山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第54回>

2018-07-18 05:50:54 | くるま旅くらしの話

【今日(7/18)の予定】 

千望峠駐車場 →(R237他)→ 旭川トヨペット富良野店(オイル交換) →(R38)→ 道の駅:芦別 →(R38他)→ 芦別市星の降る里百年記念館 →(R38・D)→ 歌志内市郷土館夢つむぎ → 道の駅:うたしないチロルの湯(泊)

 

【昨日(7/17)のレポート】 天気:晴れ夕刻から曇り

<行程>

千望峠駐車場 →(R237)→ ファーム富田 →(R237)→ 中富良野町郷土資料館 →(R237)→ 富良野市博物館 →(R237)→ 千望峠(泊)

<レポート>

 昨夜は1時頃には目覚めて、もうその後は眠れないので起き出し、ブログを書いて投稿した後、もう一度眠ることにして寝床に入る。4時半頃カラスが天井を歩く音で目覚める。直ぐに外を見てみたら、上富良野の市街はすっかり雲海に包まれて、その向こうに十勝連峰が黒く連なっていた。1時頃に外を見た時はこの地も霧に覆われていたので、もしかしたら夜明け頃には山が見えるのではないかと期待して寝床に入ったのだが、それが的中して少し興奮した。早速気がえてカメラを抱えて外に飛び出す。邦子どのも起き出したようだが、外に出る気はないらしい。

 この千望峠の駐車公園は、上富良野八景の一つに入っており、景観美の素晴らしい所である。公園の下方の庭を下って、電線が邪魔をしない場所まで歩いて行き,何枚か写真を撮る。山の写真は難しい。なかなかその大きな景観を表現できるものではない。十勝岳が煙をたなびかせているのが見えた。雲海が少し崩れて山の裾野を帯となって漂っていた。山の景観はアッと言う間に変化するので、油断ならない。どうにか撮り終えて車に戻る。

今朝の千望峠から見た十勝連峰の景観。この少し前までは、下方の上富良野の街は全くの雲海の中だった。

 さて、今日は中富良野のファーム冨田の花を見るのが第一。そしてその後は中富良野町の郷土資料館を訪ね、そのあと富良野市の博物館を見る予定である。そして朝一番で邦子どのが調整して、横須賀在住の親しき知人今北さんご夫妻とこの千望峠で落ち合うことになっている。今北さんと会うのは4年ぶりどころではなく、もっと時間が過ぎてしまっている感じがする。お互い会わなかった否会えなかった年の数だけ歳をとったことになる。お元気そうな声を聞いて安堵している。今夜が楽しみだ。

 朝食はファーム富田の駐車場で摂ることにして、5時過ぎに出発する。いつもの砂利敷きの駐車場に着いたのは15分後くらいだったか。まだ朝食には早すぎる時間なので、少し町の散策に出かける。朝霧の中だった町はすっかり姿を現して、今度は十勝の山々が見えなくなっていた。中富良野の町を歩くのは初めてである。町の裏通りとなるのか、そこにスキー場があって、今頃の季節となるとラベンダーなど何種類かの花が植えられて、とても目立つ存在になる。初めて富良野を訪れた時は、そのラベンダー畑を見て、あれが有名なファーム富田なのかと勘違いしたのを思い出す。今朝のフラワー公園は未だれベンダーなどの花が咲き揃っていなくて、やや中途半端な表情をしていた。公園を過ぎてその後役場の方へ行って見た。この辺りに郷土館があるのではないかと探したのだが、見つけることは出来なかった。後で調べることにして、その後JR中富良野駅を覗いて見た。無人駅で誰もいない。列車の本数を見たら、1時間に1本に満たないようだった。もはや鉄道の時代は遠くへ行ってしまっているというのをここでも実感した。線路を跨ぐドームになっている通路を通って、上の方の道に出て車に戻る。丁度1時間ほどの散策だった。青空が見え始めて今日は上天気となりそうだ。邦子どのは早速カメラを抱えて出かけて行ったようなので、一人パンをかじってスープを飲んで朝食を済ます。

 一休みの後花見の本番へ。戻ってきた邦子どのの話では1週間前とは大分違っていてラベンダーも見ごろに近づいているということだった。期待が膨らむ。今日は花の写真を撮ることにして、いつもの小型カメラではなく、望遠レンズのついた方を持参する。カメラは自分のよりも邦子どの方がレベルが上である。腕ではなく機材の方である。腕の方も上なのかもしれない。先ずは彩の畑と呼ばれているらしい左手の丘の方へ。ここはラベンダーを中心に数種類の花が150mほどあると思われる長い畝に幾筋も植えられていて、その見事なコントラストは見る人の心を奪いときめかせるようである。大勢の人たちが写真を撮るなどして、感嘆の声をあげていた。何度も来て見ている風景なのだが、いつ来て見てもいい。4年ぶりのその景観は、以前と少し変わってはいたが、やはりここは彩の畑なのだと思った。

ファーム富田の彩の畑の景観。いつ見てもその感動は変わらない。

 その後はもう一つの花人の畑という、こちらは丘ではなくまさに大型の花畑そのものである。ここには凡そ1本が100mほどの畝にマリーゴールド、サルビア、金魚草など色とりどりの花が数10本も行儀よく並んで植えられていた。勿論その他にもラベンダー畑もあって、紫の花と香りをたっぷりと味わわせてくれていた。何しろ人が多いので、それを避けて写真を撮るのは神経を使うこととなる。半分くらいは外国からの観光客のような感じがした。その他別のラベンダー畑も回って、一通り撮影を終えて車に戻る。10時半近くになっていた。自分としてはもう充分なので、写真を撮るのは止め、園内に湧水があったので、それを汲みにポリ短とペットボトルを持って往復する。僅かな水量なので、計6Lを満たすのに15分ほどかかった。冷たい水は美味そうだった。

