山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

筑波山登山の記(第14回)

2014-01-11 09:06:36 | 筑波山登山の記

<第14回 登山日 2014年1月10日(金)>

昨日、一昨日と天気が崩れて、曇りや雨となり、予定していた登山を今日に繰り越しての出発だった。守谷市近郊は夜来、雨上がり後の風が次第に強くなり、出発しようと思った5時頃は、外壁際に置いてある物置辺りで、強風が悪さをして何やら物音を立てているようだった。出発の準備をしていたら、山の神が起き出して来て、<…風が強いので、見合わせたら?>という様な顔をして覗きこんでいた。ブツブツ言われる前に、強行する旨を話したら、一応黙って引っ込んだが、「……、やっぱり、あなたは病気なのだ、…」などといっていた。何でも固執し過ぎてやり過ぎるのは病気の一種なのだと、普段からのたまわっている自分の上げ足を取った形の嫌味を含んだお言葉のようだったけど、無視した。鍛錬というのは、多少の無理を押して初めて鍛錬たりうるというのが自分の信念であり、いちいち少しばかり風が吹いたとか、雨が降ったとかに妥協していたら、心も身体も鍛えられるものではない。この頃は自分自身もそのような甘えが少なからず芽生えており、本来ならば、一昨日だって登山を強行すべきだったのかも知れない。心配と親切は拒否してはいけないとは思うけど、鍛錬とはそのようなものだということを、山の神さまにも理解して欲しいと思った。

今日はご来光を拝することは考えず、明るくなってからマイペースで、男体山側に登ろうと思っていたのだけど、6時頃の出発予定が待ち切れず、4時前には目覚めて起き出してしまっていたので、5時過ぎには出発することになった。6時になれば、ヘッドランプなしでも足元を見られるようになるという考えである。しかし、6時頃いつもの駐車場に着いて見ると、腕時計の針を見るのが難しいほどの暗さで、今ごろの夜明けが遅いのを実感した。時間調整のためにと、少し遠回りをして、筑波山神社に初詣をする。先日2日にもその横を通っているのだけど、その時は素通りして、初詣は女体山山頂にある御本殿だった。今日は麓の御大の神社にゆっくりと参拝し、今年一年の登山の安全と、ついでにくるま旅の安全祈願も果たすことにしたのだった。

6時半近くいつもの登山口を出発する。いつもと同じペースで中間点を過ぎ、男女川源流を通過し、8時少し前に御幸ヶ原に出て、男体山頂には8時少し前に到着する。寒い。実に寒い。登って来る途中の常盤木の柔らかそうな葉っぱが、寒さで青菜に塩の状態だった。今朝は格別の寒さらしい。温度計がないので判らないけど、零度以下であることは間違いない。着替えをためらうほどの寒さだった。風がなかったのが幸いだった。さっと着替えを済まして、冷えた指先をカイロで温める。今日は富士山が良く見える。富士山だけではなく、その手前に新宿辺りだろうか、東京エリアの高層ビル群が望見出来た。先に登っていた人の話では、スカイツリーも見える時があるとか。今日はそれらしきものは肉眼では確認は出来なかった。富士山の写真を撮ろうとするのだけど、樹木たちが邪魔をしてくれていて、どこへ行ってもスッキリ全景を撮るのは出来なかった。同じ筑波山でも、男体山が女体山頂とは違う所である。東南方向の海側の遠くに厚い雲があって、それが景観をかなり壊しているのだけど、そこを除けば太陽の光を反射した霞ヶ浦が広がり輝き、関東平野のほぼ全体が俯瞰できる大きな景色が横たわっていた。登山の醍醐味の一瞬だなと思った。

     

今日の登山の証となる一枚。筑波山男体山御本殿。光の向きがカメラの意に反しており、黒い画像となってしまった。

     

筑波山男体山山頂付近から見た樹間の富士山。どっしりと構えた雄姿は、どこから見ても日本一の山だと思う。

     

関東平野の彼方の大都市群の遠景。奥の方に広がる高層ビル群は、新宿の辺りか。晴れた日にはスカイツリーも見えるというけど、今日は確認できなかった。

8時半頃御幸ヶ原からの下山開始。途中で、ようやく動き出したケーブルカーなどを久しぶりに見かけながら、麓の登山口に到着したのは9時半少し前だった。正月初詣の時期も終わり、筑波山神社を中心とする門前町の市街は、いつもの通りの落ち着きを取り戻していた。駐車場に戻り、帰宅の途に着く。

