寒水を飲みはなちたる柄杓かな 蛇笏
今年の
小寒は1月6日
大寒は1月20日
今まさに寒中
というわけだ
今日は朝日カルチャーの講座へ
寝坊してのろのろ九時に起きた
始まりは10時半なので
急いで身支度
朝ごはんにお餅を焼き二つ食べて
駅まで早足で歩く
お陰さまで
歩いて行けるほど
元気になった
写真は初釜の風炉先
四君子の絵
上部に賛がある
四時佳興花、有人生亦愉
四季それぞれの花には
こころよい趣
人生も又その時々の楽しみが有る
てな
ところか
落款は読めない
道具畳には紹鴎棚
天板に自作の冊子と筆を飾った
ラルースのことばを愛す
〝わたくしはあらゆる風に載りて種蒔く〟
篠弘
今日は朝日カルチャー
12月もあとわずかだ
銘の隅田川とは何か
謡曲「隅田川」に登場する梅若丸は
京都の北白川の吉田の何某の一人子で、
人商人にさらわれて東国へ下り、
武蔵国隅田川のほとりで病死した稚児。
東京都墨田区の木母寺(もくぼじ)に
その遺跡と称するものがある。
この梅若伝説をもとに浄瑠璃、歌舞伎、仮名草子、読本など
いわゆる隅田川物が作られた。
という
くれなゐのこころの闇の冬日かな 蛇笏
今日は古筆のお勉強
向かう電車の中で
いとこのKEIKOちゃんから
電話がかかってきた
「後でね」と
家に帰ってから電話をした
「お歳暮の品が届いたけど
おととい届いたお歳暮と一緒だったわよ
なんで二回届いたのかしら」と
それは私が夜中にお歳暮を送るから
ぷちっとする時に
間違えてしまい
二回も送ってしまったのでしょう
たぶんね
KEIKOちゃんから今年は
甘い洋菓子セットのとても大きな箱が届いた
もっと太ればという意味かと、
メールをすると
「そうです」との返信
私からは瓶に入った
おかずの色々セットしたものを
高島屋から送った
いつもスマホでお歳暮の手配をする
サクサクと決めてぷちっと決定する
大体二十箇所に送るから
1日ではやりきれず
何とか二 三日で終えた
私の間違いはあるだろう
高島屋の注文履歴を一つずつ見かえす
KEIKOちゃんあてにお歳暮を送っている
なんと なんと
その回数は三回もあった
そのうち二回は
瓶詰めの同じものを送ってる
そのほかに
三回めのお歳暮は
豆のお菓子詰め合わせ
これはまだ着いてなく
品物もあまり記憶がない
二回も同じ人からお歳暮が届いたら
大丈夫かしらと思うだろう
でも三回目もあったら
完全に疑問でなく
決定だ
大丈夫でない人だ
幸い外の人でなくて
いとこだったから良かったけど
でも
話題不足の為ここに書いたから
おとぼけが
ばれてしまった
とほほ
そうです
私め とほほのこの頃です
与謝野晶子
冬の空針もて彫りし絵のやうに星きらめきて風の声する
昨日は
風姿花伝と南方録のお勉強
いずれも深く難しい
でも予習復習はないので
その時間を集中すれば
勉強した気分になる
ただし教室を出るとすっかり忘れてしまうけれど
今日の午前中は美容院
鏡の中の先生とお喋りする
「この前タクシーに乗ってサカチカさんとお喋りしてたら、
車中ではお静かにお願いしますと言われて
驚いた」
と言うと。
「僕も電車の中で静かにと言われたことがある。
そんなときでも、
けして逆らわないことだね。
無駄なエネルギーは使わないほうがいいよ」
と
「はい。わかりました」
出光美術館では「この絵のここが素敵ね」など
ちょっとでも話すと
すぐお静かに と言われる
先日行った
