馬から布袋様が転げ落ちている
それを馬が見ている
愉快な絵だ
絵の筆者は狩野尚信カノウナオノブ
探幽の弟だ
F先生が掛物を御覧になるとすぐ
「松花堂かなぁ」と仰った
いえ
「尚信です」
「そうか尚信ね、尚信は松花堂の絵の先生だからやはり似てるね」との事
そうでしたか
知らなかった
狩野尚信は
探幽の画風に多くを学びつつも、
そこから一歩踏み出し、
探幽以上に湿潤な墨調をもち、
次男という自由な立場故か、
余白や構図にも探幽を超える
大胆さを垣間見せる作品が残っている。
大和絵の白描技法を水墨画の人物描写に応用し、
漢画の和様化に寄与した。
近衛家熙は『槐記』のなかで、
古今に超絶したものだと高く評価している。
一方、金碧障壁画の着色作品は、
対象を単純化しようとする傾向が見られ、
探幽が
金碧画の中にも和様化を目指したのに対し、
尚信は
装飾化へ向かおうとしたようである。
ただし、尚信の代表作には障壁画以外に
濃彩画が残っておらず、
尚信は着色金碧画には余り興味を持たなかったようだ。
探幽の弟子・木村探元著の『三暁庵雑志』では、
「探幽絵などとは違い、別て筆ずくなに書し画にて候」と評し、
不出来な作品は破り捨てていたため寡作だったという。
実際、現存する尚信の作品は多くはない。
江戸時代には探幽と同じくらい人気があり、
反面作品数は少ないため、
しばしば贋作が作られるほどだった。
《ウィキペディアより》
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