無意識日記
宇多田光 word:i_
 



前回の話を違った書き方で。内容は一緒。

リアリティってのは普段の生活の中で対話が成立しているかどうか、だ。対話といっても人間や犬猫相手に限らず、何であれコミュニケーションがある対象なら当て嵌まる。

CDプレイヤーのイジェクトボタンを押せばCDが出てくる。これだけだって立派な対話だ。こちらが働きかければ何らかの反応がある。ビデオの予約録画が出来ない人はビデオデッキとの対話が成立していない、という風な言い方が出来る。

対話の仕方も変遷する。ビデオデッキに日時を入力してテープの残量を確認して…なんていうのは昔の話。今はキーワードを投げておいて後日ライブラリを確認する方法が多いだろう。「キーワードを入力する」と「番組を録画しておいてくれる」というのもまた対話だ。

音楽の聴き方も同様に変遷を辿る。今は気に入った曲にマークをつけておけばそのデータに従って曲を紹介して貰えてすぐに聴ける。そういう日常を送り始めると今度はCDとの対話の仕方を忘れてしまう。ピクチャーレーベルが裏返しに入っている事に気付かずに「シンプルな盤面だな」とそのままCDトレーに乗っけてしまい再生出来なかった、なんてエピソードを聞くと「そりゃ普段CDシングル使ってないとねぇ」となる。

リアリティの遷移とは、そういう単純な、日常に根差した感覚でしかない。今回CDシングルを手にして思ったのは、結局、作り手側もそんな感じなのかな、という事だった。

確かに、昔と変わらない。変わっていないだけなのだ。だから遠く感じる。ブックレットの字が小さいのも素っ気ないのも、そういえば昔からだからもしかしたらその時代の印象が強い人にはリアリティがあるのかもしれない。しかし、例えば自分はそうではなかった。寧ろ、今のリスナーとの対話が成立してないなとすら思えた。

宇多田ヒカルのファンでCDシングルを買ってた層なんて大体アラフォー以上つまりヒカルが15歳でデビューしてきた時に年上だった世代なわけで、そろそろ老眼が話題になってくるお年頃だ。そういう人達に読ませる気がないのだろうかと思ってしまった。スマホの画面は大抵幾らでも拡大がきくがブックレットはそうはいかない。字が小さすぎるならスマホの虫眼鏡アプリで拡大して…ってそんなのWEBで歌詞検索した方がずっと早いがな(笑)。

自分としては久々にCDシングルを買えて嬉しかったが、いざ使ってみると、即ち、CDと対話を始めると目の前の円盤に生気が無いというか対話が成立してないという感覚が勝ち、結局これも棚を飾るだけのものになるんだろうなと溜息を吐くことになった。これが1.4万枚も売れててまだ積む様相ってある意味凄いなと。次にCDシングルがリリースされたときもきっと喜んで買うのだろうが、何しろ実質的な価値がスタッフクレジット1ページだけなのでみんな大丈夫かなと他人事が心配になるのだった。あーあ。

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で『Face My Fears』のCDの売上が大したことないんだって? 折角10年振りにフィジカルシングル出したってのに勿体ない…って言うべきなのかなこれはな。

私は欲しかったから買ったので何の問題もないのだけれど、これで1400円というのは何なのかと改めて思う。サプスクリプトしていない人にとっては勿論有益なのだが、どのサブスクも月額1000円弱だったりする訳でそれよりずっと高いというのは感覚的によくわからなくなる。

物質として手許に置きたい、という感覚。よくよく馴染みの深い感覚だ。そこでちらっと阿呆な思考実験をしてみる。ピクチャーレーベルがただの板。しかしそこにはプレイパス同様ダウンロードコードが書いてあってアクセスするとコピー無制限の非圧縮WAV音源が手に入る。それでもいいのかな? 実質、普通のCDを買った時に手に入るものが手に入る。車載用にCDが欲しいとかでない限りこれでいいような気がするのだけれど…どうなんだか?

