山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

筑波山登山の記(第15回)<さざれ石のこと>

2014-01-18 09:45:58 | 筑波山登山の記

<第15回 登山日 2014年1月17日(金)>【さざれ石のこと】

 今年3回目の筑波山登山は、天気予報が外れた曇り空の下での暗闇登山となった。天気予報は結局、登山を終えて帰宅してからは晴れ出したので、一応は当たっているということなのだろうけど、早朝登山者から見れば、日の出などとは無関係の空だったので、がっかりして恨みのことばがこぼれてしまうのである。特に、昨夜(1/16)は満月だったので、期待は大きかったのだが、朝起き出して空を見ると、月はおろか星の煌めきも全く見られず、がっかりの天気だった。しかし、昨夜行くと決めてしまったので、目覚めは早くやって来て、5時前には我慢が出来ずの出発となった。

筑波山麓のいつもの駐車場に車を止め、登山口に向けて出発した時は真っ暗闇の世界だった。登山口からしばらく登ったら、近くの闇の中で突然「ギヤァ―」という獣の声がした。今までの暗闇登山では一度も聞いたことのない声だった。自分に気づいた動物が警戒心から発した声なのかもしれないなと思った。狸か狐の類なのか、犬や猫ではあるまいし、ここには熊などいない筈だから、小動物が脅かしたのかもしれない。しかし、こちとらは人間を70年以上もやっているので、今更脅されても素直にびっくりしたりはしない。ジャカマシイ奴だなと思った。もし襲ってきたら自慢の桜杖で一発かましてやろうなどと思ったりした。しかし、脅しはその時だけで、あとは静かないつもの森の中だった。

いつもと同じペース登り続け、やがて中間点から男女川源流を過ぎて、長い階段の始まりの場所に到着。ここから700段ほど登ると、ケーブルカーの頂上駅のある御幸ヶ原に着くのである。筑波山登山で一番きつい場所なのだが、15回目の登山では却って楽しみの場所になってきている。何が楽しいかといえば、あと700歩登れば、確実に平らな場所に出ることが出来、そこから15分ほど歩けば、女体山の頂上に着くのは間違いないからである。つまり、麓からの一歩の積み上げの成果が確実に実感できるという楽しみがあるからなのだ。

女体山頂上には7時半ごろ到着。どうせお天道様を拝することはできなのが判っているので、女体山御本殿に参詣し、今日の登山の証拠写真を撮るだけなのだ。予想通り、山頂からの景観は味気ないものだった。救われたのは、北西に連なって見える日光男体山の峰々やその右方に見える雪をかぶった那須の山々が、早朝の光の中にはっきりと浮き立って見えたことだった。富士山も樹間から微かに見ることが出来たが、明瞭度は今一だった。今日は先着の人が一人いただけで、直ぐに下山されて行った。ま、普段はこれが普通の姿なのだと思った。自分も直ぐに下山を開始する。

     

今日の女体山御本殿。登山した証拠写真として毎回撮らせて頂いている。曇天の寒空の下で、さて、ここに宿る神様は何を想っておられるのか。

御幸ヶ原からの下山開始は8時少し前、そして登山口に下りた時は9時少し前で、いつもの通り約1時間の下山時間、そして登りは1時間半という標準的な登山時間だった。9時15分頃駐車場を出発して帰宅の途に就いたが、途中走り出して間もなく車のガソリンの残存量表示に赤ランプが点き、それから後はガス欠を心配しながらの走りとなった。10時少し過ぎ無事に帰宅となる。

さて、今日の登山の話題は二つある。その一は「さざれ石」のこと。その二は「シモバシラ」のことである。まあ、お聞きあれ。

先ずはさざれ石の話。多くの方々は「さざれ石」というのを耳にして知っているのではないかと思う。何といっても日本の国歌に出てくる石なのだ。しかし、実際にさざれ石の実物を見たことがある人は意外に少ないのではないか。筑波山には、筑波山神社の境内に国家の歌詞を刻んだ碑と合わせて、さざれ石の実物が展示されている。そして、登山の途中にも、これは、さざれ石ではないかと思われるものが、登山道を突っ切って剥き出しになっている場所がある。知らない人にはただの石にしか見えないだろうけど、知っている者にはなかなか興味深い。

