藤原定家
影ひたす
水さへ色ぞ
みどりなる
よものこずゑの
おなじ若葉に
よも→【四方】
東西南北の四つの方向。
転じて、まわり。諸方。
歌仙絵とは、
優れた歌人の和歌と
その肖像を表わした
やまと絵の一つです。
平安時代中期、
藤原公任キントウが編んだ『三十六人撰』にもとづく「三十六歌仙絵」、
鎌倉時代前期、
後鳥羽院が編んだ
『時代不同歌合』にもとづく「時代不同歌合絵」などがある。
今日は○○研究会
お昼を食べてないので
駅近くのパン屋カフェで
サンドイッチと珈琲のセット
あっという間に食べ
時間に間に合うように
向かう
写真は
渋谷のスクランブル交差点
若山牧水
いつしかに
春は暮れけり
こころまた
さびしきままに
はつ夏に入る
今日は朝日カルチャーの
「くずし字の読み方」の講座へ出かける
今日読んだのは十巻本歌合の和歌の二首
十巻本歌合は
日本最初の歌合集成。
仁和年間から天喜4年に至る
約170年間の46度の歌合を収める。
平安時代中期に編纂された。
企画は藤原頼通。
源経信が編纂。
全46度の歌合のうち、
38が完存、
6が部分的に残り、
2が散逸した。
一日中 風が強かった
昨日は能登半島で
大きな地震があり不安な塊が
自分のどこかに住み着いたような感じ
でもでも
食欲はあるから
大丈夫
大丈夫
写真は横浜そごうの
イートイン
たいめいけん
完食
満腹
若山牧水
森出でて
あをき五月の
太陽を
見上ぐる額の
なにぞ重きや
今日は読売カルチャー
茶話指月集の勉強
宗易が、盛阿弥に、
棗は漆の滓カスをまぜて
ざっとぬれ、
中次は念を入れて
真にぬれ、
といいし。
記三・与三が棗は、
塗りみごとすぎて
おもくれたり。
中次は秀次・藤重を
よしとす。
と今日の「茶話指月集」にあった。
木戸から玄関までの
ほんの何メートルか
歩くのに邪魔する
伸びた枝葉を切る
大きな袋に二袋
よみ人しらず
さつきまつ花たちばなの香をかげば
昔の人の袖の香ぞする
今日は四月の晦日
明日からは五月だ
○○研究会 今月二度目の受講
そして三年ぶりの講義を受ける
再開は教科書の一番はじめから勉強する
先生の講義があり
その後
会員が教科書を読んでいく
本を読み上げるのを聞いていると
だんだん教科書に集中して
雑念が消える
先生の仰っていることが
自然に染み込む気がする
その教科書とは
「茶碗の基礎知識」
確か二冊持っているはず
家中 探しに探した
こっちとあっちの本棚
無かった
他のありそうなところを探したが無い
出てこない
見つからない
あきらめて
日本の古本屋で買った
それが今日 何気なく
先生のところの棚の片隅に
置いてあった
ここか
いくら探してもなかったはずだ
そういえば思い出した
重たい本なので
特別に置かせて頂いてあった事を
すっかり忘れていた
三年ぶりにあった会員たちと
それぞれ笑顔で
簡単に挨拶をするのも
嬉しい
写真は浜離宮
拂水柳花千萬點
隔樓鶯舌兩三聲 元稹
低翅沙鷗潮落曉
亂絲野馬草深春 菅丞相
人無更少時須惜
年不常春酒莫空 小野篁
劉白若知今日好
應言此處不言何 源順
いたづらに 過ぐる月日は 思かれど
花見て暮す 春ぞすくなき 藤原興風
今日は
四月末だが
今日は薄ら寒い
3年ぶりに再開した○○研究会へ
かつて行きなれた道を歩く
途中の家々の様子が変わっている
三年の間の変化だ
写真は帰りに寄った
いつものイタリアン
ちょいのみセットとパスタ
調子にのってちょいのみなんて頼んだが
西行
ませにさく花にむつれて飛ぶ蝶の
羨しきもはかなかりけり
ませ→間狭(ませ)、籬垣(ませがき)
今日は勉強会
駅で待ち合わせ
お昼をまだ食べてないので
近くのモスバーガーへ入った
注文をするのに言葉で直接言えず
今どきは画面に打ち込むのか
店内かお持ち帰りか
店内を選ぶ
品物を選んで決定
支払方法を選び決定
次に
番号を打ち込む画面
そこでハタと止まった
