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村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

小夜サヨふけて

2020-06-19 22:57:58 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号九十四
み吉野の
山の秋風小夜サヨふけて
ふるさと寒く
衣打つなり
 参議雅経サンギマサツネ
『新古今集』秋・483

参議雅経サンギマサツネは
飛鳥井 雅経アスカイマサツネのこと
平安末から鎌倉前期の公卿・歌人。
難波頼経ナンバヨリツネの次男。
二条または明日香井を号す。
官位は従三位・参議。
飛鳥井家の祖。
『新古今和歌集』撰者の一人。
飛鳥井流蹴鞠の祖。

写真は
日比谷の宝塚の角にあったので
撮った
外出するとたくさん写真が撮れる
今日は雨
低気圧で具合悪い
短歌を作り何もしなかった
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世の中は常にもがもな

2020-06-18 22:37:30 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号九十三
世の中は
常にもがもな
渚ナギサ漕ぐ
海人アマの小舟オブネの
綱手ツナデかなしも
 鎌倉右大臣カマクラウダイジン
『新勅撰集』羈旅・525

常にもがもな=
永遠に変わらないでいてほしいものだ

鎌倉右大臣カマクラウダイジンとは
源実朝ミナモトノサネトモのこと
源頼朝の次男、
兄の頼家が追放されると
12歳で征夷大将軍に就く。
武士として初めて右大臣に任ぜられるが、
その翌年に頼家の子公暁に暗殺された。
歌人としても知られ、
92首が勅撰和歌集に入集し、
家集として『金槐和歌集』がある。


たまたまテレビを見ていたら
昨日のレセゾンのシェフの
ティエリー・ヴォワザンが出ていた
よる8時からBS102の
BSスペシャル二時間もの
「人生は旅だ 料理も旅Ⅱ」
帝国ホテルのフランス人シェフ、
ティエリー・ヴォワザンが、
日本の食の神髄と考える「コメ」
そして「日本酒」を探求する旅に出る。
圧倒的な映像美で日本文化の深層に迫る。
との内容説明
普通だったらスルーした番組
シェフはテーブルに挨拶に来てくれたし
袖すり合うも多生の縁

写真は帝国ホテルの植込
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人こそ知らね乾く間もなし

2020-06-16 23:24:00 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号九十二
わが袖は
潮干シオヒに見えぬ
沖の石の
人こそ知らね
乾く間もなし
 二条院讃岐
『千載集』恋2・760

二条院讃岐ニジョウインサヌキ
平安末期から鎌倉前期の歌人。
女房三十六歌仙の一人。
父は源頼政ミナモトヨリマサ。
母は源斉頼ミナモトノマサヨリ又はナリヨリの娘。
同母兄に源仲綱ミナモトノナカツナ、
従姉妹に宜秋門院丹後ギシュウモンインタンゴ。
内讃岐、中宮讃岐とも。

歌番号92は
和泉式部の歌の
 わが袖は 
 水の下なる石なれや 
 人に知られで 
 かわく間もなし
を本歌取りしたものから
「沖の石の讃岐」と呼ばれた。

今日はなんの日かと
電話でサカチカさんに聞かれた
何だっけ
菓子の日だって

菓子の日とは
平安時代848年6月16日
仁明天皇が
16の数にちなんだ菓子を
神前に供え
疫病退散と
健康招福を祈願したという
この事を嘉祥カジョウといい
この故事に基づき
1979年(昭和54年)に
全国和菓子協会が制定した。

写真はサカチカさんが
虎屋で買ってきてくれた
嘉祥カジョウ菓子蒸羊羹
美味美味最高
日本の味だ
ご馳走様
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衣かたしきひとりかも寝む

2020-06-15 23:29:06 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号九十一
きりぎりす
鳴くや霜夜のさむしろに
衣かたしき
ひとりかも寝む
 後京極摂政前太政大臣
ゴキョウゴクセッショウサキノダショウダイジン
『新古今集』秋・518


後京極摂政前太政大臣は
九条 良経
クジョウヨシツネ
平安末期から鎌倉初期の公卿・歌人。
関白・九条兼実の次男。
官位は従一位・摂政、太政大臣。
九条家2代当主。
後京極殿と号した。
通称は
後京極摂政、中御門摂政。
和歌や書道、漢詩に優れた教養人だった。
特に書においては天才的で、
その書風は「後京極流」と呼ばれた。