丸の内の静嘉堂文庫美術館でも
お静かにといわれた
たぶんホントにうるさいのだろう
気を付けます
源俊頼
都には
忘られにける
身なれども
寒さばかりは
訪ね来にけり
源 俊頼
ミナモトノトシヨリ
平安時代後期の貴族・歌人。
宇多源氏、大納言・源経信の三男。
極位極官は従四位上・木工頭。
今日は読売カルチャー
朝のうちは雨が降ってたらしい
玄関のドアをあけると
木戸までずっと落葉がいっぱい落ちている
それも濡れ落葉
敷石にへばり付いている
カルチャーから戻ると
又増えた落葉を掃除
け
紅葉も木蓮もまだ枝に残ってる
ちょっと木を動かして散らせようとしたが
葉っぱは落ちず
枝葉に残った雨粒がダダダと頭に落ちてきた
バカだね
源信明
ふるさとの
こずゑの紅葉
散りはてて
おのがちりぢり
なるぞかなしき
源信明
ミナモトノ サネアキラ
910-970
平安時代中期の官吏,歌人。
延喜10年生まれ。
源公忠の子。
若狭,陸奥などの国守を歴任。
従四位下。
父とともに三十六歌仙にかぞえられ,
勅撰集には「後撰和歌集」以下に23首はいっている。
家集「信明集」に中務との贈答歌がおおい。
天禄元年死去。61歳。
(日本人名大辞典ヨリ)
今日は朝日カルチャーへ
薩摩焼は
旧島津藩、薩摩、大隅で焼成された陶磁器の総称
慶長三年1598
島津義弘に従って帰化した陶工の
金海(星山仲次)・芳仲・朴平意・芳珍などによって
鹿児島付近に築かれた。
薩摩焼は、
複雑・多岐にわたるが、
竪野系・龍門司系・苗代川系の三系統にわけられる。
(角川茶道大辞典ヨリ)
写真は
帰りに用事があって行った
有楽町の交通会館付近
空が青い
慈円
高砂の
をのへの紅葉
散りにけり
とやまのあらし
音のさやけき
最近の大河の鎌倉殿の13人に
慈円が出てるね
写真は
山手線の電車
たまたま電車が来たらNetflixの電車だった
カッコいい
写真写真を撮らねばと
焦ると
人が入ってしまった
でも撮りなおす
時間の余裕はないので
残念ながら
こんな感じ
今日は古筆のお勉強
古いもので良いもの
久しぶりに
うっとり
秘すれば花なり、
秘せずは花なるべからず
今日は風姿花伝の勉強
風姿花伝は
世阿弥が
室町中期(1400年頃)著した
日本最古の能楽書。
その存在は殆ど知られていなかったが、
明治42年(1909年)に吉田東伍が学会に発表した。
それまでは奈良金春宗家の相伝「秘伝書」。
1.風姿花伝第一 「年来稽古条々」
2.風姿花伝第二 「物学条々」
3.風姿花伝第三 「問答条々」
4.風姿花伝第四 「神儀云」
5.第五 「奥義云」
6.花伝第六 「花修云」 7.花伝第七 「別紙口伝」
今日は第二の物学条々
ものまねじょうじょう
まだまだ先がある
一茶
茶の花に隠れんぼする雀かな
今日は
朝日カルチャーの
崩し字を読む講座へ
教材は
漢字仮名混じりの
調度手本(今川了俊教訓)
八条宮智仁親王筆
調度手本とは
華麗な料紙に能書家が
筆した書道のお手本。
室内を飾る調度品という機能もあり、
貴族の子弟が手習いを始める際の
贈り物などにも用いられた。
写真は金曜日の茶会の
辻留のお弁当
向付と煮物椀が付いた
源実朝
神無月
木の葉ふりにし山里は
時雨にまがふ
松の風かな
11月になった
今日は読売カルチャー
茶話指月集 チャワシゲツシュウの受講
茶道の逸話を集めた茶書。
宗旦四天王の1人藤村庸軒。
その女婿久須美疎安が