さて、今回は特別の杖の話を追加したい。

先日、杖のことを「自助棒」だと話をさせて頂いたのだけど、杖が自助棒であることは変わらない。今までの13回の登山では全て洋式の登山用の杖を使っていたのだけど、今回初めて自作の杖を使用した。庭の桜の木が大きくなり過ぎて、泣く泣くその枝を切り払ったのだが、その中に丁度杖として使ったら良さそうなものが何本かあって、今日はその内の細めの一本を使ったのである。長さは150センチくらい。直径が3センチくらいで、下部の先の方はもっと細くなって三又にしてある。半年くらい乾燥させていたものを、先日小刀で節などをきれいにし、杖らしく仕立てたものである。まっすぐではなく、少し曲がっているのだけど、曲がっている方が何だか使い易い気がして、そのまま使うことにした。

 さて、その杖を今日初めて使って見たのだが、これが極めて良好、グッドなのである。登山の場合は、杖は道の状況に合わせて伸縮自在の方が良い。洋式の杖は握りの部分がてっぺんにあり、てっぺんをつかんでいないと使いにくいのだが、今日の自作の杖は、杖のどこをつかんでもいいのである。長くして使うのも、短い状態で使うのも、杖のどこを握るかで自在に使い分けることが出来るのだ。使って見て初めて判ったのだが、山伏など修験道の人たちが用いる金剛杖というのは、あれは山歩きには実に合理的な用具なのだ。あの杖がないと修験道の修業は成り立たないほど重要なのだなと思った。格好つける飾りなどでは決してない。洋式のステッキのような杖は、山を自在に駆け巡るにはあまり適していない感じがする。杖を押し歩いていたのでは、大自然にマッチして動き回ることは出来ないのではないか。金剛杖はそれを使う人の背丈などに合わせてその長さを決めるらしいけど、起伏の多い山を駆け巡るには伸縮自在の最高の用具となるに違いないなと思った。

 今日は練習のためにと自作の杖を使って見たが、その中で一つ大きな発見をした。それは杖の使い方には「前の杖」と「後ろの杖」があるということである。前の杖とは、杖を身体の前に指し出して使うことをいい、後ろの杖とは、杖を身体の後ろに指し置いて使うことをいう。これは自分が勝手に決めた呼び方である。登山の場合は、今まで常に前の杖ばかりを考えていたのだった。洋式の杖では、前に出しての使い方しか考えられない。後ろに杖を指し置いて使うことなど無理な話である。しかし、今日自作の金剛杖様のものを使って見て、後ろの杖の使い方も味があることに気づいたのだった。急な山道では、杖を後ろに置いて身体を前進させることが意外と楽チンにつながるのである。丁度船頭さんが竹棹を川底に突き刺して舟を前進させる、あの要領に似ていると思う。後ろ(下部)にしっかりと位置を決めた杖をぐっと力を入れて身体を起こすと、道の状況によっては、前に杖を置いて登るよりも楽なことが結構あることに気づいたのだった。まだ要領を良く体得していないので、杖の使い方は幼稚なレベルなのだと思うけど、これから先工夫してみたい。

 そういえば、日本には武道の一つとして、「杖術」とか「棒術」とかいうのがあった筈だ。名前は聞いているけど、その中身は全く知らない。武道なのだから戦闘の用具としての使い方なのだろうけど、その術の中には登山にも応用できるものが含まれているに違いない。今からそれらの術なるものを体得するのは無理だと思うけど、少し調べて見るのも面白いなと思った。

今年は少なくとも昨年の倍以上の筑波山登山を目論んでいるけど、これから先「杖」の研究が楽しみになった。どのような形のものを、どのように使えば良いのか、又どのような素材が良いのか、などなど、ただ山に登るだけでなく、楽しみを付加しながらこれからの登山にチャレンジして行きたいと思っている。

     

2種類の杖。左は桜の枝で作った自作の杖。右は洋式の登山用の杖。格好は洋式の方が如何にも近代的で機能的なように見えるけど、実際使って見ると、自作の杖の方が如意棒に近いのが判った。これから工夫するのが楽しみだ。

コメント
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