ところで、さざれ石の実物なるものを初めて見たのは、何年か前に九州を旅した時の鹿児島県の何処かだった。実際の場所は良く覚えていないのだけど、その時初めてさざれ石なるものに興味を覚えた。その後はさざれ石の展示がある場所などに注意を惹かれるようになった。何といっても国歌の中に詠われている石なのである。古希近くまで何度も国歌を歌いながら、ただの一度もさざれ石というものに関心を持たなかったというのは、迂闊(うかつ)といえば迂闊な話である。さざれ石が巌となるなどというのは、嘘っぱちな修飾の話なのだろうというくらいにしか思わなかった。それが、これがさざれ石だよというのを見せられて、えっ、本物の石だったんだ、とびっくりしたという話なのである。その後、いろいろの場所でお目にかかることとなった。

さざれ石というのは、全国各地にあって、筑波山神社の境内にも展示されている。それのみか、登山道の途中にそれらしき剥き出しの石もあるのである。筑波山は岩石の多い山で、登山道には大小無数の岩石がとび出している。また、山麓一帯には石切り場も多い。筑波石として知られている。桜川市・真壁町辺りには道路の両脇に軒並み石屋さんが並んでいる。筑波連峰の山の中を探せば、さざれ石など幾らでも見つかるのではないかと思うほどだ。

     

筑波山登山道の中にある、さざれ石と思しき石の塊が露出している箇所の様子。まだ成長が不十分な感じがするけど、今まで幾つか見て来たさざれ石の仲間に違いないと思っている。

さざれ石というのは何なかといえば、漢字では「細石」と書くようである。細い石というのは、つまり小石ということであって、小石といえば様々なサイズのものがあるので、例えれば砂のレベルからこぶし大のようなものまでが入るのかもしれない。それらの小石が、炭酸カルシウムや水酸化鉄などが隙間を埋めて一つの塊を作って成長したものをいうとのことである。簡単に言えば、自然が生み出した小石入りのコンクリートのようなものということになるのかもしれない。古代人は石というものは成長して大きくなると信じたということである。あれこれ調べてみて、そのようなことが判った。つまり、細石が巌となるというのは、古代人の信じた世界であり、国歌にはそれが詠われているということである。

ところで、君が代という国歌については、過去様々な論争があり、そのふさわしさについて、意見の姦しいところだけど、今のところは平成11年に国歌として立法化され以降、少し落ち着いている感じがする。しかし、この歌の文句は拡大解釈しないと、今の時代にはなかなかフィットし難い感じもする。最大の問題は、タイトルともなっている「君が代」ということばの「君」が何を、誰を意味するかということだ。戦前ならば国体は皇統第一だったから、勿論君が天皇であることは明らかだったけど、今の世では天皇は象徴であり、象徴の世を詠うのは少しおかしいと思う。自分的には、今の世の「君」というのは、複数の君であり、つまり「君たち」すなわち「国民一人ひとり」ということなのではないかと思っている。自分の世ではなく、自分も含めた君たちみんなの世である、という解釈である。それでいいのかではないかと思っている。

この国家の文句がその昔の古今和歌集の詠み人知らずの歌(「わが君は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで」)を元にしているというのには、驚かされる。詠み人知らずの詩が、国歌になっているなどというのは、考えれば不思議な話である。この歌は、その昔は賀歌として、新年のお祝いの歌として詠われたとのことである。つまりは、今の時代なら、全国の諸所で耳にする「めでた、めでたの若松さまよ、枝も茂れば葉も茂る、……」という、あの祝い唄と同じ類の歌だったということなのであろうか。ま、そう考えると、それなりに国歌としてフィットしているのではないかとも思われてくる。

かなり登山の枠を外れた話しとなってしまったが、この世にはさざれ石なるものが実在し、それは日本全国至る所といっていいほどたくさんあるということだ。石が成長するなどということはあり得ないと思っていたのだけど、さざれ石だけは別のようである。放って置けば、炭酸カルシウムや水酸化鉄の力で、周囲の小石を集めて次第にその塊は成長して行くのである。古代人はいいところに目をつけたものだと、改めて感嘆する。その塊に苔が生えてあたかも大きな巌のようにガッシリと国が固まるというイメージは、例えば、さざれ石を絆に例えれば、しっかりした絆が国の礎となっているのを詠っているのであり、それは国歌として悪くないものではないか。そんな風に思った。そんなさざれ石が、筑波山にも間違いなく存在している。という話。

     

筑波山神社の境内に展示されているさざれ石。かなり大きな塊であり、なかなか立派なものだなと思った。

(シモバシラの話は、長くなってしまったので、次回にしたい)

コメント
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