現実の商品に戻ろう。歌詞カードが物凄く読みにくい。今回立ち上がったグローバルサイトも同様だ。お金を取ろうが取るまいが、「一体何をしているのだろう?」という感覚が勝る。私個人でいえば、音がすぐ聴けて歌詞も普通のフォントで読めるストリーミングの方が今や「リアル」になっていて、昔フィジカルを手に入れた時に得ていた満足感充足感達成感みたいなものは、もうフィジカルからは得られていないように感じる。思い出の残滓とリンクさせてなんとかフィジカルのよさだったものを引き出しているような。

ちと言い過ぎたか。でも、その意味でグローバルサイトのウェブデザインは「古臭い」と感じた。技術は大したものなのだろうが、この感覚は古い。リアリティの在処は遷移している。少し考えた方がいいのかもしれない。

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『Face My Fears』のグローバルサイトなるものが公開された。24ヶ国でダウンロードかな?1位を獲ったということで各国の好反応を可視化する企画である。相変わらずデザイン重視のユースレスな方向性だが特に前から変化がなさそうなのはこういうヤツがそれなり以上に好評なのだろう。「なんだかよくわからないけど凄い。新しい。」と思って貰えればそれでいいのだろうかな。

それに関連して、恐らく新曲を中心としたリミックスや踊ってみた動画なども募集しているようだ。プラットフォームだけを整備しユーザーにコンテンツを提供させるこれまた今風な方向性。相変わらずというか何というか…ハッシュタグ一個決めるだけで済む企画に大掛かりなことだが、ここから何か展開があるのかもしれないな。

それにしたって隔世の感である。公式自ら“二次創作”を奨励するとは。2005年のYouTube発進以来各国の法整備の網を掻い潜っていやさ時には突き破って二次利用・二次創作の分野は市民権を獲るに至った。随分強引な手法だったとは思うが、この「なし崩し戦略」のお陰でかなりのスピードで意識改革開放が進んだ。功罪を言い始めたらキリがないけれど、兎も角現在の世情は形成されたのだ。

それ以前は掲示板に『Simple And Clean』の訳詞を載せただけでスタッフから直々に電話が掛かってくるような状況だったのだ。権利上マズい、と。それが今や向こうから「是非書いて投稿してくれ」と言ってきてるのだと思ったら何か面映ゆくなるわな。このおかしみを味わえるのも長年アーティスト活動をやってくれてるお陰である。今妥当で無いと見做される活動も20年経ったら称賛されているかもしれない。どんぶらこっこ 世の中浮き沈みが激しいな どんな時でも価値が変わらないのはただあなた ─とはよく歌ったものである。こうやって歌詞を引用しようが何ら問題が起こらないんだからね…いやこれは昔から問題無いか。ただの引用たからな。

歴史は具に観測しておくものである。今ここにこうして書いている内容もまた古びていくだろうことを、今から楽しみにしていますよっと。

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前も少し触れたが、竹石渉監督を起用した事でVR周りの雰囲気がほんの僅かに変わってきた。いつまでも無意識日記はVRの悪口ばっかり書いてるな!と思われ続けるのも癪なので(?)リアルタイムで印象が軌道修正されていく様子も記録しておきたいと思う。

https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1165401.html

goo blogはハイパーリンクが効かないのでメモ代わりだが、impressの記事であれやこれやと『光』と『誓い』のVRについての苦労話が語られている。文中に「クリエイターと一緒でないと開発できない」とあるが、まさにここがポイントだ。

技術開発側にとってVR技術は目標であり目的であり価値ではあるが、アーティストやクリエイターにのとっては新しい道具でしかない。刀鍛冶氏は「美しいだろう?よく切れるだろう?」で満足かもしれないが、それを使う料理人や殺人鬼は「何をどうやって料理するか」が問題だ。無闇に振り回して切ってはならない大切なものまでズタズタにしてはいけません。それが『30代はほどほど。』で起こった事で、あたしゃ当時前後都合2ヶ月に渡って怒り続けた訳だがこうやってクリエイター視点が入ってくれれば大変喜ばしい。徐々に「してはいけないこと」が見えてくることだろう。

しかしそれでも勿論不十分だ。VRは過渡期いやさ黎明期なので万の失敗を作り出して一の成功を掘り当てる感じで全く構わないし、気にせずどんどんやってくれとは思うが、その一の成功に辿り着く為にはただの闇雲では覚束無い訳で常なる批判精神が必要だ。なので、ひとつ指摘しておきたい。

宇多田ヒカルは音楽家、とりわけ歌手として認知されている。色々あるけど結局大多数は「歌がいい」から好きなのだ。我々のように顔だ背中だ胸だ脚だいややっぱり目線でしょなんて言うのはニッチにも程があるコアなファンの話なのである。

だから、未だに、これだけ「映像体験」の開発について熱弁をふるわれる中で「音」についてのコメントが無いのには危うさを感じる。目で追う体験のリアリティばかり追究して耳で感じるリアリティは疎かになっていないのか? 音源のビットレートを上げればそれでいいの? VRに合わせた録音技術や再生機器の現状はどうなっているの? いやそれは今ここで論じることではない、というのは当然本音なんだろうけど、たった今確認したように宇多田ヒカルは歌手である。ビジュアルだけでも我々は飛びつくが、それがメインだと錯覚されると本当に危ない。視覚のリアリティばかり追究する余りエスカレートして「宇多田ヒカルがあなたと一日デートしてくれるVRコンテンツ」がリリースされたりしたら…私買っちゃうな。今後も是非々々開発頑張ってください。(まさかの寝返りオチ(笑))

