山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

筑波山登山の記(第18回)

2014-02-19 22:27:54 | 筑波山登山の記

<第18回 登山日 2014年2月18日(火)>

 2月に入って、野暮用が続き、加えて登山にチャレンジしようかと決めた途端に雪などが降り、しかもそれがとんでもない大雪で、残雪や凍結の心配が重なって、とうとう半月以上、登山には手も足も出せない状態が続いた。先週末に降った今月2回目の大雪は、未だに山梨県や奥多摩・秩父地方それに群馬県の山沿い内陸部に甚大な被害や影響を及ぼしているけど、幸いなことに関東平野東南部では降り積もった雪が後半の雨で大方解け去って、消えたので、今日は思い切って今月初の筑波山登山を決行することにした。今週も又雪降りの可能性が週半ばにあるというので、まさに今日行かなければ、いつになる、という意気込みだった。

まだ少し雪が残っているかもしれないので、早朝の暗闇登山は控えることにして、明るくなってからの登山開始とすることにして、6時過ぎ家を出発する。この頃は日の出がかなり早まって、1月初め頃よりも30分ほどの差があり、いつもの駐車場に着く前の6時半には、車の中から東に登る朝日を拝することが出来た。明け方に玄関から見た空は澄んでいて、西に満月を過ぎた寝待ちの月が輝いていたのだけど、その後は次第に薄雲がかかって、何だかスッキリしない空に変わってきていた。駐車場は梅林近くにあり、来週から梅まつりが開催されると、ここに車を止めて登山というわけにはゆかなくなりそうである。しかし、今日は未だそのムードは全く窺えず、梅の花もさっぱりのようだし、登山者の方も数は少ない感じだった。

雪解けの水が道路にあふれ出している箇所があり、その一部が凍って滑り易くなっているのを避けながら登山口に向かう。今回もいつもと同じように筑波神社脇からケーブルカーに沿って御幸ヶ原に出るコースを行くことにした。今回で18回目となり、そろそろ別のコースにチャレンジすることにしたいとも考えている。ケーブルカーの宮脇駅までは、雪など全く残っておらず、何の心配もなかったのだが、少し登って杉の林に入ると、登山道の様子は一変して、残雪が解けたのが階段に止まって凍りつき、滑り易くなっており、真に歩きにくい状態となっていた。

今回は先日作った初めて使用する杖を持参している。樫の古木の枯れた枝を削って、サンドペーパーを掛け、ニスを二度塗りして乾かしたもので、金剛杖ほどの長さは無いけど、一応は登山に役立つようにつくり上げたと思っている。初めて使ってみたのだが、使い心地はまあまあだ。凍っている雪の道では少し使いにくいのは仕方がない。アイゼンには思いが至らず、この杖を使えばまあ、なんとかなるだろうと思いながらの前進だった。実のところは,アイゼンは用意すべきだったと、登るにつれてそのような気持ちが大きくなって来ていた。

途中ケーブルカーの中間点を過ぎ、しばらく登って男女川の源流地点を過ぎ、御幸ヶ原まであと600mほどとなる階段開始近くの所に差し掛かった時、ちょっと油断した隙に杖が手から離れてしまった。しまった!と思ったけど、何とか近くで止まってくれるものと思っていた。ところが、いつもなら近くで止まってくれるはずの杖は、登山道を外れて樹木下の藪の中に入り、そこに残っている表面が凍った残雪の上を滑落して、どんどん下の沢の方に落ちて行くではないか。おい、おいとあわてて追いかけようとしたのだが、凍りついた道は駆け歩くことなどとんでもない話で、もたもたしている間にたちまち見えなくなってしまったのである。それでももしかしたら途中に引っ掛かって止まっているかもしれないと思い、50mほど下ってみたのだが、それらしきものは全く見当たらず、諦めざるを得なかった。

急に手ぶらとなってしまい、何だか頼るものが消え去った感覚で、このまま杖なしで上ることへの不安が膨らんだ。さりとて、下るのはもっと危険で、しばらくどうしたものかと己のドジを嘆くのも忘れて困惑した。結論として、とにかく上るのは何とかなりそうなので、予定通り男体山の頂上まで行くことにした。同時に、このままの状態では下まで降り切るのはとても難しいと判断し、下りは悔しいけど歩くのは止めてケーブルカーを利用することに決めた。何だか中途半端な登山となってしまうけど、無理をして危ない思いをするよりはましだろうという判断だった。

男体山の山頂は日陰の方には残雪が多くあったが、日のあたる部分も多くて、そこは杖なしでも歩くのに困ることは無く安堵した。今日は晴れの天気の割には眺望が利かず、富士山は全く見えなかった。まだ空の方は機嫌が直っていないのだなと思った。この分だと、今週も雪を降らせるような空がやって来るのかもしれない。困ったものである。男体山御本殿にお願いしたのは、いつまでも冬の顔をして愚図ついていないで、スカッといい天気を運んで下さるように、天の神様に忠告して欲しいということだった。直ぐに下山を開始する。

     

今日の男体山御本殿。周辺に積もった雪がそのまま凍りついて残っている。この反対側は東と南に位置しているので、雪は解けて消えている。標高が871mともなれば、そう簡単に雪は消えないようだ。

今日の御幸ヶ原には、人影は見られなかった。ケーブルカーは9時20分が始発で、20分間隔の運転である。切符を買って、乗り場に止まっている車両に乗る。ケーブルカーは上りと下りを交互に行き交う2台の車両があり、夫々に「あおば」と「もみじ」という愛称が付けられている。今日の9時40分発の下りは、「あおば」の方だった。客は自分一人だけで、運転手と合わせてたった2人の車内だった。それでも運転手の方は、満員のお客さんが乗っている時と同じ内容の挨拶をしていた。ここのケーブルカーに乗るのは、昨年から登山を開始して初めてのことだった。それ以前に乗ったのは、中学1年生の遠足の時だったのだから、60年ぶりということになる。とにかく久しぶりなので、妙に興奮して、立ったり座ったりしながら写真を撮りまくった。車両の前方のガラスに当たった光が乱反射して、窓越しに撮った写真は殆ど全滅に近かった。麓の宮脇駅に着くまで10分足らずの短い旅だったけど、いい経験だった。切符は、記念に持ち帰ることにした。

     

下りの車両から見た、中間点付近の上り車両の姿。この左側の方に登山道が隣接している箇所があり、登山時の目印の一つとなっている。この付近につくばねという小樹木があるらしいのだが、まだお目にかかっていない。

宮脇駅付近には、福寿草の花園があって、丁度今が花の最盛期だった。福寿草祭りという幟も立っていて、観光客の呼び込みに力を入れているようだった。せっかくなので、しばらくその花園を眺め、写真を撮ることにした。福寿草は早春の花である。黄色い花びらは、少しドライがかっていて、一見造花のように見えることがある。しかし、大地の厳しい冬のエネルギーを吸い上げて咲く、その力強い咲きっぷりは、他の冬を越す花には無い生命の輝きがある。点在する花を眺めながら、もう雪などに関係なく春は我らのものだと思ったりした。

     

福寿草の一株。寄り添うようにしてたくさんの花を咲かせていた。この周辺には数百株の福寿草が点在して花を咲かせているのが見えた。早春のシンボルの花の一つである。

予定より少し早い下山時刻となって、車に戻り帰途に就く。失敗半分の登山だったけど、時にはこのような出来事もあるのであろう。ま、同じ失敗を繰り返さないよう、握力の衰えて来ている老人は、自戒が肝要である。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする