あれ、明日で1月終わりなの? 儂30回も日記書いたっけな。書いたんだろうなきっと。書いてあるもの。(なんだこのオープニング禅問答)
『Face My Fears』のCDのブックレットを開いた時に最初に感じたのは「字ぃ小っさ!」だったが、次に感じたのは「『フェイス・マイ・フィアーズ』歌詞少なっ!『誓い』歌詞多っ!」だった。この2曲のわかりやすい差異である。
単純に考えていいのか不安になりつつも単純に考えてみると掛けた手間の違いがそのまま量に出たのかもしれない。『フェイス・マイ・フィアーズ』はアレンジは複雑だがメロディーの数は少ないし、そのメロディー自体にも捻りが少ない。あっちゃこっちゃに飛び火していく『誓い』のメロディーとは対照的だ。
勿論、だからといってクォリティーに差がある訳でもないのが面白い所。いつだったか『Apple And Cinnamon』は2時間程で作ったと言っていたが、同曲は『This Is The One』屈指の名曲である。時間を掛けていないだけあって例えばBメロの歌詞が単調な繰り返しのみになっていたりもするのだが、それが印象の好悪に影響する事は殆ど無かったのではないか。私が英語ネイティブでないからそう感じるだけかもわからないが。
もっと積極的に、情報量が少ないから聴きやすい、という側面もある。『誓い』は様々な感情が歌われていて勘繰り始めるとキリがないのだけれど『フェイス・マイ・フィアーズ』の歌詞は誤読するのが難しい位だ。あぁ、この人は勇気を出して恐怖と向き合い道なき道を、未知の道を歩むことを選んでるんだなという解釈以外にしようがない。
ここが、なんだろう、最近少なかった「聴いてホッとする」感覚を生んでいるように思う。最近の曲はといえば『真夏の通り雨』のように2つの異なる物語をひとつの詞で表現したり、『大空で抱きしめて』のように凝りに凝りまくった編曲で出だしと終局がまるで違う曲調になっていたりと確かに大いに感動するのだが本気で聞き込もうとすると体力を持って行かれる曲が多かった。
『フェイス・マイ・フィアーズ』はさらりと聴ける。そこがとてもいい。歌詞に重なる意味を繙かなくてもいいしアレンジも独創的だが案外濃厚に展開する訳でもなくあっさり終わる感じ。この、昂揚感だけ煽り立てておいて受け止めない流儀はゲームのオープニングにピッタリかもしれないと思わせる。ゲームやってないからわかんないけど、ただこの歌を聴くだけの人は盛り上がった感情の行き所を見つけにくいかもしれない。まぁその時は濃厚そのものの『誓い』を続けて聴けばいいので、この2曲はセットだと思っておいた方が精神衛生上正しいのかもわからない。
聴きやすいからといって情感が軽い訳でもなく、込められている感情は相変わらずとても強い。Skrillexのサウンドの賜物のような解釈も可能だが、私の耳には、例えば『BLUE』のような生まれたまんまのサウンドでも結構シリアスさをキープ出来る気がしている。その意味で、『残り香』のように、ヒカル単独の編曲による『フェイス・マイ・フィアーズ』も聴いてみたいのだが、現実にそれが聴けるとすれば2回後のツアーとかになるかなー。まだまだ先ですね。辛抱強く、待ちましょう。
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