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あらiTunesUSA、1位とれてないのか。予想外れちった。

それはそれとして、『Face My Fears』、本当に強力なEPだ。惜しむらくは、結果論に過ぎないが、プレゼンテーションがベストではなかった事か。あクマで結果論であり、誰が悪い訳でもないのだけれど。

私としては、こうして4曲出揃った時点での印象としては、もし叶ったのなら


『Don't Think Twice』
『誓い』
『Face My Fears (English Version)』
『Face My Fears (Japanese Version)』


の順で巡り会いたかったな、と思った。現実にはこうはいかなかった。

自分の性格なのだろうか。『Flavor Of Life』の時も、『(Ballad Version)』が先に発表されてから一ヶ月半、割り切れない思いを抱えて過ごしていた。『(Original Version)』を聴いて漸く、何がどうなっていたかがわかって腑に落ちたのだ。どうしてもヒカルが作り上げていった順序を体感したいのだろう。美味しいモノを食べたら作り方を知りたくなる性格なのかもしれない。まぁそれもいい。


『Don't Think Twice』に続き、『Face My Fears (English Version)』の英語の歌詞の乗り方、そのスムーズさにドキリとする。異様にセクシーでエロティックで、物凄いフックがある。何かもう異様だよ。新しい宣材がダークシースルーだったのを思い出して「然もありなん」とひとり納得してしまった。

更に。『Don't Think Twice』での歌唱は、どちらかというと『This Is The One』の時に置いたバトン(或いはマイクかな?)をそのまま拾って歩き出したような感覚があったが、ここにきて『Face My Fears』では、『Fantome』以降の日本語曲での歌唱と同様、いよいよ本格的な進化を始めた手応えがある。声が違い始めたのだ。

過渡期なのは間違いない、と思うがそれにしても、なんだ、冷めた事を言えば、ヒカルは8年間、英語の歌の作詞や歌唱を前に押し進めていなかったのかもしれない。が、今やそれももうどうでもいいのだ。今年もヒカルは進化を続ける。それが実感として伝わってきた。ついていくのは今まで以上なや大変そうだけれど、それもまた楽しいとしか言いようが無いやね。

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『Face My Fears』EPが空飛ぶ日付変更線に従って各国iTunesチャートで1位を獲得していく報せを見るのは爽快だ。このまま中近東欧州英国北中南米各国でもチャートに入っていくのだろうか。あ、マリにもファンが居たな。アフリカ大陸も幾らかあるかもわからんね。

店頭展開もなかなかのものだったようで、アルバムほどではないにせよ本人がプロモーションに登場しないテンションにしてはかなりの好待遇みたい。ほんまにそんなに売れるんかと心配になるくらいのね。キンハマニアの皆さんの頑張りに期待したい。

中身は流石の出来である。これもまたキングダムハーツ伝説の一部として語り継がれていくだろうことを想像してワクワクする。『光』にせよ『Passion』にせよそれまでの宇多田ファンの好みに合うか微妙な曲調だったのだが今回は大丈夫なんじゃないか。英語のリフレインが許容できれば。

サウンドはギミック満載なので好みが分かれるところだろうがそれも総てSkrillexのせいにしてしまえるのがコラボレーションのいいところ(笑)。存分に罪を被って貰いましょう。

実際、どこからどこまでがヒカルのアイデアなのかはわからない。アルバム『初恋』も、ヒカル単独で手掛けた曲は『残り香』1曲だと言われて少々驚いたのだけど、今の制作体制ではそこらへんのところを読み取るのはかなり難しくなっているな。

だが、どちらのアイデアにしろ『Face My Fears』に漂う“ほんのちょっぴり和風”の匙加減は素晴らしい。『This Is The One』の時は「スターゲイトのお二人さん、それは和風じゃなくて中華風やで。」とツッコミを入れたくなったが今回はしっかり和風、しかも、これが最も特筆すべき点なのだが今時の全米チャートに馴染む丁度良い塩梅のエキゾチズム、或いは無国籍風になっているのがもう、ね。これはさすがにSkrillexの手腕だろう。今のヒカルがやると英国寄りになるだろうから。これなら十分にiTunesUSA総合チャートで1位を獲れる。今から動向が楽しみですわ。

