山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

つくば市のシセイに思う

2011-04-23 00:54:13 | 宵宵妄話

  今回の大地震の被災者への対応に関する新聞記事の中に、つくば市が福島県からの避難転入者を受け入れるに際して、放射能検査を受けた証明書の提出を求めていたというのがありました。市側の話では「市民に無用な不安を与えない目的だった」ということのようですが、市民の皆さんがこの避難転入者に対する扱いの事実を知ったならば、むしろ余計な不安を一層高める結果となるに違いないように思います。そしてこの対応のあり方は、何よりもまず地震等で被災し、その上に原発事故の被害を受けて二重苦の災難に直面し困惑している人の心を深く傷つけることになります。

 このような行政サイドの取り扱いは、つくば市だけではなく他にも幾つかの事例があったようで、真に残念です。本質的には法律等に基づく自分の保守範囲重視のお役所意識の狭隘さが露呈された感じがします。つくば市長の言では、お詫びと釈明の会見の後で、「少しでも多くの被災者を受け入れ、支援してきたのに、国からは基本的な考え方が一切示されず、一方的な批判は遺憾」と述べられたと書かれていました。ここにも現政府の抜けが感ぜられますが、市サイドが上層当局から指針や方針が示されなければ、緊急いざという時でも適切な判断はできないというのは、よほどに完璧な行政力を持った最高の政府が存在しない限り無理という話になります。そして、地方は自己の判断では自在には動けないということになり、今湧きあがっている地方から政治を改革しようというような動きからは遠い存在となってしまいそうです。

 つくば市には日本の頭脳ともいえる、国の多くの研究開発機関が集まっており、その中心部では新しい都市づくりが行われてきているのですから、行政も一段と良識あるものかと思っていたのですが、その本質はやはり中央依存の旧態依然のままだったのだと、少なからずがっかりし、残念に思いました。

つくば市は、筑波山麓の南面に広がる関東平野の肥沃な平地にある幾つかの町と村が合併してできた所ですから、つくば科学万博の中心地であった研究学園都市という一角を除けば、田園地帯が昔変わらず広がっているわけで、なかなか新鮮な文化都市というわけにはゆかないのかもしれません。私は田舎者を自認していますが、大様(おおよう)さのない田舎者の考え方は好きにはなれません。他人の為にと言いながら、その実は自分のことが先ず大事という狭量な発想は、自らを賢いと思いこんでいる田舎者の賢くない特徴の一つでもあるように思います。今回の放射能検査事件は、どこかにその特徴との共通点があるように思えます。

私は毎週1回つくば市の中心街に通っていますが、街は良く整備され、公園や散策路なども立派です。住んでいる守谷市も良い所ですが、つくば市もそれに引けを取らない住環境だと気に入っています。そのような街づくりの考え方は、つくば市の優れた知恵によるものなのかと思っていたのですが、今回のこの市のシセイ(=姿勢・市政・施政)における出来事を知り、些か過大評価をしていたのではないかと反省しています。街づくりもつくば市の知恵などではなく、国の押し付けによるものに過ぎなかったのではないかと思うようになりました。田舎行政のセクト主義の発想が無くならない限り、つくば市は人口が増えても、このままではいつまでも国際都市にはなれないように思います。

少し話の向きが変わりますが、国とつくば市の関係についてです。つくば市の研究学園エリアは、ある意味で自然との調和を意図した未来都市の要素を取り入れた街づくりがなされていると感じていますが、この中に一つだけ解せない存在があります。それは国家公務員宿舎と呼ばれる、多くの研究機関に働く人たちの住まいのことなのです。解せないというのは、この建物群の中に放置された空き家がかなりあるということです。それらの建物は、中層階のマンションや戸建てのものまでを含めてかなりの数に上っているようです。中には住むのは無理と思われる物件も散見されますが、その殆どは手入れをすればまだまだ使えそうな感じがします。今回の大震災関係では、今のところこれらの建物は全く使われてはいないようです。国というのは随分とまあ大きな無駄を放置しているものだなあと、その建物のあるエリアを歩く度に疑問や疑念が高まるばかりです。

このような事実は、管理を担当していないつくば市にとっては論外の建物であり、関係が無いということなのでしょうが、国も市も同じ目線で見ている我々一般人には、行政における矛盾のようなものを感じないわけにはゆきません。市の中に存在する膨大な公務員住宅の空き家を、そのまま放置している国の無駄遣いの現状を、市の方はどのように見ているでしょうか。

避難所生活を余儀なくされている人たちの仮設住宅の問題が云々されていますが、このような空き家の現状を見ていると、国のやることはプレハブ住宅の建設だけではなく、これらの使える空き家を早急に補修し、活用する手立ても必要なのではないかと思います。現在入居中の公務員の人たちには迷惑な話かもしれませんが、国難の時期であれば、協力するというのが筋ではないかと思います。

特に長期的な避難生活を余儀なくされる福島県浜通りエリアの人たちにとっては、これらの施設は相当に役立つように思われます。

仮にこのような施策が国によって行われた場合、そこに新たに住む人たちはつくば市民となるわけですから、これらの施設の活用はつくば市にとっても無関係ではないことになります。もし避難者に対して市が積極的に手を差し伸べるという考えがあるのなら、市は国に対してこの活用を進言しても良いのではないかと思います。

ま、当事者でもない者がやたら自分の勝手な見解や意見を述べ批判したりするのは、思い上がりの最たるもののような気もしますが、その裏にはつくば市にはもっと頑張って知名度を上げて欲しいと思うからなのです。国内でもあまり目立たない茨城県の中では、つくば市は万博などで少しは名の知れた所のように思います。全国を旅している時には、守谷市などといっても全く誰もその存在を知らず、茨城県すらも知らない人も多いのですが、つくば市は科学技術万博のお蔭なのか、ほんの少し名が知られているようです。

私は、前述のように、つくば市にはもっともっと知名度を高めて欲しいと思っています。研究学園都市エリアを核として幾つかの工業団地を抱え、その成長発展の潜在力はかなり大きい都市だと思うからです。そのためには、前向きの施策で知名度を上げる道を選んで欲しいと思うのです。国内だけではなく国際的にも名を知られるためには、国や県に依存するという感覚ではなく、自立のパワー発揮が重要だと思います。大阪市や名古屋市、横浜市のような発想が基盤となるように思います。人口は少なくても、世界には知名度の高い市が幾つもあります。それらは皆自立した都市です。つくば市もその可能性を持っていると思います。

その意味で今回の放射能検査事件は後ろ向きの知名度アップにつながってしまいました。同情すべきところもありますが、反省の中に批判を含めているようでは、本心が何かが見え見えです。このような考えのままでは、つくば市は永遠に田舎に埋没した町に止まるだけでしょう。ま、それもいいか、という見方もありますけど。どんな理由があれ、困難や逆境に直面している者を逆撫でするような施策を出さない市政を心がける姿勢を確保して欲しいと思います。

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