今日は
まだまだ自粛生活中だが
流石に鬱々としだしたので
先のことを色々決めた
今週は水曜日に初めて友人と食事会
来週は火曜にお稽古
そして来月から
村雨庵のお茶のお稽古を
始める事にした
何も無いとツマラナイ
人参をぶら下げ
ちょっと先に楽しみをつくった
お喋りをしていないので
声が出ない
お謡のお稽古もしてないので
掠カスれている
さあ片づけよう
としても
時間ばかりかかる
それは歳のせい
なら嘆いても仕方ないね
自然の事なら良しと
しよう
写真は身の回りを片づけていたら
出てきた
キタムラの小さいケース
中は空っぽ
リップケースなのだが
使ったことがない
じゃあ捨てられるかというと
捨てられなぁいのだ
断捨離できないのは
性格に問題がある
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雄島オジマの蜑アマの袖だにも

2020-06-14 23:40:38 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号九十
見せばやな
雄島オジマの蜑アマの袖だにも
濡れにぞ濡れし色は変はらず
 殷富門院大輔インプモンインノタイフ
『千載集』恋・884

雄島オジマの蜑アマとは
宮城県松島の島の雄島オジマ
蜑アマとは
漁師のこと

殷富門院大輔インプモンインノタイフ
1131?-1200? 
平安後期-鎌倉時代の歌人。
藤原信成の娘。
殷富門院につかえる。俊恵の歌林苑の一員で,
西行らと交流した。
多作ぶりから「千首大輔」とよばれ,
「千載和歌集」以下の勅撰集に
63首がとられている。
建久3年門院にしたがい出家した。
正治(しょうじ)2年?死去。70歳?
家集に「殷富門院大輔集」。
(日本人名大辞典ヨリ)

写真は
昨日頂戴した自家製玉葱と
無農薬のオレンジ
間違いなく美味し嬉し
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玉の緒よ絶えなば絶えね

2020-06-13 23:48:52 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号八十九
玉の緒よ
絶えなば絶えね
ながらへば
忍ぶることの
よわりもぞする
 式子内親王ショクシナイシンノウ
『新古今集』恋一・1034

伝説では、
内親王と定家の噂が立ったため、
定家の父俊成が別れさせようと
定家の家にやってきた。
すると定家は留守で、
部屋に内親王自筆のこの歌が残されていた。
これを見た俊成は二人の想いの真剣さを感じて、
何も言わず帰ったという。

実際には
この歌は題詠であって、
内親王自身の気持ちを詠った
ものではないとされる。

能に「定家」がある
にわか雨を避けて雨宿りした場所は
定家が雨の風情を眺めるために
建てたといあ“時雨亭”だと女は言い
一行を式子内親王の墓に案内す
石塔を覆っている葛こそ
定家の執心
“定家葛テイカカズラ”だと
内親王と定家は
浮名が立ち会えぬまま
内親王が亡くなると
定家は内親王を恋い慕い鬘になったと
やがて法華経の功徳で葛が解け
内親王は自由になるが
最後はさてどうなる

今日は雨
エアコンが必要だ
箱のない花入に袋を縫ったが
採寸しなかったので
丈が少し小さくなった
失敗した
写真は
裁縫道具入れのひとつ
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みをつくしてや恋ひわたるべき

2020-06-12 22:17:33 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号八十八
難波江ナニワエの
芦のかりねのひとよゆゑ
みをつくしてや恋ひわたるべき
 皇嘉門院別当コウカモンインノベットウ
『千載集』恋三・807

皇嘉門院別当コウカモンインノベットウ
平安時代末期の女流歌人。
父は源俊隆ミナモトノトシタカ。
崇徳天皇の中宮
皇嘉門院コウカモンイン藤原聖子フジワラノセイシ
(摂政藤原忠通タダミチの娘)に仕えた。

今日は珍しく縫い物をした
頂いた大徳寺弁当が三つある
はじめは和紙に包まれて
ちゃんと紙箱に入っていたが
何れも傷み破棄
代わりに白絹で六枚袋を作り
箱と身を入れ
その三つを一緒にくるんで
棚に上げた
その昔
和裁を習っていた
洋裁も習っていた
どちらもちょっとの間だけだが
縫い物が好きだったようだ
糸を針に通すとき
ねじれを戻す為ピンピンと糸を弾く
これは今でも忘れない