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「ストリーミングとアナログがあればCDなんか要らないんだけどなぁ」と思いつつ『Face My Fears』のシングルCDを受け取る。確かに要らない。でも、欲しかったのでね。

娯楽なんだから要不要なんて必要ない。欲しいかどうかだ。

ま、聴くのはこのあとじっくりね。


でその不要な要不要の議論。一応書いとくか。不要だけど、書きたくなったので。欲望に素直な私。


音を聴くだけならストリーミングがあればよい。歌詞も表示される(『Too Proud L1 Remix』ではしっかり中韓越の言葉も表示された)し音質も悪くない。外でも気軽に聴けるし家に帰ってもそうだ。更にゆったり音楽に浸りたいとなれば、CDのみみっちいブックレットより豪華なアナログスリーブの方が嬉しい。ジャケットを飾って聴くもよし中を開いて眺めるもよし。音は別にアナログでなくて構わない。私なんかまだ『初恋』のLPを一度もターンテーブルに載せてない。まぁ気が向いたら音質チェックしてみるけど、普段聴きはデジタルで十分だ。だってレコード取り出すの面倒臭いからね。夏場に反り返る前には一度聴いておきたいのだけれども。

…というサイクルにCDの出番はない。まぁでも、実際に私が一番欲しいのはアナログサイズのジャケットスリーブの中にハイレゾファイルを収録したDVD-ROMが嵌まっているヤツなんだよね。ハイレゾの何が面倒ってダウンロードさね。いや今の子達はディスクドライブ持ってないからわからないかもしれないけど、単位がギガになったらダウンロードするよりDVD-ROMから直接再生する方がずっと早いのよ…。

でも現実にはそんな商品は存在しないからこうやってCDを買いダウンロード購入を予約しストリーミングで再生しながらアナログの発売を待つ、なんていうまわりくどい(しかし売り手からしたらカモなお客としての)スタンスで生きている。まぁ別に特に不満がある訳じゃなし。

…あ。不満があった。まだ開封してないから今回はどうだかわからないが、ブックレットをもっと充実させて欲しい。歌詞とクレジットを載せるのは勿論、参加ミュージシャンの略歴やら今回の貢献の詳細やらもっと情報を掲載して欲しい。『First Love 15th DX』並みの充実度希望。大体音なんかストリーミングでタダ同然で聴けるのだからわざわざ1400円やら2500円やら払う人間には他のサービスで納得させないとさ。まぁ無茶言ってるのはわかるけど、本音を書いてこその個人の日記ですよ。音の充実はヒカルが鉄板保証するんだからそれをサポートする方もクォリティーの高いものを用意しないとね。それで値段が上がるんなら仕方ないでしょ。どうせ今時CD買う人間なんて金銭感覚おかしいんだから(笑)多少高いものの方が「お金を費やした甲斐があった」と思ってくれるさね。そこのところは理解しといて欲しいな。

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『Face My Fears』EPのCD、フライング日の今日に向けて発送通知やらラジオオンエアやらが来てるので今日手に入れられるのかな。ならば重畳。半日とかでもダウンロードやストリーミングに先んじれた方がいいもんね。

自分のようにCDとダウンロードで購入し再生時はストリーミングを使う人間からすりゃどれかで聴ければそれでOKみたいなところがあるからそんなに気にはしていないのだが大抵の人はどれかひとつのメディアで購入するのみだろうからどれが真っ先に手に入るのかは気になるだろう。まぁ社会人になるとどうせゆっくり聴けるのは週末だからそれまでに手に入ればいいやと思ってる人も少なくないかもしれない。三者三様。アナログ発売まで待つ剛毅な御方はいらっしゃるのかな。あたしゃあれはインテリアだと思ってるからそこも意識が違うかもしれないが。

前から触れている通り『Face My Fears』EPは「キングダムハーツ3」さんの露払いみたいなものだからお祭り気分を盛り上げる程度で構わないのだろう。順番としては、まずゲームで聴いてからそこで気に入って曲を聴こうとなる人も結構居るかもしれない。そのタイミングでダウンロードやストリーミングの数字が動いてくれればわかりやすい。CDはグッズなので既にキングダムハーツマニアと化しているゲーマーさんが発売後すぐさま購入してくれるだろう、という小さな希望もある。

そういう人たちに対して今回のアートワークはかなかなところを突いているのではないかと思う次第。声優さんやアニソン歌手の方がアニメソングを歌う場合タイアップ相手への敬意と自らのアーティスティック・キャリアを両立する為にアニメ版ジャケットと実写版ジャケットの二種類のアートワークを用意することがあるけれど、ヒカルの場合は1枚でそのどちらにも対応しようという野心作だ。歌詞みたいだね1曲両面作戦て。