戻るを押してやり直し
それを何度かするのだが
わからない
一緒のA子さんが教えてくれた
右横に置いてある番号札を手に取り
その番号を打ち込むのだと
なるほど
すると最後まで進み
注文が通ったようだ
写真はその品物
内容はわからずじまいで
適当なセットを押した結果のハンバーガーセット
焦って食べたので
美味しいがなんの味かわからず
味覚も衰え始めたかしらん
煮て食ふか
はた焼いてくふか
春の魚
夏目漱石
今日は
読売カルチャーの講座へ
場所は横浜そごうの9階
横浜駅改札口を出ると
人がいっぱいで
今までで一番多い感じ
平日なのに
春休みだからか も
今日も茶話指月集を勉強した
なんとか上巻をの「修了した
一人では必ず挫折するだろう
来月は
下巻から始まる
ガンバろう
佐川田昌俊サカワダマサトシ
吉野山はな待つ頃の朝な朝な
心にかかる夢の白雲
今日は朝日カルチャーへ
先生の講義を拝聴する
四規七則のお話し
四規は和敬清寂
七則は
茶は服ふくのよきように、
炭すみは湯の沸わくように、
夏は涼すずしく冬は暖あたたかに、
花は野にあるように、
刻限は早めに、
降ふらずとも雨の用意、
相客あいきゃくに心せよ
やさしく説明をしてくださる
おっしゃることは
至極尤も
その通り
なるべく
そのように
励みましょう
写真は近所のチューリップ
満開だ
莟ツボミとはなれもしらずよ蕗フキのとう 蕪村
今日は
読売のカルチャースクール
茶話指月集チャワシゲツシュウ
1701年(元禄一年)、
久須見疎安(1636~1728年)が
義父 藤村庸軒からの聞書きの形で
出版された逸話集。
藤村庸軒は、
千 宗旦門下の四天王の1人。
利休没後100年余りを経て、
その茶を説話によって伝えようとした書であり、
本編に当たる茶話部分と、
久須見疎安による茶道具名物記の二部。
利休を中心に秀吉、宗旦、古田織部など
江戸時代初期のまでを中心に。
昔の本には昔の言葉が出てくる。
鳥柴
と‐しば【▽鳥×柴】
鷹狩りの獲物を人に贈るとき、
その鳥を結びつけた木。
初めは柴につけたが、
のち季節に応じて松・梅・桜・楓かえでなどの枝を用いた。
鳥付け柴。とりしば。
というわけで
手土産のことだと知った
啓蟄や雲のあなたの春の雲 楸邨
加藤楸邨カトウシュウソン
俳人。
東京生れ。東京高師卒。
水原秋桜子に師事し,《馬酔木(あしび)》に参加。
のち《寒雷》を創刊主宰。
生活に即した人間感情をうたい,
中村草田男らとともに人間探究派と呼ばれた。
今日は
朝早く起きて築地へ
九時少し前に築地市場駅に到着
土曜日だから混んでる
観光客ばかりで歩けない
みんな早起きだ
すいてる道を選んで
家に戻ってから朝ごはんだ
午後は
朝日カルチャー
トイレの前で先生と遭遇
変なところで会いましたね
とバレンタインのお返しを頂戴した
どこでも
問題はない
お勉強のあとはパーマ屋さん
結果いつもより
くるくるになった
そのうち伸びるから
いいや
写真は乗った大江戸線の車内
機関車トーマスに囲まれた
「子育て応援スペース」
与謝野晶子
あかしやに
柔き芽をはこび来る
二月の雨の
白き足もと
乾燥してる
雨が降らないから喉も肌も声もカラカラ
今日は読売カルチャー
小座敷に衝上ツキアゲ窓をつけたのは
北向道陳。
床の寸法を
四尺三寸に縮めたのは
道庵だったが、
利休もそれをよしとして、
その通りにした。
また灰匙も
昔は竹に土器カワラケなどをさしはさめるを、
道庵は
金にして柄をつけた。
利休は
それを飯杓子のようだとわらったが、
のちに利休も金に柄をつけた。
と
茶話指月集にあった
利休様を倣ナラって
良いところは
ためらわず取り入れよう
写真の猫は○離宮の猫
紀 貫之
袖ひちて
むすびし水の
こぼれるを
春立つけふの
風やとくらん
今日は立春
朝日カルチャーの
くずし字入門
住吉物語を読んだ
【住吉物語】
鎌倉初期の物語。
2巻。作者・成立年未詳。