写真は
ミーちゃんの昼寝
一階の壁は黄聚楽だが
二階は鶯色の聚楽壁だったこと
忘れてた



と読書
と昼寝
ほかには何もしなかったのに
一日過ぎた
うちのミーちゃんの昼寝
気持良さそう
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霧立ちのぼる秋の夕暮れ

2020-06-11 22:18:07 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号八十七
村雨の
露もまだひぬ槇の葉に
霧立ちのぼる
秋の夕暮れ
 寂蓮ジャクレン法師
『新古今集』秋・491

村雨庵はこの歌から採ったのではないが
親しみの湧く和歌だ
村雨は叢雨とも書く
意味は
群になって降る雨。
しきり強く降って来る雨。
にわか雨。
驟雨シュウウ。
白雨。
繁雨シバアメ。
まあ一時の雨
作者の寂蓮ジャクレン
平安末から鎌倉初期にかけての歌人、僧侶。
俗名は藤原定長。
叔父.藤原俊成の養子となった
30歳代で出家、歌道に精進した。
『新古今和歌集』の撰者となるが、
完成を待たず翌1202年(建仁2年)没した。
享年64。

今日は本の整理
福永武彦の「風のかたみ」
函装は
「三十六人家集」料紙復刻
田中親美とあった
捨てないでまた読んでみよう
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月やはものを思はする

2020-06-10 23:19:42 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号八十六
嘆けとて
月やはものを思はする
かこち顔なる
わが涙かな
 西行法師サイギョウホウシ

西行サイギョウ
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての
日本の武士であり、
僧侶、歌人でもある。
俗名は佐藤 義清サトウノリキヨ憲清、則清、範清とも記される。
出家して法号は円位、
後に西行、大本房、大宝房、大法房とも称す。
父は左衛門尉・佐藤康清、
母は監物・源清経女。
同母兄弟に仲清があり、
子に隆聖、
女子(単に西行の娘と呼ばれる)がある。
和歌は約2300首が伝わる。
 西行というと
西行桜
時雨西行
富士見西行
など思い浮かぶ

閉じ籠もってばかりで
写真がなかった
写真は6/8今週の月曜日
お謡のお稽古の帰りに買ったお弁当
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もの思ふ頃は明けやらで

2020-06-09 22:44:13 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号八十五
夜もすがら
もの思ふ頃は明けやらで
ねやのひまさへつれなかりけり
俊恵法師シュンエホウシ
『千載集』恋二・766

俊恵法師シュンエホウシ
平安時代末期の僧・歌人。
父は源俊頼。
母は橘敦隆の娘。
早くに東大寺の僧となる

白川の自坊を「歌林苑」と名付け、
そこに藤原清輔・源頼政・殷富門院大輔など
多くの歌人を集めてさかんに歌会・歌合を開催し、
衰えつつあった当時の歌壇に
大きな刺激を与えた。

鴨長明の師で、
その歌論は『無名抄』などにもみえる。
風景と心情が重なり合った
象徴的な美の世界や、
余情を重んじて、
多くを語らない
中世的なもの静かさが漂う世界を、
和歌のうえで表現しようとした。
同じく幽玄の美を著そうとした
藤原俊成とは事なる幽玄を確立したといえる。

写真は
原宿駅前の新複合施設「ウィズ原宿」
入場に整理券がいる
その前あたりにタクシー乗り場がある
きのうはそこから謡の稽古
喉はガラガラ
週に二回の茶の稽古もお休み
謡の自主稽古もしてない
ほとんど声を出していないからか
声が出ない
これも老化だろう
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道こそなけれ思ひ入イる

2020-06-07 23:07:04 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号八十三
世の中よ
道こそなけれ思ひ入イる
山の奥にも
鹿ぞ鳴くなる
 皇太后宮大夫俊成コウタイゴウダユウ(83番)
『千載集』雑・1148