ファーム富田の花人の畑の景観。人工的なのだが、そこに植えられた花たちの気持ちをいかに表現するかの花人たちの工夫が伝わって来て、やはり感動せずにはいられない。

 そのようなことをしている内に邦子どのが戻ってきた。相当に歩きまわってきたようで、汗びっしょりになってのご帰還だった。この人は夢中になると疲れを忘れ、正気になるといっぺんにそれを背負い込むという困ったタイプの人なのである。明日辺り何やら問題が起きなければいいがと思ったりした。時刻は11時を少し過ぎていた。

 これでファーム冨田を切上げることにして、過ぎ近くにある中富良野町の郷土館を訪ねることにする。郷土館は役場のすぐ近くにあり、児童館と一緒だった。早速中に入り受付を済ませて見学を開始する。町の歴史に関心があって、どのような経過を辿って今日の町が出来たのか、特に富良野と名のつく自治体は1市3町(富良野市、上富良野町、中富良野町、南富良野町)もあり、それらがどのような関わり合いを持って今日に至っているのか知りたかった。ここで判ったことは、中富良野町は上富良野町から別れて誕生しているということだった。詳し経緯などはここには書かないけど、これで一つ謎が解けた感じがした。

 その後は富良野市にある博物館を訪ねて向かうことにしたが、昼時でもあるので、富良野市内のレストランで食事を済ます。明日SUN号のオイル交換を依頼しようと考えているトヨタの場所を確認したりして、間違いや迷いがないよう万全を期すことにした。そのあと、博物館に行く前に邦子どのがメロンをいつも購入している郊外にある嶋田農園という所に、そろそろそれを欲しがっているのではないかと思い、出向くことにした。ファーム冨田ではメロン売り場に人が乱れていたから、恐らくそれを思ったに違いない。メロンが好きな人なのである。因みに自分の方は全く関心なし。果糖は糖尿の天敵だと思っているし、元々甘いものは好きではない。だから邦子どのはライバルがいないので安心してメロンを食べることができるのである。嶋田農園へ行ったら、この4年の間に売り場がすっかり変わっていて、とても買いやすくなっていたのでびっくりして。2個ほど買ったようだが、過ぎに食べられるものはなかったようで、しばらく待たなければならないようである。

 その後は、富良野市博物館へ。博物館はてっきり富良野市街地に近い方にあるのだと思って、その方へ向かったら、ナビが突然最初の距離の倍近く時間がかかる表示をしたので驚いた。どうやら反対方向へ向かってしまったようだった。ナビに従って行くと、やはり勘違いしていて、博物館があるのは山部地区という所だった。元学校の校舎を使っているらしく、かなり広いスペースを使ってたくさんの展示がなされていた。ここで富良野歴史の概要を知ることができた。富良野地区というのは十勝の山並みと夕張山系の山並みに挟まれた盆地に位置して、開拓の当初は一括しての治世の対象となっていたのが、開拓が始まると上富良野と下富良野の二つの村が生まれ、やがて上富良野から中富良野が分村して誕生し、一方の下富良野からは、南富良野と山部村が分村して生まれ、やがて下富良野が富良野と改称してしばらく経って、その富良野と山部村が再び合併して富良野市が誕生したということなのだった。現在4つある富良野と名のつく自治体は、そのような経過を辿っているのだと理解した。これらの現在の姿は、何年か後には再び大合併して一本化への道を辿るのかなと思ったりした。詳細は資料を見てから確認することにして、何だか一つの謎が解けた感じがして嬉しかった。

 この博物館の見学では、もう一つ嬉しい出会いがあった。2階で資料室を見た後廊下に出ると、どこか見知らぬ方から声をかけられた。ご夫妻でお出でになったらしいのだが、そのご主人の方から自分の名を呼ばれて、そうですと返事すると、その方は実に嬉しげにようやく会えたというお顔で、自分がここに車を止めてあるのを見かけて急ぎ入って来られたのだという。お話では6年ほど前に別海町のキャンプ場でお目にかかった時に、初めての旅だったその方に旅の記録のようなものをお渡ししたようで、それ以来自分のブログを見ておられて、どこかでの再会を期されていたというお話だった。ところが自分の方は一向に記憶が思い出せず大変失礼してしまった。でもこのような出会いは何よりも嬉しいことである。横浜在住の渡辺さんご夫妻は、ご主人はまだ現役の方で、間もなく船に乗って帰途に就くというお話だった。そのあと邦子どのも加わってしばらく話が弾んだ。もう少し時間があればたくさんの話ができるのに、ほんのわずかな出会いの時間が心残りだった。渡辺さんご夫妻、もう一度お会いしましょう、そして今度はゆっくり歓談しましょう。ありがとうございました。

 その後は今日の宿の千望峠に向かう。今夜は大切な旅の知人の今北さんご夫妻との再会が待っているのだ。16時少し前に峠の駐車場に着いて、今日は先着の方が居られたので、昨日とは違う場所にSUN号を停める。待ち焦がれていた今北さんご夫妻の車は18時過ぎに到着された。5年ぶりとなるのか。お互い元気で無事での再会を心から嬉しく思った。昔(?)の旅の仲間も何時かしら少なくなって、この4年ほどのブランクの間にくるま旅の世界も大きく変化してきているのを実感しているのだが、こうして再会が叶うのはとても貴重でありがたいことなのだと思わずにはいられないのである。

 その後は俄かに4人でのポトラックパーティとなり、深更まで話が弾んだ。それをここに書くのは無理というものだ。いや~、実に楽しかった。少し飲み過ぎたのか、それとも話に酔ったのか。嬉しく楽しい時間だった。

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