見方によってはアーティスティック・キャリアの方が最大限にタイアップ相手を尊重したともとれる訳だからこのアートワークは同EP収録曲の歌詞を読み解く上での示唆も与える事になる。それだけゲームを尊重した歌詞が作られている可能性があるからだ。

街中にもこのアートワークが貼り出され、少しずつ皆の気分も盛り上がっているだろうか。後は曲の出来次第。アーティスティック・キャリアにも好影響を与えるようなそんな強力な楽曲を期待したい所だが、ちゃんと曲と向き合う為にも事前の思い込みはなるべく削ぎ落としてから行かないとね。ま、あんまり力んでも仕方がないので肩の力だけ抜いときますかね。

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返信しようと思ったんだけど長くなりそうなので本文で。

以下のようなコメントうただいた。どうもありがとう。


***** *****


喫煙の有無はどうでもいいけど、

いまだに、解釈できないのが荒野の狼。

これって単にかっこつけて煙草吸ってる女を嫌う曲じゃないですよね。

ガヤ「女の子なのにタバコなんかかっこつけちゃってまぁ」「男なのに自分でなにも決められないなんて近頃のは、ねぇ」

↑っていう奥さま同士の世話話みたいなのを偽物の安心って呼んでるんじゃないかと。そして「荒野の狼」はその輪には属さないと

そう考えないと、なんとも肩身(視野)の狭いただの禁煙ジェンダーソングになってしまう



たばこのくだり←ヒッキーがそれ、言う?

まずは仲間になんでも相談できる←悩みを打ち明けられる仲間がいるなんていいことじゃん。って思って曲に集中できない


***** *****


お名前が無いので文責は私ということで。

しかしこの指摘は目から鱗。自分もAメロとBメロ以降の余りの音楽的な違いに話者の視点の変更があるんではないかと色々脳内で補足しながら考えてみてたんだけど、なんとAメロ全体に鉤括弧をつけるだけでよかったのか。なるほどねー。お見事。

これでしっくり来る歌詞も増え大変ありがたい。言ってる内容じゃなく言ってる人への指摘としてBメロが機能すると。

そして恐らく、両方なのだ。ヒカルの意図したのは。どちらの立場に立つ人に対しても同意を得られる。『偽物の安心に悪者探し』がAメロで言ってる内容を差しててもいいし、言ってる人に向けてでもいい。どちらに立っても結局『私たちには関係ない』で均されてしまうのだから。

つまり『荒野の狼』もまた、『Goodbye Happiness』や『Can't Wait 'Til Christmas』のように、相反する意見を持つ人たちのどちらからも同感を得られる歌だったということか。私はかなり肝心な事を見落としていたようだ。くどいようだが、今回のこのコメントには本当に感謝である。

当時丁度佐野研二郎氏の騒動がメディアを賑わせていたのが『Fantome』の制作時期と重なっていたという個人的な推測もあり、私はそちらにばかり気を取られていたんだ。うむ、思い込みや偏見は本当に厄介だわ。まさか歌詞の読み方を狭めていたとは。大いに反省したい。


斯様に、最近のヒカルの歌詞はリスナーの心の偏り具合をこれでもかと露わにしていく。キャンクリを聴いて感想を述べれば、貴方がクリスマスに対してどういう感情をもっているかがわかってしまう。感想を述べるにはその歌が気に入る、少なくとも最低限気になる必要があるが、相反する感情を持つ人々を1曲で炙り出すにはそのどちらからも気に入られる歌でなくてはならない訳でいやはや難易度の高さは不可知レベルだ。『荒野の狼』もまた、こうやって“両側から”気に入られている至高の名曲という訳だったんだな。とても勉強に、なりました。

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さて『Face My Fears』EP発売日が明後日に迫った。全世界同日発売に合わせる意図で金曜日発売ならフライングはないはずだが、さて明日の店頭に並びますかね? いずれにせよ明日の24時からダウンロード販売とストリーミングが始まるだろうから、聴けるタイミングはそんなに変わらないと思うけど。

宇多田ヒカルにとって初の新曲サブスク解禁になる。『Too Proud L1Remix』は純粋な新曲じゃなかったからね。サブスクを視野に入れた場合、発売日に買って貰えるように前段階からプッシュする事より、サービスが始まってから如何に聴いて貰えるかに重点が置かれる事になるだろうから今のスタッフのスロースタートぶりはこれでいいのだろう。寧ろ明日深夜以降どんなプロモーションが展開されるか、だわな。