藤原 俊成フジワラノトシナリ
「しゅんぜい」と読むのは有職読み
平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。
藤原北家御子左流ミコヒダリリュウ、
権中納言・藤原俊忠の子。
はじめ勧修寺流カジュウジリュウ
・藤原顕頼アキヨリの猶子ユウシとなり顕広アキヒロを名乗ったが、
後に実家の御子左家に戻り、俊成と改名した。
法名は釈阿。
『千載和歌集センザイワカシュウ』の撰者として知られる。
建仁3年(1203年)後鳥羽院より九十賀宴を賜り、
鳩杖・法服等を贈られる。
歌風は「たかくすみたるを先として艶なるさまもあり」、
「やさしく艶に心も深くあはれなる所もありき」
と評されたように格調高く
深みのある余情美を特徴とし、
古歌や物語の情景・心情を歌に映し
奥行きの深い情趣を表現する本歌取や
本説取(物語取)などの技法を確立した。
歌合の判詞の中で用いた「幽玄」「艶」は、
歌道から能楽・茶道をはじめとする
日本の芸能に影響を与え、
中世を代表する美的理念となった。
また門下からは息子・定家をはじめ、
寂蓮・藤原家隆、後鳥羽院・九条良経・式子内親王
など優秀な歌人が輩出した、
(ウイキペディアヨリ)


写真は
先日コシチャンのお持たせ
ゼリーが五つ
さてどれを食べようかな
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さても命はあるものを

2020-06-06 22:40:11 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号八十二
思ひわび
さても命はあるものを
憂ウきに堪タへぬは
涙なりけり
 道因法師ドウインホウシ
『千載集』恋3・817

藤原 敦頼フジワラノアツヨリ
平安時代後期の貴族・歌人・僧。
藤原北家勧修寺流、正三位・藤原惟憲フジワラノコレノリの曾孫。
治部丞・藤原清孝の子。
官位は従五位上・右馬助。法名は道因。

出家の身ではあったが、
歌道に志が深く、
たいへん執着していた。
七、八十歳の老年になってまでも
「私にどうぞ秀歌を詠ませてください」
と祈るために、
大坂の住吉大社までわざわざ徒歩で、
毎月参詣していたという。
実際の歌会のときも、
とくに講師の席の近くに座って、
歌の講評をひと言も
聞き漏らすまいとするような態度で
耳を傾けていた。
(ウイキペディアヨリ)

今日は
鰹のタタキ
カツオの叩きが食べたい
茶事のときいつも使う魚屋
妹に買ってきて貰った
炙って食べた
満足

写真は
ナガタン姫からの葉書
色鉛筆で書いたのだろうか
繊細で綺麗
嬉しい
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ほととぎす鳴きつる方を眺むれば

2020-06-05 23:56:59 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号八十一
ほととぎす
鳴きつる方を眺むれば
ただ有明の月ぞ残れる
 後徳大寺左大臣ゴトクダイジサダイジン
『千載集』夏・161

藤原実定フジワラノサネサダのこと
平安時代後期から
鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。
藤原定家のいとこ

武野紹鴎は今井宗及を招き
始めて古筆を掛けた
定家筆の小倉色紙
藤原定家の『詠歌大概』が
わび茶の理念と合致することに
紹鴎が感銘したゆえに だとのこと 

写真は6/1に撮ったもの
JR原宿駅前のビル
新複合施設「ウィズ原宿」
2020年6月5日(金)にオープン
とテレビで見た
順次、全14店舗を開業するらしい
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乱れて今朝ケサは

2020-06-04 21:46:49 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号八十
長からむ
心も知らず黒髪の
乱れて今朝は
ものをこそ思へ
 待賢門院堀河
『千載集』恋三・802

待賢門院堀河タイケンモンインノホリカワ
平安時代後期の歌人。
女房三十六歌仙・中古六歌仙の一人。
前斎院六条とも。
白河院皇女、二条大宮令子内親王に出仕、
六条と呼ばれた。
後に鳥羽天皇の中宮・待賢門院藤原璋子に出仕し、
堀川と呼ばれる。


写真は
東京の日本橋人形町のハマヤの
富貴豆
クマショウさんが久しぶりに買いに行ったのよ
と持ってきてくれた
夕ご飯で食べたが
お菓子だ
美味しい
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影のさやけさ

2020-06-03 23:41:00 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号七十九
秋風に
たなびく雲の絶え間より
もれ出づる月の
影のさやけさ
 左京大夫顕輔サキョウノダイブアキスケ
『新古今集』秋・413

藤原 顕輔フジワラノアキスケ
平安時代後期の公家・歌人。
修理大夫・藤原顕季フジワラノアキスエの三男。
官位は正三位・左京大夫。
六条と号す。
六条藤家2代。

外出しないと写真がない
なので
写真は月曜に出かけた原宿の珈琲屋
お昼はこれ
パンがふんわか
美味しかった
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