村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

道こそなけれ思ひ入イる

2020-06-07 23:07:04 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号八十三
世の中よ
道こそなけれ思ひ入イる
山の奥にも
鹿ぞ鳴くなる
 皇太后宮大夫俊成コウタイゴウダユウ(83番)
『千載集』雑・1148

藤原 俊成フジワラノトシナリ
「しゅんぜい」と読むのは有職読み
平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。
藤原北家御子左流ミコヒダリリュウ、
権中納言・藤原俊忠の子。
はじめ勧修寺流カジュウジリュウ
・藤原顕頼アキヨリの猶子ユウシとなり顕広アキヒロを名乗ったが、
後に実家の御子左家に戻り、俊成と改名した。
法名は釈阿。
『千載和歌集センザイワカシュウ』の撰者として知られる。
建仁3年(1203年)後鳥羽院より九十賀宴を賜り、
鳩杖・法服等を贈られる。
歌風は「たかくすみたるを先として艶なるさまもあり」、
「やさしく艶に心も深くあはれなる所もありき」
と評されたように格調高く
深みのある余情美を特徴とし、
古歌や物語の情景・心情を歌に映し
奥行きの深い情趣を表現する本歌取や
本説取(物語取)などの技法を確立した。
歌合の判詞の中で用いた「幽玄」「艶」は、
歌道から能楽・茶道をはじめとする
日本の芸能に影響を与え、
中世を代表する美的理念となった。
また門下からは息子・定家をはじめ、
寂蓮・藤原家隆、後鳥羽院・九条良経・式子内親王
など優秀な歌人が輩出した、
(ウイキペディアヨリ)


写真は
先日コシチャンのお持たせ
ゼリーが五つ
さてどれを食べようかな
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