無意識日記
宇多田光 word:i_
 



『Automatic』に関してはこの曲が合計ダブルミリオンの大ヒット曲である事を考慮に入れる必要がある。この曲には他のアルバムのオープニングナンバーのようにリスナーに語り掛けるパートは無い。やはり突然大ヒットしたデビューシングル曲ということで1曲目に持ってきた、というのが真相だろう。

本来の1stアルバムのオープニングナンバーは『time will tell』であったのだろうと推察される。事実、『Single Collection Vol.1』のオープニングは『Automatic』ではなく『time will tell』だった。送り手側としてはこの曲が本当のスタートだったという思い入れがあったのではないか。2004年の時点で『Automatic』云々という視点は有名になりすぎた宇多田ヒカルに対しては最早余り意味をなさなかったであろうし。

何より、『time will tell』の歌詞は完全にリスナーへのメッセージソングである。ここまでヒカルが我々に対してだけ歌った歌も珍しい。まずは宇多田ヒカルという人が僕らに寄り添ってくれて、そこから様々な歌詞の描く物語の世界に没頭していく、というのが順序というものだ。だが歴史は一度きり。実際に1stアルバムの1曲目は『Automatic』であって、この過去の事実は覆らない。

しかしここで、『This Is The One』の事を思い出しておいてもいいだろう。同作収録曲の『Automatic Part Ⅱ』はこれでもかと自分の事を(主に初めましての)リスナーに対して伝え続ける自己紹介ソングになっている。これこそ本来アルバムのオープニングトラックに選ばれて然るべきだったろうと思うのだが実際の1曲目は『On And On』だった。なぜ『Automatic Part Ⅱ』でなく『On And On』が選ばれたのか。確固たる情報は無いが、私個人は『This Is The One』制作時点で『In The Flesh』ツアーが計画されていたからだと推測している。2009だったか2010だったかは兎も角ね。『On And On』は“朝まで踊り明かそう”みたいなライブコンサートを“煽る”タイプの歌詞なので、アルバムの時点で既に擬似ライブ的な感触を持ってきたかったのではないだろうか。『Automatic Part Ⅱ』の自己紹介から始めるとあからさますぎるという見方もあったかもしれない。

いずれにせよ、繰り返しになるが、本来アルバムのオープニングではなかった筈の『Automatic』がオープニングになり、いかにもオープニング向きの『Automatic Part Ⅱ』がオープニングにならなかった、のもまた史実である。ものの見方次第で歴史の評価は変わるものなのだ。


…っとと、本来解説したかった筈の『SAKURAドロップス』の話がいちばん後回しになっちゃったな。明日気が変わっていなければ(笑)次回は『SAKURAドロップス』の話から。

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ヒカルのアルバムの曲順は基本的にプロデューサー陣の合議制で決められている節がある為曲作りの段階で「この曲をオープニングナンバーにしよう」とかは考慮していないと思われる。せいぜい作っている最中か作った後に「この曲がオープニングナンバーにはいいかもな」と感じる程度だろう。なので、1曲目だからとか最後の曲だからといってヒカルが何かを意図していると読み取るのは行き過ぎかもしれない。

しかしそれでも傾向というのは存在していましてですね。ヒカルのアルバムのオープニングは、リスナーに語り掛ける視点を入れる事が多いのだ。

視点というと曖昧だが、歌詞とその歌い手というのは大抵「姿の見えない誰か=君、あなた」に向けて歌われる事が多い。その人に対して私や僕が思いを綴る。しかしたまに歌手がこちらを向いて語り掛けてくることがある。「いきなりこっち見んな」ってヤツである。

『Wait & See ~リスク~』が好例だろう。途中まで『だから君が必要』とかまだ見ぬ君に歌い続けてたのに最後キーチェンジした途端『キーが高すぎるなら下げてもいいよ』と来たもんだ。いきなりこっちを向いて言葉を発するから吃驚する。『This Is Love』もそうだ。二人で朝まで朝からイチャイチャしてたと思ったら中間部で急に『あなたにもありませんか?』とこちらに話し掛けてくる。Utadaの『Opening』もそうである。『越えたいのはジャンルの間じゃなくてあなたと私の間なの』と。

他のパターンもある。主語が“You & I”でなくて“we”になるパターンだ。勿論「君と僕」のことだと捉える事も可能だがどこか私たちリスナーも巻き込んでいる雰囲気がある。『We fight the blues』と歌う『Fight The Blues』もそうだし、『Can we play a love song ?』と歌う『Play A Love Song』もだ。ヒカルの歌で主語が“we”になる曲は珍しい。


ご覧の通り、“リスナーを巻き込もうとする歌”を幾つか挙げたが、ことごとくがアルバムのオープニングナンバーなのだ。これは意図したのかどうか定かではないが、アルバムという長尺の世界観に引き込む為にはまずリスナーに語り掛けるところから出発してそこからのめり込んでいってもらおうという感覚がどこかにはたらいた感触は否めない。明確な意図というより「なんとなくこうなった」というか。兎に角、結果的にこうなっているのだ。

そうすると、そのパターンに当て嵌まらないようにみえる『Automatic』と『SAKURAドロップス』はどうなのか、という話からまた次回。

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