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烏丸光広
手折りつるこの一枝に袖触れて
ゆくとも風に花をまかせし
写真は
烏丸光広の和歌短冊
烏丸光広
カラスマ ミツヒロだと思っていたが
ウィキペディアやコトバンクなどでは
からすまるみつひろ
からすま
でなく
カラスマルらしい
天正7(1579)~寛永15没(1638)
安土桃山時代~江戸時代初期の歌人,書家。
号,烏有子 (うゆうし) 。
従一位光宣の子。
宮廷人としての官職を歴任,
晩年は
権大納言正二位まで昇進。
和歌は
細川幽斎に師事,
古今伝授を受けた。
狂歌,俳諧,書画を好み,
特に書にすぐれる。
書は
初め青蓮院流を習い,
のち 30代から 40代なかば頃定家流を,
40代後半より光悦流を学び,
晩年に独自の書風を完成した。
俵屋宗達と交友し,
宗達の『蔦細道図屏風』などに
賛や奥書を記す。
著書は
歌文集『黄葉和歌集』 (1636) ,
歌論書『耳底記』 (02?) ,
仮名草子(02?) ,仮名草子『目覚草』 (25跋,49刊) など。
『仁勢物語 (にせものがたり) 』もその作かと伝える。
(コトバンクより)