普通の歌手ならば新曲リリースともなればテレビに出て歌うんじゃないかとかラジオ出演があるんじゃないかとか色めき立つものなんだけど、そこは20年鍛えられてきたファン層。殆ど誰もそんなのに期待していない(笑)。『Passion』出した時なんてテレビとラジオ出まくったんだよ。キンハ主題歌だからってメディアを選ぶようなことはない。当時は2005年12月。アルバム発売が翌2006年6月、ツアー開始が同年7月だから制作真っ最中。なのにメディア出演を怠らなかった。今はどうなんでしょう。ツアーが終わったあと1ヶ月くらいは抜け殻にはなるだろうから今回はパスだろうと皆何となく思ってるんじゃないか。

ゲームの発売は来週、だよね? 世間的にはそちらがメインな訳でヒカルのテーマソング発売はその露払い的な位置付けなのだろうが、こちらにとっては歌がメイン。ちょっとそっちの空気とズレていてもまぁ仕方ない。

しかし、他の日本のアーティストをチェックしてないんでわからないんだが、サブスク新曲解禁時のプロモーションってどんなことをするんだろうね? 前みたいに歌詞に焦点を当てれば、サブスクは歌詞も表示されるだろうからそこでアクセスが上がるとか? 発売日以降にTVCMを打つとか? CM1回で何万アクセスあったらペイするんだろ…さっぱり知らない(笑)。そういうのも興味深く見せて貰う事になる。@Hikki_Staff のお手並み拝見、といったところか。こちらは高みの見物だ。嫌味っぽいけどね(笑)。

曲自体は何週間か前からリークされているみたいで、熱心なファンはもう聴いているかもしれない。私はまだだわ。CD発売となると発売日の2週間前にはサンプル盤が配られ始めるのでリークを止めるのは難しい。ウォーターマークを突破する技術とかも開発されてそうだしねー。

なんだかわからないことだらけだが、アジアツアーやフェス出演のアナウンスとかが絡んでくるならそれはそれでまた祭りになるので、あと2日間、のんびり待ちますかね。流石にここまできたら焦っても仕方ないので。

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SMAPxSMAPに出た時に稲垣吾郎ちゃんとヒカルが互いに『Hotel Lobby』が好きだという事で意気投合していた。懐かしい。もう15年も前の話だ。ヒカルが言うには(Utadaが言ったことにゃ)『EXODUS』でいちばん気に入った曲だったんだとか。確かに、後に『Kiss & Cry』でメロディーを再利用したんだからよっぽどですわね。

この歌のストーリーは明解だ。友だちの制止も聞かず金のためだと人々の欲望渦巻くホテルロビーでコールガールに勤しむ女の子の物語。

『ホテルロビーで会いましょう
 誰しも皆孤独に見える
 そこに私はおもむろに歩み入り
 ロビーの鏡であなたと目が合う』

今勝手に私が訳したので新谷さんは関係ない。ポイントは、昔も散々語った気がするが、ここで主人公が鏡越しに客と会う点だ。

当時ヒカルにとって「鏡」は重要なアイテムだった。『ぼくはくま』の絵本でくまが水たまりに映った自分の姿にぼんじゅーるする場面が描かれていたが、鏡を通して自我と向き合った時に溢れ出てくる感情の数々をどう御するかが昔のテーマだった。

今の歌詞にはそういった色合いが薄い。特に『Fantome』以降は『あなた』に代表されるように強烈に他者(主に二人称…ともだちやら彼女やら…)について歌っている訳で、鏡の付け入る隙がない。自分自身と向き合っているターンではないのである。


…この話は長くなるな…また気が向いたら続きを書きます。

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@u3music : 宇多田ヒカルはタバコを吸いません。もう1年以上になるかな。ご心配なく。ヒカルはライブ先行のartistではなく、スタジオartistなのでその辺が他の沢山のライブを積んでいる方々と発声が異なるかな。特に今回は。teruzane

*****

これは今朝方英語圏民のファンからYouTubeのコメントを引用しつつ飲酒と喫煙を止めるよう促されるリプライを受けて照實さんがエアリプしたもの、のようだ。

何故日本語でしかも返信形態ではないのかが疑問だが、取り敢えず結果的には日本語民へのメッセージになっている。これからまたリプライが増えるだろうが、概ね好意的だろうことと「1年前までは吸ってたんかい」というツッコミがありそう、という予想はつく。