義父の庸軒から聞いた茶話をまとめたもの。
逸話集では最初の版行茶書。
1701年(元禄14)に出版。
利休、宗旦の逸話が七十数話。
元禄時代(1688~1704)は
茶道人口の増加があり
数寄雑談のための参考書として版行された。
と
今日は利休と秀吉の有名な朝顔の逸話
朝顔が咲いた利休屋敷に秀吉がお茶に来る
と
床の間の花入の朝顔以外は
すべて切ってしまった
という
このはなしから
茶庭には花咲くものは
植えないことになった
とも
写真は土曜日のふくもとのお料理
煮物椀の松茸
いいね
風寒し破れ障子の神無月
山崎宗鑑
今日は朝日カルチャー
茶の世界
名残の取り合わせのお話し
掛けものは山崎宗鑑の短冊
山崎宗鑑
ヤマザキソウカン
?-? 室町-戦国時代の連歌師,俳人。
山城(京都府)の山崎にすんだので,その名でよばれる。
はじめ宗祇ソウギらと連歌をつくる。
滑稽機知の句風にむかい,
俳諧撰集「犬筑波集」を編集。
宗長,荒木田守武らとまじわり,
俳諧創始者のひとりとされた。
宗鑑流の書でも知られる。
出自,経歴などには諸説あり,
天文8年(1539)または9年に77-86歳で没したという。
宗鑑はいづくへ行くと人問はば
ちとようありてあの世へといへ(辞世)
それともうひとつ
和漢朗詠集の漢詩と雁の絵の画賛の掛軸
四五朶シゴダの山の
雨に粧ヨソホへる色
両三行の雁の
雲に点ずる秋
杜荀鶴
◇訳:眼前にそびえる四つ五つの山の峰は、秋の雨に木々が紅葉して、いま化粧したばかりのようにあでやかです。二列三列と列をなして飛んでいく雁は、秋の雲のあいだに点を打ったようです。
源実朝
玉だれのこすのひまもる秋風に
妹こひしらに身にぞしみける
今日は渋谷へ
茶入の窯分の勉強をしたが
難しい
①古瀬戸
②真中古
2代藤四郎の作。
橋姫手、野田手、小川手。
③金華山
3代藤次郎の作。
飛鳥川(あすかがわ)手、広沢手。
④破風窯
4代藤四郎の作。
翁手、渋紙手、玉川手。
⑤後窯
利休・織部・遠州の時代に
瀬戸や京物で焼かれた茶入で、
宗伯(そうはく)、
正意(しょうい)、
茶臼屋(ちゃうすや)、
万右衛門(まんえもん)、
新兵衛(しんべえ)、
吉兵衛、
茂右衛門(もえもん)。
写真は渋谷駅
駅前は工事をしていて
足元が悪い
何もないのにつまずく
転ばないようにしなければ
今日は朝日カルチャー
横浜駅ビルの八階で
駅から近い
帰りは崎陽軒でお弁当を買う
はじめは焼売弁当を買い支払いしよう思ったら
ハマスタ応援弁当というのが目についた
横浜スタジアムとこの売場のみ販売とか
焼売弁当はキャンセルして
それに変更した
美味し
和漢朗詠集 とは
ワカンロウエイシュウ
平安時代中期の歌謡集。
『倭漢朗詠集』とも書く。
藤原公任 撰。
2巻。
長和2 (1013) 年頃成立。
当時貴族や女房たちに朗詠されていた
漢詩文の詩句や章句をもとに,
和歌を合せて分類配列したもので,
藤原教通を婿にしたときの引出物として編纂したと伝えられる。
詩句,章句 588首,和歌 216首を
上巻四季部 39項,
下巻雑部 30項に分類するが,
勅撰和歌集や中国の類書の部立にならっている。
中国人の作品では白楽天 (白居易) のものが圧倒的に多く,
大江維時の『千載佳句』を資料にしている。
日本人のものでは
菅原文時や大江朝綱ら菅江両家を中心とする
翰林 (かんりん) の詩人の作が多い。
和歌は『古今和歌集』から『拾遺和歌集』にいたる
