山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

WBC日本優勝に思う

2009-03-29 00:11:27 | 宵宵妄話

思考停止の状態の中でも、そのようなことに無関係に様々な出来事が起こり、時間が流れてゆきました。その中から幾つかを引っ張り出して、自分の感慨などを延べて見たいと思います。今日は、早くも興奮が醒めかけているWBCの日本優勝についての話題です。

先ずは単純に日本の優勝を喜んじゃいましょう!完全優勝とは言えないとしても、結果を出して頂点に立つことができたのですから、これはもう最高です。銭の無い老人は、午前中の放映でもたっぷりある時間を使いながら、TVの前で焼酎を舐めながら観戦できる幸せを、喜びの拍手で見終えることが出来てとにかく満足でした。これを味わい、嬉しがらない奴は、日本人ではないと断言して、喜んでしまうのが何よりも一番大切なことなのではないかと思います。

そのあとで、ひねた老人はいろいろなことを考えたりしてしまうのです。喜びの中にあるもの、喜びの脇にあるもの、喜びの裏にあるものなどなどを思ってしまうのです。70年近く人間をやってしまうと、出来事の真実と言うのは一つではなく、無数の事実と嘘に彩られていることを思ってしまうのです。我ながら素直でないなと思うのですが、まあ、お許しあれ。その幾つかを記したいと思います。

◇日本チームはイチローが全て?

先ずゲーム全体を通して、WBCがそれを観戦もしくは関心を持つ人々のために開催されているのだと考えますと、それに最大限応えたのは、イチロー選手だったと思います。監督でも活躍した若手でもなく、むしろチームの苦戦の大きな要因となったイチロー選手の不活躍だったのではないかと思ったのでした。最終的に優勝が出来、日本中がその喜びに沸いたのも、イチロー選手の不調を前提とした最後の活躍があったからではないでしょうか。もしどのゲームも平均的にイチロー選手が活躍していたら、却ってつまらない雰囲気となったのではないかと思うのです。期待通りに願いがすんなり叶えられると言うのは、実はあまり面白いものではありません。願いを叶えるために100ある目標の内、99まで期待を裏切られたとしても、最後の一つを実現して、それが最終の目標の達成につながったと言うような状況が、人びとの感動を増幅させるのではないでしょうか?イチロー選手は、まさにそれを身をもって実践してくれたのだと思います。

しかし、観客の側はそれでもう大満足なのですが、ご当人のイチロー選手そのものは、これはもうたいへんな心の激痛・辛苦の中にもだえながらの毎日だったと思うのです。彼は天才などではなく、実に細やかな理論実践の努力家なのだと私は信じて疑いません。天才の部分があったとしたら、それは運を引き寄せる力であり、それもまた努力の結果なのだと思っています。今回のチームに「サムライ」という名前が付けられましたが、このチームの中で本当にサムライだったのは、イチロー選手を筆頭とした数人ぐらいではないのかと私は思いました。

ガムをくちゃくちゃ噛みながらゲームをしている奴はサムライなどではありません。私の中では、「サムライ(侍)=武士」というイメージがあり、戦いに向う武士が戦いの前に飯を食うのは当たり前としても、命を賭けての戦の最中に口の中にものを入れてくちゃくちゃやっているのは、言語道断であり断じてサムライの資格など無いと思います。侍というのは、精神だけで語るものではなく、形に於いてもそれを具現する者でなければならないと思います。侍というのは、生死をかけて戦う故に、悩み・苦しみながら己を鍛えて平常心を求めるのです。くちゃくちゃやりながら苦しむという手もあると思いますが、それは武士道とは無関係の世界の話です。

◇韓国という素晴らしいライバルの存在に感謝

野球というゲームが、本場のUSAを置き去りにしてアジアの小さな二国がその頂点を争うと言う現実は、この両国国民のライバル意識の熾烈さにあるように思います。日韓の過去の不幸な歴史が、韓国をしてこのゲームを燃え立たせる最大の要因なのかも知れませんが、その怨とか恨とかいわれるものも少しずつ浄化されて、本物のライバル意識となりつつあるような気がします。切磋琢磨(せっさたくま)ということばがありますが、怨や恨などから解き放されてお互いの力を磨いて競う時に、そこに感動の結果が招来するのだと思うのです。野球というゲームにおいては、日韓はこれから先も素晴らしいライバルであって欲しいと思います。

私は韓国と言う国には未だ一度も行ったことがありません。だからその現実がどうなのかは分らないのですが、儒教の国と言うことでは、日本の師に当たる歴史を重ねていることを疑いません。日本の文化の発展は韓国の恩恵を抜きにしては考えられないと思っています。北朝鮮は儒教を捨て、訳のわからない軍事独裁の国に成り果ててしまっていますが、この国だって歴史を辿れば日本とは大いに関わりがあり、本来友邦であったのです。今でも朝鮮を蔑視する向きの人がいますが、その人は天に向かって唾を吐いているような自分に気づいていない人だと思います。なぜなら、もしかしたら日本人と言われる民族の大元は朝鮮からの渡来者である可能性だってあるのですから。

今回は5戦して日本が辛うじて勝ち越しましたが、7戦すればどうなるかは判らない話であり、韓国という素晴らしいライバルがいて初めて日本が力を伸ばしうるのだと言うことを肝に銘じる必要があると思います。

◇USA・カナダは本気なのか?