単純に1年前にはもうライブが決まっていたから止める理由があった、という事なんだろうか。20年も制作のお伴だった嗜好品を俄に止められるとも思えない。別に今更、と受け止めようにも、しかし、『Laughter in the Dark Tour 2018』でのパフォーマンスのクォリティをみるとそれで正解だったんだからもう縁を切ればいいのに、とも思う。

人前に立つときはいちいち歌手なので皆歌手の目で見るがヒカルの仕事の大半はプロデュース、そして作詞作曲編曲だ。住み慣れているとはいえ狭いスタジオか自宅で延々頭を悩ませている人間には手っ取り早い息抜きが必要だったろう。20年そうやってきていて、はて何か代替品は見つかったのだろうか。あわよくばその時に居る国と地域の法律に引っ掛からないようにしてうただきたい。

いや冗談ではない。喫煙についてコメントしている時点で日本語圏との常識の乖離があるのだ。照實さんだけのフライング、とは言い切れない。昔から言っているようにこれは世代の違いと業界の違いの足し算だからだ。その空気にいる人間全体の問題なのだ。

ほんの30~40年前までは普通のオフィスが紫煙まみれなんて珍しくなかった。灰皿は必需品で、たばこの煙を避けたい少数派は隅で縮こまっていたものだ。それが今や全く逆転していて、客商売ですら完全禁煙の方が儲かる始末。これほど世代間で感覚の違いが顕著な例もない。

更にミュージシャンは嗜好品にまみれるのがお約束。ヒカルは小さい頃から年上の音楽業界関係者とばかり仕事をしてきたので感覚が二世代くらい前のミュージシャンて感じになっていた(たぶん、過去形)。それがついに是正されていたのなら喜ばしいが、現実はどうなのか。悪い方に転がらないようにとただひたすら祈るばかりである。

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『Don't Think Twice』の、というかこれは『誓い』の特徴と言った方がいいのかもしれんな。『Don't Think Twice』で『Don't Think Twice』と歌っているパートは『誓い』にはない。そこで代わりに入っている一節が『誓い』の『誓い』たる所以だとも言える。

一方で、これは予想通りというか何というか、『誓い』の英語部分『Kiss Me Once ...』のパートは『Don't Think Twice』でもそのままだ。これは『光』&『Simle And Clean』にはなかったパターンだ。『Passion』&『Sanctuary』には『I need more affection than you know』の逆回転が共通して使われているがこれをカウントすべきかは難しい。印象としては“初めて日本語版と英語版のある歌で共通する歌詞が出てきた”と言いたくなるわね。

こういったポイントを通して、それぞれのバージョンで言いたい事、歌いたい事の違いと共通点が見えてくる。訳詞は出回っているんだっけ? 知らないのだけれど、歌詞の描くストーリーは別なのに共通するパートが存在するというのはある種驚きではある。違う話と違たんかい、と。

自分はまだ『Don't Think Twice』の歌詞を把握しているとは言い難い(1ヶ月何してたんだ(笑))のでこの話は追々になると思うが、今までとは歌詞の位置付けが違うというのは何となくわかる。或いは、今までより更にゲームの内容に即してそれぞれの歌詞を仕上げている可能性もある。その上、間もなく『Face My Fears』のフルコーラスも聴けてしまうのだから混乱するなという方が無茶ってもんですよ。もうちょい英語がわかればいいんだけどねぇ。質問箱に来た(他の歌の)英語詞に関する質問も「わからない」って返しちゃってるしねー私。

『Face My Fears』EPは、1曲ずつじっくりというよりは、4曲入り乱れてあっちこっちに飛びながら語っていく事になるかもしれんな。いやはや、今までにない強度を持った課題が山積だぜ。気合い入れないとね。

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市原悦子が亡くなったそうで。謹んでお悔やみ申し上げます。


昨年の常田富士男に続きTBS系アニメ「日本昔ばなし」の両翼双方がこれで喪われてしまった。若い方は御存知ないだろうが、当時キー局では土曜19時というゴールデンタイム中のゴールデンタイムに放送されていた当番組は声優たった2人で回すという暴挙的な構成だった。登場人物の男性側を常田が、女性側を市原がそれぞれ演じ分けるという言わば「2人落語」ともいうべき特異且つ不世出な名人芸を毎週繰り広げていたのだ。そんな番組をヒカルは幼少の頃に一心不乱に鑑賞して育った。

ヒカルの「日本昔ばなし」への熱の入れようは尋常ではなく、ダヌパもその洗礼を受けて育っていそうだが、それは間接的に我々へも影響を与えているだろう事が推察される。あそこまでの執着は、このアニメで日本語を覚えたとか、両親の仲が悪い時期に心の支えになっていたとか、特別な理由を妄想させる。それだけの体験がヒカルの作詞に影響を与えていない筈がなく、その遺伝子は隔世的に我々リスナーにも届いている筈なのだ。