源氏物語・枕草子に名がみえるが、
現存の物語は改作といわれる。
中納言の姫君は継母の悪計を避けて
住吉の尼のもとに身を寄せるが、
長谷観音の利益で少将と結ばれる。
継子ままこいじめの物語の代表作。
絵巻にも作られる
詞書コトバガキのところを
ほんのわずかだが読んだ
お勉強は午後1時から
その前に大江戸線で築地へ
かつおぶしを買った
土曜日のせいか
歩けないほど混んでた
今日は読売カルチャー
茶話指月集の千鳥の香炉の話し
香炉の足三つのうち
ひとつが一分
とは3ミリ
長い事を奥さんの宗恩が気が付き
利休も同じく思って
長い足を切った
蒲生氏郷と細川幽斎が利休に招かれ
茶事が終わったあと
蒲生が千鳥の香炉を見せて欲しいというと
利休は不機嫌になり千鳥の香炉を転ばした
そこで幽斎は千鳥の香炉を清見潟の和歌の心にや
というと
利休は穏やかになったという
清見潟の和歌
清見がた
雲もまがれぬ浪のうえに
月のくまなる
むら千鳥かな
快覚法師
小夜更くる
ままに汀や氷るらん
遠ざかり行く
志賀の浦浪
快覚 カイカク
生没年未詳
生年は治安二年(1022)かという。
中宮大進従五位下藤原保相の子。
母は式部卿為平親王家女房(陽明本勘物)。
三井寺の阿闍梨。
頼豪の弟子で、延久五年(1073)伝法灌頂を受けた。
勅撰集入集歌は後拾遺集の1首のみ。
今日は金曜日
外の蛇口から水出して
朝止める
蛇口は凍らないが
水甕ミズガメは凍っていた
寒いはずだ
もう悩まないでお弟子様
水指の蓋をあけるのは何手か
真の点前は前
行の点前は客付
草の点前は勝手付
いずれもつまみは右手でとり
置く手は近い方の手で置く
紙釜敷を胸に入れる時
わさはどっち
釜を置くその方向に
わさを向かせて
胸に入れれば
炉風炉本勝手逆勝手
何でも使える
初炭の羽と火箸を置くときは
炉でも風炉でも
羽が上座
炭斗を炉また風炉の
右に置くときは
炭斗の炭は
いつもの組み方で
左側に置くときは
左右に逆に炭斗に炭を組む
そして炭をつぐのは
本勝手逆勝手でも関係なし
すべていつもと同じ
灰をまくのも同じまき方
それから茶杓や茶入薄器は
水気のある方
流しに持っていかない事
棚に乗せた茶碗の正面は
ちゃんと意識して
よそ向かないようにね
点前で建水を持ち出すときは
ぶら下げないで水平に
茶碗に仕込んだ茶杓は
持ち出したら絶対触らない直さない
お弟子様
宜しくね
奥伝のメモを整理してると
喉が渇いて、飲み物がほしくなった
熱い珈琲を入れてクッキーをむしゃむしゃ食べると
もう動く気にならない
ただただボーッとしていたい
でも
さっきの続きをしないと終わらない
さてさて自分のメモで確認
自分の文字なのに
何と書いてあるかが
読めない
しばらく眺めて考えると
何とか読めた
点前に二通りあり
と
なんと
寒菊や古風ののこる硯箱 其角
其角 キカク
(1661―1707)
江戸中期の俳人。
芭蕉門の高弟。
寛文元年7月17日江戸に生まれる。
父は本多藩の医師。
榎本氏、のちに宝井氏を名のる。
14、15歳ごろ芭蕉門に入る。
23歳、俳諧集『虚栗(みなしぐり)』刊行(1683)。
翌年、京坂への旅に出、西鶴をはじめ多くの他門の知己も得て、
幅広い芭蕉門作家として活躍。
1694年(元禄7)上方への旅に出て、
偶然にも芭蕉の他界の前日、
大坂の病床に参じえて、
葬儀万端を済ませ、
追悼俳諧・俳文集『枯尾華(かれおばな)』を刊行。
豪放闊達、大酒、また遊里の作品も多い反面、
情に厚い。
宝永4年2月30日没。
今日は金曜日
午後から朝日カルチャーへ行く
そして帰りには美容院へ行く予定
午後からなので、
午前中はゆっくりと
金曜日のゴミ出しと
ゆっくり朝食
あとはテレビをボーッと見てたら
気がつくと時間はお昼近い
早く行かないと朝日カルチャーに遅刻する
駅ではなぜか電車が遅れて
中々来ず
結局遅刻だ
ボーッとしてたら駄目。