無意識日記
宇多田光 word:i_
 



さて気がつけば『Face My Fears』EPの発売まで1週間である。ツアー最終日にカップリング曲(という言葉を使えるのもCDシングルで発売されるお陰だが)である『誓い』と『Don't Think Twice』の2曲が先行でダウンロード販売&ストリーミングを開始してから1ヶ月。公式もいつものSONYストアイベントの告知をしてそろそろ盛り上げに掛かっている頃合が今なのだ。

リードトラックである『Face My Fears』の方も既に90秒のサンプルが公開されている。準備は万端、といったところだが、これ、ここからどういう盛り上がり方を見せるのだろうか?

ウェブで見ている感じだと「キングダムハーツ3」さんの方の期待度は随分上がっている気配で、ヒカルの楽曲もそれにつられて注目されているという雰囲気。やはり「キンハは宇多田でないと」という認識が大半を占めているようだ。最早ブランド。誠に結構。

しかし、これ、音楽市場の方では注目されているのかな? ヒカルのファンは勿論待ち侘びているだろうが、他のアーティストも聴く中で宇多田も気に入ってる、なんて人達には届いてるんだろうか。

どうもプロモーション態勢にそこらへんの“立ち位置”が見えないのである。キンハがプレステでもリリースされるというのでSONYな感じでプッシュされるのは大変宜しいのだが、ただ単に「歌を届ける」というその手法に関しては弱いのではないかと。まぁラスト1週間で追い上げたりするからこれからかもしれないけどね。

今回、10年ぶりのCDシングルリリースと初めての(純粋な)新曲ストリーミングスタートが同日になるというアナクロとモダンのハイブリッドな所に注目が集まる。いや、まぁ、集めるべき、かな。そこの認知度はわからないが、この収益の分布次第で今後のシングルリリースの形態も決まってくるだろう。CDシングルが売れればまた引き続き、となるかもしれないし、ストリーミングのせいで全体の収益が下がったと分析出来れば新曲のストリーミングは取り止めになるかもしれない。兎に角結果次第だ。

とは言ってみたものの、しかし、何れも厳しい。今回CDシングルがリリースできるのはキングダムハーツファンが関連グッズの一環として購入するのが期待できるからであって、邦楽ファンの購入はアテにされていない。このCDが売れたからといって即座に「じゃあ次も」とは言えない程度には特殊な1枚なのである。

ストリーミングからの撤退も厳しい。「流石にそれはみっともないよ」とヒカルなら言いそうだ。もう後戻りは出来ない、とみるのがおおまかなところだろう。一度新曲のストリーミングに踏み込んでしまえばもう今後総ての新曲は即日ストリーミングとなるのが自然な流れだ。そこに抗うのは若干未練がましい。

あとはアルバムが発売日当日にストリーミングされるかどうかなんだが、流石にそれを論じるのは時期尚早だな。

まぁ、先述の通り今回の結果を受けてからでいいでしょう。結構分水嶺になる発売な予感がしています。

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鍵は、そもそもリスナーが『それとこれとは関係ない』という歌詞自体に違和感を感じたかどうかなのだ。そのまますっと入ってきた人はそこまでの歌詞を「失恋してもめげない人なんだな」という風に受け取っている。そう受け取らなかった、或いは、他の含意を受け取っていた人が「この流れで突然それは何の話?」と戸惑うのだ。

そういう戸惑った人に対して捧げられる『それとこれとは関係ない』は、『Wait & See ~リスク~』の『キーが高すぎるなら下げてもいいよ』同様メタ歌詞として響く。リスクの歌を聴きながらその歌詞世界に没頭せず「宇多田の歌はキー高ぇな~」と思っていた人にほどダイレクトに届くというか。一方没頭していた人は「いきなりこっち見んな」になっていた事だろう。同じ歌詞でも受け取り方のスタンスの違いで大きく意味が変わる。『それとこれとは関係ない』もそういう風に扱われるべきセンテンスであると言っていい。

そして、このセンテンスはラストリフレインとして使われている以上、究極的には意味の要らない一節だ。『Laughter in the Dark Tour 2018』公演でもヒカルのキーボードのバックで延々繰り返されていたが、あそこまで繰り返されると人は言葉の意味なんて忘れてしまう。そのうちにそれは『ソレトコレトハカンケイナイ』というただの音節の塊へと捨象されていく。『震度6弱の地震』がヒカルにとって生命を脅かす暴虐ではななく『シンドロクジャクノジシン』という音の塊でしかないように、『ソレトコレトハカンケイナイ』もまた、恐らく、歌詞として採用された一番の理由は歌のラストリフレインとしての響きがよかったから、だろう。それが最優先となれば多少意味が通りにくいとしても作詞作曲兼業作家は真っ先に採用する。寧ろそれに合わせて無理矢理ストーリーを作り上げるところまである。それが作詞だと言ってもいいほどだ。これはただの歌だという事をまず頭に置いておかなければならないだろう。ただ言いたい事があるだけならメロディの呪縛に悩まされず詩集でも随筆でも執筆して出版すればいい。そっちの方がずっとよく伝わるだろう。些か暴論ではありますが。

なので、歌詞の内容に意味を求め過ぎるのもお互い苦しい。もしあなたが歌詞の意味がわからなくて悩み始めたのならまずその一節を口遊んでみることだ。それで心地よいと思えたらそれがそのセンテンスの存在理由である。そこまで深く考えなくても、伝わるべきは既に伝わっていたのだ。まずは歌を楽しむ所から。所詮、歌なんてものは総てが仕組まれ切っている訳ではない。何の意図もしていない無関係なもの同士に無理矢理意味を見出そうとしないこと。つまりそれこそが『それとこれとは関係ない』訳ですよ。おわかりですかな。あーやれやれ、これで少しはまとまったかな? 次回から他の話題に移ります。

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