを待つこともないのではという気持ちが次第に膨らんで来て、野菜などどこにもあるのだから、涼しい内に出発して、家に帰ってからゆっくりした方がいいと、早めに出発することにした。
5時半少し前出発する。ここから我が家まではせいぜい2時間ほどだから、家内がまだ起きていない内に到着出来るだろうと思った。この早朝の出発は正解だった。道は空いているし、車のエアコンなしでも大丈夫なのだ。流れに沿ってゆっくり運転していたのだが、7時半には我が家に帰還となった。その後は、いつものように荷物の取り出しなどをして汗をかき、風呂に入って、やれやれの気分となった。
15日に出発して、その日に梅雨明け宣言があると同時にものすごい炎暑が始まって、結局想い描いていた遺跡の探訪とはかなり違った半端なものとなり、暑さに撃退されて逃げ帰ったというような、大失敗の旅となってしまった。
何とかエアコン付けようとしてますが、元気が伴わないので何時になるやら。
でも、お元気そうで、なによりです。
やあ、本当にお久しぶりです。小生も傘寿(80)を過ぎて、老人街道をまっしぐらです。涼しくなったら、再会を果たしたいですね。その日が来るのを楽しみにしています。奥さまによろしく。