土曜日
今日もかたづけ
幼馴染のK君が
ゴミに捨てられない大ごみを
壊して捨ててくれるというので
お願いしたところ
すぐにきて自宅で小さくするという
頼んだのは
長い長い物干しざお
分解した本棚
押入れにあった押入れダンス
茶箱くらい大きな木箱
その木箱は
外は綺麗なふすまの紙が貼ってある
蓋を開けると
内側は
写経した用紙が貼ってあった
日付は平成元年
そのころ父親と祖母が続いて亡くなり
わが家と従姉の家では写経を毎日していた
願文は
一千万以上の宝くじに当たりますように
と
思わず噴き出した
25年前だ
みな若く
もっと元気だった
と懐かしい気持ちが湧き出るが
いやいや
それより先のこと
今日は
かたづけがまだ済まない
明日は
靖国神社へ茶会に行く
そう思って
すぐさま
大きな箱の蓋をした
藤原 敦忠(ふじわら の あつただ、
延喜6年(906年) - 天慶6年3月7日(943年4月18日))は、
平安時代中期の公家・歌人。
藤原北家、
左大臣・藤原時平の三男。
官位は従三位・権中納言。
三十六歌仙の一人。
通称は
枇杷中納言・本院中納言。
小倉百人一首では
権中納言敦忠。
天慶6年(943年)3月7日薨去。享年38。
美貌であり、和歌や管絃にも秀でていた。
『後撰和歌集』や『大和物語』などに、
雅子内親王(醍醐天皇皇女、伊勢斎宮)ほか
多くの女流歌人との贈答歌が残されている。
『後撰和歌集』(10首)以下の勅撰和歌集に30首入集。
家集に『敦忠集』がある。
小倉百人一首 43番
あひみてののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり
『拾遺和歌集』巻十二:恋二
《ウィキペディアより》
茶の湯・茶道ランキング
今日もかたづけ
幼馴染のK君が
ゴミに捨てられない大ごみを
壊して捨ててくれるというので
お願いしたところ
すぐにきて自宅で小さくするという
頼んだのは
長い長い物干しざお
分解した本棚
押入れにあった押入れダンス
茶箱くらい大きな木箱
その木箱は
外は綺麗なふすまの紙が貼ってある
蓋を開けると
内側は
写経した用紙が貼ってあった
日付は平成元年
そのころ父親と祖母が続いて亡くなり
わが家と従姉の家では写経を毎日していた
願文は
一千万以上の宝くじに当たりますように
と
思わず噴き出した
25年前だ
みな若く
もっと元気だった
と懐かしい気持ちが湧き出るが
いやいや
それより先のこと
今日は
かたづけがまだ済まない
明日は
靖国神社へ茶会に行く
そう思って
すぐさま
大きな箱の蓋をした
藤原 敦忠(ふじわら の あつただ、
延喜6年(906年) - 天慶6年3月7日(943年4月18日))は、
平安時代中期の公家・歌人。
藤原北家、
左大臣・藤原時平の三男。
官位は従三位・権中納言。
三十六歌仙の一人。
通称は
枇杷中納言・本院中納言。
小倉百人一首では
権中納言敦忠。
天慶6年(943年)3月7日薨去。享年38。
美貌であり、和歌や管絃にも秀でていた。
『後撰和歌集』や『大和物語』などに、
雅子内親王(醍醐天皇皇女、伊勢斎宮)ほか
多くの女流歌人との贈答歌が残されている。
『後撰和歌集』(10首)以下の勅撰和歌集に30首入集。
家集に『敦忠集』がある。
小倉百人一首 43番
あひみてののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり
『拾遺和歌集』巻十二:恋二
《ウィキペディアより》
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