あまり気にも留めずにぼんやりと過ごしている内に、喪中欠礼のはがきが届き始めて、もうそんな時期になったのかと驚かされたのでした。一応年賀状の方は郵便局に勤める友人を持つ倅の要請で、毎年販売開始時期に買うことにしており、既に準備済みなのですが、印刷は時期尚早なので、しばらくは忘れてしまっています。実際に印刷を始めるのは、いつも12月の半ば過ぎとなっています。年賀状を出す前に、その印刷枚数を決めるには、昨年の実績と喪中欠礼のはがきの届くのを待ってからということになるのですが、このはがきが届く頃になると、一段と今年が終りに近づいたのを実感することになります。
今年の最初の喪中欠礼のはがきは、富山に住む大切な知人の奥さんからのものでした。何とその知人本人が、この4月に亡くなったというのです。これにはショックを受けました。今年の1月に病で術後の療養をしているという便りを貰って驚いたのですが、回復に向かっているというような内容だと理解し、直ぐに手紙を書いたのですが、その後旅に出掛けたりしている内に、気にしながらもまさか亡くなるなどとは夢にも思わず、来年は旅のついでに寄らせて頂こうなどと考えていたのでした。亡くなられてから半年も過ぎてしまっていたとは、知らなかったとはいえ、何とも申しわけない気持ちで一杯です。
彼は自分よりも五つも年下でしたから、これからが仕事をリタイアした後の、何ごとも一番自在に楽しめる時期だったのに、真に残念なことだったと思います。ここ3年ほど会っていなかったので、彼が取り組んでいた蕎麦打ちの腕も相当に上がった筈だし、来年は是非それを賞味させて頂こうなどと、真にノーテンのことを想っていた自分が恥ずかしく、情けない奴に思えてなりません。
それにしても人の運命というのは非情なものであることを思い知らされます。恐らく喪中欠礼のはがきの中に記された全ての故人に係わる人たちは、同じようにその非情さを実感されているに違いありません。今年元気な人が来年も元気でいられるかどうかには何の保証もないのです。いや、そんなに長い時間ではなく、厳しく考えれば、今日の命が明日につながるのかどうかもわからないのです。この時期になって、喪中欠礼のはがきを頂く度に、その非情さ、無情さを感じています。
ところで、自分自身のこの頃は、残りの時間を数える傾向が強くなり出しました。それもネガティブな数え方に染まり出しています。つまり、良く使われる例えで言えば、半分になったジョッキの中のビールを、あと半分しかないと嘆くのか、そうではなくあと半分も残っていると喜ぶのか、という話ですが、この頃は嘆く方が増えて来ているということです。
自分の寿命を80歳と仮定した時、これを誕生からの1日(=24時間)の時計に換算すると、生まれたのが0時ならば寿命をまっとうした時が24時となるわけですが、現在の自分は21時33分くらいのところまで来ている計算になります。1年が18分という計算になりますので、1940年12月生まれの自分はその時刻に生きていることになるのですが、終りが24時ですから、残りはあと2時間半足らずということになるわけです。21時半というのは、そろそろ眠りに就く時刻でありましょう。つまり24時が来て眠る前に、いつ睡魔が襲ってきても不思議ではない時間帯に入ったということなのです。
そろそろ準備をしておく必要があるのかもしれません。何を?かといえば、それは死計です。人生五計あり。生計、家計、身計、老計、死計の5つの企て、すなわち計画ですが、最後の計画が死計ということになります。死計の前に老計がありますが、思うにこの老計と死計とはセットになって作らなければならないもののようです。
今日の先ほどのニュースで、女優の森光子さんがお亡くなりになったということですが、この方の老計も死計もお見事だったように思います。打ち込めるものがあって、どんなに歳を重ねても、新たな境地を求めて生き、気がつけばこの世とおさらばしていた、といった生き方がそれに当たるような気がするのです。つまり、打ち込めるものがないと良い老計も死計も作れないということなのかもしれません。
この頃ネガティブに残りの時間を数えるようになっているのは、自分の打ち込むべきものが少しぐらついているからなのかもしれません。遺言や弔いについてのオーダー、或いは己の尊厳死への注文などを書いて残しておくことが死計だなどとは全く思ってもいません。そんなことよりも、打ち込めるものへの迷いを断ち切ることが、今の自分には一番大切なのだと改めて思っているところです。つまりくるま旅を通して拾った宝物についてのエッセーのようなものを、迷いを払いのけてしっかり書くことが、自分の老計・死計の成り立ちの核となるのだと思っています。
毎日届く喪中欠礼のはがきを見ながら、自分に残されている時間を数えつつ、同世代の人たちはどのような思いを深めつつ生きているのだろうかと、改めて想ったのでした。
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