もう一つ不思議なのは、野球発祥の地であり、大リーグに30球団も擁しているUSAやカナダという国が、本気でこのWBCに参加しているのだろうかという疑問です。その答えは明白です。カナダはともかく、USAなどは全くのお付き合いのためのお遊びでしかないと思っているに違いありません。まあ、それなりにメンバーを選んで(といっても、誰を選ぼうが全員大リーガーに違いないのですが)ゲームには参加していますが、選ばれた彼らには、何が何でも勝つなどという大それた思いなど全く無いと思います。怪我をせずに、なるべくなら負けないようにするという程度のことが参加選手の共通意識なのでしょう。それは彼らのゲームでのプレーの様子を見れば自ずと判ります。メジャーリーグでの戦いぶり、とりわけてワールドシリーズの戦いぶりなどから比べれば、全く戦意の上がらぬこと夥(おびただ)しい感じがするのです。負けてもあまり悔しがらないのも見て取れます。

各国はそれなりに国を挙げてのチームとしての意識を持ってゲームに参加しているのに、なぜ肝心のUSAが本気にならないのでしょうか?その最大の理由は、何と言ってもUSAではメジャーリーグが第一であり、WBCなどと名を打っても、そのような謂わば枝葉のチームの集まりの大会など、騒ぐほどのものではない。ということなのでしょう。そのようなUSA大リーグのプライドがそこにあるのだと思います。

そして何よりも思うのは、USAの利得主義といったものです。私はUSAというのは、善悪でものごとを判断するのではなく、損得での意思決定を最優先する国だと思っています。これが無ければ尊敬できる国なのですが、アメリカンドリームなどと一見美しく輝く自由のムードも、皮を剥がせば損得の美醜に過ぎない空しさを感じて、どうも心が許せないのです。その最たる出来事としては、京都議定書の批准問題があります。地球をダメにしても自国の利益を優先するという思想が明白に示された事件でした。国際社会における他の多くの問題も、USAは国益優先を表に出さないようにしながら、決して損をしないような政治経済の運営を図っているように思うのです。ま、この発想は何もUSAだけではなく日本を含めて世界の全ての国が国益をないがしろにするなどということはありえないのですが、何と言っても世界での最強国がこのような発想むき出しなのですから、始末に終えないなと思うわけです。

というわけで、この考え方をWBCに当てはめれば、USAとしては、この主催は大リーグ機構と大リーグ選手会によるものであり、ショービジネスの一環として収益に供するか否かが重要であり、国を挙げての戦いぶりなど、とんでもない見当違いの話だということになるのでありましょう。ですから、参加する選手も勝利そのものよりも、ビジネスとしてのリターンを確保できれば、それで十分という発想となるのだと思います。大リーグのプライドなど、本番のメジャーリーグで示せば良いことと割り切っているに違いありません。この辺が言ってみれば利得に長けた大人と子どもの違いということになるのだと思います。

公平感のない訳のわからない組み合わせ、審判の不明確さなどゲームの運営には明らかに不透明の感が否めないものが随所に見られるのも、最終的にビジネスとしての興行に益するのであれば、大した問題ではないと考えられているからでありましょう。善悪の物差しよりも損得の物差しの方がはるかに優先されていることは明らかです。そして、日韓を初め、各国がそれなりに燃えてくれたことが興行に大いに貢献してくれる結果となり、従ってこの興行は大成功だったというのが、USAの野球関係者の本音なのだと思います。とにもかくにも、朝日新聞の解説記事によれば、興行の収益の7割弱はUSA(大リーグ機構と選手会)のものであり、残りの3割を他の国が分け合うというらしいのですから、この世界ではこれはもうUSAの一人勝ちというしかありません。(少し悪意が強すぎる解釈かも)

しかし、最後に思うのは、USAのこのような考え方が、やがては野球というゲームをダメにしてゆくのではないかという懸念です。ゲームの中に損得だけではない要素がたくさんあるのをきちんと受け止め、それを力にしたビジネスを展開しなければ、やがてはUSAのベースボールもその魅力が縮小されてゆくに違いありません。メジャーリーグでは、これから先も益々各国の有力選手を集めることになるのだと思いますが、その国際化が進むにつれて、WBCが現在の主催者の手を離れてゆくことも考えられ、むしろそう願いたいものだと私は思ったりしています。金まみれのスポーツは美しくないと思います。運営費+αで、どの国も本気でゲームに参加するような大会であって欲しいと願っています。ま、生きている間は無理でしょうから、あの世から観戦することにしましょう。

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