このところ筑波山登山のチャンスが潰れ続けている。雪などが降って、天候不順が大きな障害となっている。何しろ駐車場が300mほどの高さにあり、雪が降ると、解けた水が凍りついたりして危険なので、山の神の許可が下りそうもない。強引に行って、何かあったりしたら、お叱りなどで済む筈がなく、病気になどになられてしまったら大ごとなので、しばらくは我慢するしかない。日中に登ればいいのだとは思うけど、他の人に邪魔されることなくマイペースで登るには、やはり早朝に出掛ける方が無難だ。今月に入ってから、何かと野暮用が続いており、天気が回復しても用事が詰まっている日が多いので、もうしばらく登山はお預けとなりそうである。
毎朝の歩きは、雪が降り続いた日を除いては継続しているけど、ここ2~3日は負荷を掛けると足元が不安定となって危ないので、登山靴だけを履いて、ただ黙々と歩いているだけである。このような歩きだけでは、ストレスは減るよりも増える方が多くなってしまうようだ。今月に入っての歩きは、現在累計18万歩と少し、1日平均が約1万6千歩となっている。まあ、歩数的にはよく歩いている方だろう。誤差があったとしても、1日8km以上は確実に歩いていると思う。何だかもの足りなさの不満はあるけど、それでもこの歩きの中では、春の到来を感ずるのが嬉しい。
二月に入って間もなくの頃、毎年楽しみにしている野草たちが花を咲かせているのに気づいた。自分だけが勝手に春告草と呼んでいるオオイヌノフグリとホトケノザの花たちである。この二つの野草は、条件さえ良ければ、真冬の寒さの中でも日溜まりに花を咲かせているのだけど、二月に入ると咲かせている花の輝きが違ってくるのだ。春告草は楚々としたブルーの花びらに力が加わり、ホトケノザは赤紫の唇状花が一段とその濃艶さを増すのである。これを見つけた時、ああ、間もなく本物の春が来るのだなあと気づくのである。
私の春告草。薄いブルーの小さな蝶のような花を咲かせているのはオオイヌノフグリ。そして濃艶の花はホトケノザ。もう大地には確実な春の証が示されている。
今日(2/10)は雪の残る道を、時々足元の凍てついた地面に足をとられながら二時間ほど歩いたのだが、道脇の雪の残る空き地の中に、花を咲かせている猫柳に出会った。少し頬を赤く染めた色の、ふっくりとした膨らみの猫柳は、雪の中でも春の到来をしっかりと教えてくれるのが嬉しい。先日は紅梅の梅の花に感動したのだけど、この猫柳にはまた別の味わいがある。生け花などではなく、大地にしっかりと根を張って、生命(いのち)を輝かせている姿は、神々しさを覚えるほどである。
猫柳の花。雪の中に花穂に雪のような白い綿にを包るまれて、そこにはほんのりとした春のふくらみを感ぜずにはいられない。
昨年の夏があまりにも暑かったので、その反動で今年は寒い冬を迎えることになるのではないかと心配していたのが、どうやら当たってしまったようだ。先日の雪は、東京では45年ぶりの大雪だったとか。45年前のその時も東京に住んでいたのだけど、雪の記憶は何も残っていない。ただ、その頃は、今よりもずっと冬の寒さが厳しかったようには思っている。温暖化が叫ばれ始める少し前だったのかも。あの頃から次第に寒さは緩み始めて、次第にその異常さが気になり出していたのだけど、今年のこの冬の寒さのあり様をどう考えればいいのか。一時のバックファイアーのような現象なのだろうか。春が本格化するまでには、今年はまだ何度か、野草たちは雪の中に埋もれる時があるのかもしれない。しかし、もう春の息吹は音を立て始めたようだ。もう少しの辛抱だ。