今までその思い入れの理由をヒカルが詳細に語ったことはないけれど、常田が『BLUE』の朗読を披露した折のヒカルの轟沈ぶりはヒカルにとって常田が尾崎豊やフレディ・マーキュリーと並ぶカリスマ・ヒーローであった事を示唆している。普通じゃなかったもんなあれは。

市原もまたヒカルにとってヒーローであった事は想像に難くない。今現在彼女が「日本昔ばなし」のレギュラーをこなしていた訳ではないのだが、死はやはり一つの区切りになるだろう。恐らく今頃は虎の子の「日本昔ばなし」のDVD-BOXを引っ張り出してきて哀悼の意を捧げているのではないだろうか。惜しむらくは、生きているうちに市原にも常田と同じようにヒカルの歌の歌詞を朗読して貰いたかった事。本当、生きてるうちにやるべきことはやっておく、やって貰いたい事はやって貰っておきたいですわね。全部が全部という訳にはいかないかもしれないけれど、可能性が見えるなら見えているうちにですよ、えぇ。

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Yujiさんが「今年のサマソニのヘッドライナーにヒカルが来たら嬉しいな」とばかりに何度も関連話題を呟いているが、自分もフェス出演には賛成だ。理由はシンプル。チケットが取りやすいからだ。余程の事がない限り瞬間風速で売り切れたりはしない。発表のあったその日のうちに買ってしまえばいい。しかしサマソニだとしたら…千葉の真夏は暑いぞ…。フジロックだとどうなんだろうねぇ。行った事ないからわかんないや。


さて前回からの話の続き。『Face My Fears』の日本語版と英語版のタイトルが同じなのは特筆すべき点だとは思うのだが今のヒカルの書く曲はフルコーラス聴かないと歌詞の解釈がうまくいかないのでこちらの話は解禁を待ってから、だな。

となると必然、『Don't Think Twice』の話になるが興味はあんまり持たれないだろう。日本のファンの英語曲に対する温度は平成も終わらんとしているのに一向に上がらない。宇野さんがなんかの記事で「今の若い世代は洋楽邦楽問わずフラットに聴いている」と仰ってたが、もしそうならヒカルの英語曲が今後もっと受け入れられていくだろう。そこは今後の反応に期待したいところ。という訳で好き勝手書くぞ。……いつも通りですよねそれ。

『Don't Think Twice』は『誓い』よりも先に書いた曲だ、とは何となく思っていた私。でこうやって実際にフルコーラスで聴いてみるとやっぱりその感触は間違っていなかったかなとは思うものの、事前に想定していなかった論点が次々と浮かび上がってきた。

そもそも最初は「一旦英語曲として書いた歌に日本語を乗せ直すのは大変だっただろうな」とか考えながら『誓い』を聴いていたのだ。即ち『Don't Think Twice』はより自然に言葉が乗っている歌なのだろう、と。

一部は確かにそうではあったが、全部ではなかった、というのが実際に聴いたときに出てきた感想だ。ここに至って漸く気がついたのだ。「この曲のメロディは日本語だろうと英語だろうと、そもそも言葉を乗せる事自体が難儀なのでは?」と。恐らく、『誓い』&『Don't Think Twice』は曲先の歌なのだ。まずメロディがあって、そこに乗せる英語で苦労し、更にそこに乗せる日本語でも苦労した、というのが実際の過程だったのではないか。日本語に変える苦労にばかり頭が行ってて、最初の最初にメロディに英語を乗せる苦労まで頭が回っていなかったわ私。

更にもうひとつ論点がある。日本語版は、英語版に較べて作曲者の楽曲へのより深い理解度が反映された出来になっているのではなかろうか。英語版の方は出てきたアイデアをそのままカタチにしたような、瑞々しさと青臭さが同居している印象だが、日本語版の方はより展開と構成が練られていて、嗚呼ヒカルは何夜この歌と枕を共にしたのだろうという卑猥な(?)妄想が止まらなくなる。その洗練と熟知が『誓い』の方の特徴ともいえる。

故に『Don't Think Twice』について語る時には、その洗練と熟知を一旦後回しにしてこの曲の原石的魅力の方にまず目を向ける事が必要となるだろう。ここからやや長くなりそうなので続きはまた来週からのお楽しみということで。といってもやっぱり英語曲を取り上げてる時は反応が少ないけどなっ!(笑) まー気にするタイプではないので(?)いつも通りマイペースで行きますってば。

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