代表的歌人のものが多い。
艶麗優雅な作品が多いのは
当時の宮廷貴族の美意識を示すものといえる。
本書の詩句,章句は
朗詠によって広い階層に浸透していくとともに
中世の軍記物語や謡曲
などの詞章に引用されて
仮名文学にも大きな影響を及ぼし,
新しい和漢混交文の成立に貢献した。
(ブリタニカ国際大百科てく事典 )
写真は若いお友達が送ってくれた
今日は十三夜
秋雨や
我菅簑ワガスゲミノは
まだ濡らさじ
蕪村
今日は水曜日
茶杓は
三十代後半に求めたもの。
昔から良く使った
藪内流の六代比老斎作。
銘はむしくひ。
現在は何代かとたずねられても、
藪内流のこと、あまり知らなかった。
藪内の流祖は
藪内剣仲紹智。
「紹」の一字は武野紹鷗からもらったもの
最晩年の弟子。
紹鷗の道具も伝えられてる。
兄弟子千利休の勧めで、
大徳寺の春屋和尚に参禅し、
文禄四年(1596)春屋宗園より「剣仲」の道号。
剣仲は利休及び古田織部との親交が深く、
利休から茶室「雲脚」を、
織部から茶室「燕庵」と露地・表門等賜る。
初代:剣仲紹智(藪中斎)1536-1627
2代:真翁紹智(月心軒)1577-1655
3代:剣翁紹智(雲脚亭)1603-1674
4代:剣渓紹智(蕉雪斎)1654-1712
5代:竹心紹智(不住斎)1678-1745
6代:竹陰紹智(比老斎)1727-1800
7代:竹翁紹智(桂陰斎)1774-1846
8代:竹猗紹智(真々斎)1792-1869
9代:竹露紹智(宝林斎)1811-1874
10代:竹翠紹智(休々斎)1840-1917
11代:竹窓紹智(透月斎)1865-1942
12代:竹風紹智(猗々斎)1905-1979
13代:竹中紹智(青々斎)1925~
慈円ジエン
樫カシの葉の
もみじぬからに
ちりつもる
奥山寺の
道のさびしき
今日は読売カルチャーへ
茶話指月集を読む
上記の和歌は
桑山左近が宗易へ
「露地のしつらいよう如何」
との問いの答えで
茶話指月集に載っている
茶話指月集は久須美踈庵の作
久須美疎安クスミソアン
1636~1728
江戸中期の茶人。
千宗旦の弟子藤村庸軒の女婿。
名は小兵衛。
洗竹庵,鷯巣などと号した。
京都上京新在家の人。
のち鴨東の岡崎に住し,
石河自安,京極高広(安智)らと共に
岡崎三隠士と呼ばれた。
茶を宗旦,庸軒に学んだので,
宗旦門下ともされる。
元禄14(1701)年,
庸軒による
宗旦からの聞き書きを主とした
『茶話指月集』を板行。
茶の湯の逸話集としては比較的早い成立。
庸軒の茶道具を彷彿させる手作りの茶碗,
茶杓などが残るが,
数は少ない
(コトバンクヨリ)
さる田舎の侘が
茶道具を買って欲しいと利休に金一両渡す
利休はそれで白布を買った
「侘は何なくても茶巾だけ綺麗になれば茶はのめるとぞいいやりける」
この有名な話しは茶話指月集にあったのか
一両は今だと十三万円くらいだとか
とんでもない量の布が来る
実際問題として考えられないが。
,利休は柚の色づくを見て、
口切を催し。
古織は樅モミのわか葉の出ずる頃、
風炉の茶湯よしと申された。
あと少しで風炉の季節も終わる
来年の袱紗など茶道具をのカタログが来ると
もう来年の準備もせねば。
まさに時間に煽られているかのようだ。
写真は地下鉄の築地市場を出たところ。
地上の街路樹が木槿で、種類も色々、
盛りを過ぎた感はぬぐえずも、
ポツポツ花を咲かせてる。