市原悦子が亡くなったそうで。謹んでお悔やみ申し上げます。
昨年の常田富士男に続きTBS系アニメ「日本昔ばなし」の両翼双方がこれで喪われてしまった。若い方は御存知ないだろうが、当時キー局では土曜19時というゴールデンタイム中のゴールデンタイムに放送されていた当番組は声優たった2人で回すという暴挙的な構成だった。登場人物の男性側を常田が、女性側を市原がそれぞれ演じ分けるという言わば「2人落語」ともいうべき特異且つ不世出な名人芸を毎週繰り広げていたのだ。そんな番組をヒカルは幼少の頃に一心不乱に鑑賞して育った。
ヒカルの「日本昔ばなし」への熱の入れようは尋常ではなく、ダヌパもその洗礼を受けて育っていそうだが、それは間接的に我々へも影響を与えているだろう事が推察される。あそこまでの執着は、このアニメで日本語を覚えたとか、両親の仲が悪い時期に心の支えになっていたとか、特別な理由を妄想させる。それだけの体験がヒカルの作詞に影響を与えていない筈がなく、その遺伝子は隔世的に我々リスナーにも届いている筈なのだ。
今までその思い入れの理由をヒカルが詳細に語ったことはないけれど、常田が『BLUE』の朗読を披露した折のヒカルの轟沈ぶりはヒカルにとって常田が尾崎豊やフレディ・マーキュリーと並ぶカリスマ・ヒーローであった事を示唆している。普通じゃなかったもんなあれは。
市原もまたヒカルにとってヒーローであった事は想像に難くない。今現在彼女が「日本昔ばなし」のレギュラーをこなしていた訳ではないのだが、死はやはり一つの区切りになるだろう。恐らく今頃は虎の子の「日本昔ばなし」のDVD-BOXを引っ張り出してきて哀悼の意を捧げているのではないだろうか。惜しむらくは、生きているうちに市原にも常田と同じようにヒカルの歌の歌詞を朗読して貰いたかった事。本当、生きてるうちにやるべきことはやっておく、やって貰いたい事はやって貰っておきたいですわね。全部が全部という訳にはいかないかもしれないけれど、可能性が見えるなら見えているうちにですよ、えぇ。
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