山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

暦年比較表に思うこと

2014-02-10 07:18:42 | 宵宵妄話

  昭和から平成と年号が変わってから、早や26年目を迎えている。この頃ほんの少し過去を振り返ろうとする時、あれは、いつだったか、何年だったか?と、西暦や和暦の年号などがはっきり思い出せず、調べるのに手間がかかるので、暦年の比較表を作って机近くに貼っておくことにした。その表の範囲は、自分が生まれた時から、この後生きている可能性のある90歳辺りまでである。暦の項目は、西暦・平成・昭和・大正・明治の区分とし、ついでに自分の年齢も入れることにした。それを眺めていると、なかなかに面白い。今年は、2014年で平成26年だが、昭和通算では89年、大正では103年となり、維新後の明治では、147年目となっている。

過去を振り返ってみると、自分が生まれたのは昭和の15年で、それは1940年だった。これは勿論承知しているけど、大正では29年であり、明治は73年だったことに初めて気づいた。江戸時代の終りから僅かに70年と少ししか経っていない自分の生れなのだった。明治も大正も遠い過去の時代のように思っていたけど、とんでもない錯覚だったというのを思い知らされた感じがした。このようなことは、この暦年比較表を作ってみるまでは、全く考えてもみなかったことである。10年刻みで生まれたその後を辿ってみても、様々な「あの時」が何年だったのかというのが確認でき、その頃が思い出されて懐かしい。

今現在を明確に自覚するために、今年の欄を赤字で表記することにした。そこからは、過去を覗き見て思いを馳せるよりも、これからの未来に残された時間を数えてみることにした。驚いたことに、90歳という年齢到達までに、既に20年を大きく切っているのである。90歳というのは、自分的には生き過ぎだと思っているのだが、88才までくるま旅にゴーゴーということで、旅車のナンバーを「88-55」としている。それを本気で目指しているわけでもなく、ジョーク程度の思いしかない。というのも、これから先どんなに健康を気遣い、鍛錬を課すなどという保持策をとり続けたとしても、老化を防ぎ抑えることは不可能であり、思い通りに動けるのは、せいぜい80歳のホンの少し先辺りまでであろう。90歳まで生きて居られたとしても、もはや旅を続けるなどというのは、周辺からは危険な自殺行為とひんしゅくを買うに違いない。そのことを思うと、くるま旅を楽しめる残りの時間は、様々な障害を避けることが出来たとしても、あと精々(せいぜい)10年そこそこということになる。残りは本当に少ないのだなと、改めて思ったのだった。

 この比較表を作ることにした一番のきっかけは、いつ守谷市に越して来たのかというのを曖昧に記憶していて、直ぐに忘れてしまうので、これを何とかしようということからだった。その他、2000年は平成何年だったかなど、時々思い出す必要があることが気になっていのである。改めて表を見て確認したのは、守谷には2004年に住み始めたということである。それから今年でちょうど10年となった。あと10年生きると、この地に居を構えて20年となり、それから3年経つと、守谷のこの地が生まれ育った故郷での時間を超えて、我が人生最長の暮らしの場所としての時間域に入ることになる。その時まで生きていられるのかどうか分らないけど、もし生きていたなら、その時87歳になる自分は、一体どの様な生きざまをしているのだろうか。10年と少し先の未来には、興味よりも不安の方が大きく膨らむ。2003年に仕事を引退してから既に10年以上が過ぎており、もはや残りの人生時間の半分近くを使ってしまっているのだ。改めて愕然という思いがする。

     

我が年歴比較表。74歳をスタートとした時、80歳で終わりとなる設計の人生時計は、あと6年(=2時間10分足らず)。運良く88歳まで生きられたとしても、あと14年しか残っていない。

 しかし、少しずつではあるけど、それなりの覚悟は固まりつつある。いわゆる老計・死計の実践である。PPK(=ピン・ピン・コロリ)がその目標の中核をなしている。PPKを達成するためには、何よりも健康でなければならない。このことは何度も書いたりしていて、揺るがぬ信念であり、そのために身体の鍛錬を怠らぬようにしている。今のところ、糖尿君以外は変な病は取り付いていないので、安堵しているけど、明日は判らない。又、健康には身体だけではなく、もう一つの重要な側面がある。それは心の世界を健康に保つということだ。具体的には、生きがいややりがいを持ちながら「活き活きと生きる」ということであろう。今の自分には、くるま旅を通じての出会いの宝物探しがあり、更にはそれらを書きとめる物書きの仕事がある。幸いと言わなければなるまい。この二つの生きがいは、あと13年を掛けても完了できないテーマを一杯含んでおり、突然PPKの時がやって来てしまったら、その時は悔いが残るかもしれない。しかし、悔いの残らない人生などある筈がないと思っており、これ又覚悟の内である。

 人は、生きている間は不安を抱えながらも意外と楽観的であり、自分が何時死ぬかなど考えもせぬまま老を迎え、それを受け入れながらも内心では否定、抵抗しつつ、現実を生きている様である。だから老計や死計など本気で考えるようなことはしないのかも知れない。ま、それはそれでいいのではないか。もはや他人様にとやかく言うこともなかろうと思う。ただ、自分のことは自分で始末すればいいだけのことなのだ。そう思いつつ、暦年比較表の自分に残された未来の時間のことを思ったのだった。それにしても、残酷な表を作ってしまった。

コメント
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