山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

化石都市のさ迷い

2007-10-14 01:44:46 | 宵宵妄話

昨日のブログで、旅の話題について触れたが、実はその集まりまでの3時間ほど、上野駅付近から東京駅まで小さな旅をしたのだった。都心を歩くのは現役時代には殆ど毎日だったけど、最近では久しぶりのことだ。たった3時間足らずの短い時間だったが、何だか東京の化石化は急速に進んでいるような気がした。そのことを少し書いてみたい。

自宅近くのバス停から高速バスに乗り、40分ほどで上野駅近くのバス停に到着した。15時を少し過ぎていた。集りは18時から東京駅近くで始まる予定なので、かなり時間がある。勿論最初から久しぶりに歩くことにしてやって来たのである。上野駅は、網目状の歩道橋でつながっている。今頃は、都市の駅前が歩道橋でつながっている所が多い。実に殺風景な情緒のない景色だと思う。車社会ではこのような形が機能的ということなのであろう。先日の幕張新都心も同じ様な感じだった。何時もだと上野からは不忍池に出て、山の手に沿って歩き、湯島天神や神田明神などに参詣しながら秋葉原に出ることが多いのだが、今日は別コースを考えている。

歩道橋を下りて、アメ横の裏道に入り、御徒町方面に向う。高架下のアメ横の中には入らない。ごちゃごちゃしていて、何だか危なげで疲れるのである。昔はここへは登山用具などを求めてよく来たものだったが、今は魅力を感じなくなってしまった。アメ横ファンの方には申し訳ない。

山手線などの高架に沿って10分ほど歩くと御徒町である。御徒町からもガードに沿って歩き続ける。全くの裏町というかコンクリイトで固められた地面が続く、人間の息吹を感じない空間が続く。ガード下の多くは倉庫スペースとして使われているようだけど、何だか良くわからない。わからなくてもいいのだと主張しているような雰囲気がある。ガードを潜って右側の方に出て、住宅街というのか、問屋街というのか、様々な職種・職業が入り交ざっている感じの小さなビルが立ち並ぶ街を通り抜けて、秋葉原近くの大通りに出た。この辺りから高層、超高層のビルが目立つようになった。

秋葉原は、守谷からはTX(つくば新線の略称)で30分ほどの距離の終点駅がある。その電気街は超有名で、世界に知れ渡っているのであろう。今日も外国人が多いようだった。パソコンは買ったばかりだし、今のところここには用がないので、そのままパス。さて、どうするかと少し迷った。未だ1時間も経っていない。よし、久しぶりに神田の古本屋街を歩いてみようと思い立った。東京までをどう歩くかは考えて来なかったのである。

神田の古本屋街は、学生時代からいろいろお世話になっている。お金が少し(多くというのは一度も無かったのだが)溜まると、リュックを背負って本の買出しに来たものだった。電車賃を少しでも安く上げようと、常磐線を往復するのではなく、学割の周遊切符が安くなるので、わざわざ水戸線を使って遠回りしながらの買出しだった。余計に時間がかかっても、安く済むのなら一向に気にならなかった。時間が掛る分、本を読んでいればいいというのが自分の考え方だった。就職後も度々訪れている。どういう訳だか、本が好きなのである。読むよりも本そのものが好きといった方が正しいのかも知れない。今でも一度も開いてみたことがない本がかなりある。

さて、秋葉原からはどう行くのか、実のところ道は良く覚えていないのだ。山手線の内側だから、とにかく右手の方へ行けば、その内何とかなるだろうと歩くだけだった。やたらに信号が多くてその度に歩くのを止めなければならないのが、何とも不満なのだが、無視することは不可能だ。あまりにも行き交う車が多すぎるのだ。須田町からしばらく歩くと、多町(たちょう)の方へ来てしまい、神田の駅が近いようだ。どうも目的地からは遠ざかっているような気がして、思い切って右の方へ行くことにした。その内に大通りに出たので、しばらく歩いていると、九段下方面の標示板が見えたので、多分これを行けば何とかなるだろうと歩き続けた。しばらく歩いていると、三省堂の看板が目に入った。あ、あの辺りが神保町だと判った。

だんだん近づいて行ったのだが、何だか雰囲気が違うのである。古本屋街は歯が抜けたような感じに思えた。いつの間にか周辺を巨大な高層ビル群が取り囲み、早くその商売をやめろ!と脅しているような感じがした。もうここへは5年以上ご無沙汰をしていた。たった5年なのだが、その変わり様に驚かされた。東京は肥大化し、その肥大化は横ではなく上に向って膨らんでいる。その勢いは、5年間のこの周辺の変化を見れば明らかだと思った。新宿や潮留そして東京駅周辺の目立つ建物に気をとられて、それ以外の場所はもう変わりようがないのだと思っていたのだが、それはとんでもない認識不足だったと気づいた。

古いものを押しつぶして破壊し、平然として、新しいものの為に犠牲にしようとする、都市の持つ異常性のようなものを感ぜずにはいられなかった。神田の古本屋街は、世界遺産にでも登録しないと、これから先、生き残って行けないのかもしれない。コンビニの店先で、求める本が簡単に手に入る時代になってしまったのである。本物の古本を売ることができる店以外は、生き残れないのかも知れない。中途半端な古本は、わざわざここまで来なくても、郊外に進出した店で幾らでも手に入れることができる。時代の流れというのは、恐ろしいものだなと改めて思った。

神保町からは内堀通りに出て、お堀の周りの道を皇居の方に向ってしばらく歩いたのだが、右側の堀の中には何年か前と同じく大きな鯉が泳ぎ、所々に住み着いた亀が頭を出し、よどんだ水の中に白鳥が何羽か浮かんでいた。しかし左側は、車の洪水の向こうに、巨大なビル軍が聳え立っていた。明らかに背が高くなっている。かつて目立った東京海上のビルなどは、今ではその赤レンガ風の外壁がなかったら、見落とされてしまうほどの小さな建物に見えた。

和田倉門公園の、石のベンチに腰を下ろし、しばらく噴水と一緒に暮れてゆく大都市東京の雰囲気を味わったが、自分にとって、それは決して心和むものではなかった。巨大な未来の化石が天を衝いて細かな幾つもの灯りをともしているように見えた。私自身が化石人間であることは認めるけれど、今やたらに人が群れ集まるこれらの巨大な建造物は、存外に早く化石化の道を辿るのではないかと思ったのである。

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