哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

共鳴運動のシンボル→語

2008年06月30日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Caravaggio_john

実際、皆が勘違いすることで、言葉の意味は、変わっていきます。たとえば「キリギリス」という語は、古くはコオロギを指していたのに、いつのまにか、キリギリスのことになってしまった。それでも、ふつうの人は全然困らないわけです。

人間が身体運動をする。あるいは物質に運動を加える。仲間どうし、集団でその身体運動を共鳴させる。つまり、皆がいっせいに、その身体運動のイメージを感じる。脳の運動形成回路が、その運動を組み立て、そのイメージ信号が脳の各部に配布される。それがその運動のシンボルに結びついていく。(拙稿の見解では)共鳴できるその運動、その状況、その物質現象、の脳内シミュレーションに対応させるシンボルとしての音節列が語です。

拝読サイト:キリギリス

拝読サイト:シンボルとインスタンスの違い ???

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言語の作られ方

2008年06月29日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

往来の通行なども、最初にたまたま、左側に寄る人が多かったら、その後ずっと左側に寄ることと決まってしまう。東京のエスカレーターがそれですね。日本全国、大阪を除いてほとんど左寄りらしい。ちなみに大阪は右寄り、ニューヨークもロンドンも右寄りです。

さて、人間の言語の場合、それぞれの民族言語の設計者、つまり最初にその語彙と文法を作った人は、エスカレーターの乗り方の場合と同じく、歴史に残らない無名のだれかさんでしょう。音節列で語を作って、それで何かを意味したい場合、音節の配列は、どう決めてもよい。「あいあかう」といって、それが、空腹だという意味でもよい。代わりに、「はんぐり」といってそれが空腹という意味にしてもよい。「ひもじい」といって空腹をあらわしてもよい。最初は、何でもよいから決めればよい。言葉を使う皆が、その音節列が何を指すかという知識を共有すれば、それでよいわけです。

拝読サイト:エスカレーターの右空けはなぜ?|社長ブログ|プロフェッサ(東京都/港区)

拝読サイト:完全攻略夫婦別姓論-マルクス主義フェミニズムの構造と射程(中)

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半群⇔仮想運動

2008年06月28日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Caravaggio_jerome

言語は、有限な音節を直列に連結して作られる。たとえば日本語は五十くらいの音節の並び方で表現される。「あだだ」とか、「あいあかう」とか、語はいくらでも作れる。いくつかの語をつなげると、また語になる。たとえば、「あだだあいあかう」も語です。末尾に「。」をつけた語は文と呼ばれる。「あだだあいあかう。」は文です。

数学で半群と呼ばれるこの構造は、実質上、無限の語や文を作り出せる。自然界のDNAも、コンピュータのプログラムも半群の構造を持っています。少数の記号を一列に並べて無限の表現を作り出すには、この半群構造が便利だからでしょう。自然言語も、コンピュータのプログラム言語も、DNA配列の遺伝情報も、記号列を操作に対応させる。つまり、ある記号列が読み取られると、それに特有な機械的操作が起こる。昔のオルゴールや、自動工作機械の制御テープも、こうなっています。DNAの記号列は、細胞で製造されるたんぱく質の種類を指定する。

人間の言語では、(拙稿の見解では)語や文は、脳内シミュレーションによる仮想運動の種類を指定する。コンピュータプログラムでは、記号列は、論理回路が行う演算の種類を指定する。ただし、DNA配列と違って人間の語やコンピュータプログラムは、記号列と行為との対応関係が恣意的です(一九一三年 フェルディナン・ド・ソシュール『一般言語学講義』)。つまり最初は、その言語の設計者が、記号列と行為との対応関係を勝手に決めてかまわない。

拝読サイト:蟹工船

拝読サイト:ゲームのたのしさとは?

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言語の規則は美しい

2008年06月27日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

言語能力は人類共通のものである、という仮説(たとえば一九九四年 スティーブン・ピンカー言語本能」)は、現代、広く受け入れられている。日本語を話すか、中国語を話すか、とかかわりなく、人間の脳は言語を操るための、同じひとつの仕組みを持っている。

人類の言語の規則は簡単です。現在、地球上には数千の自然言語があるが、いずれも、数十個の要素からなる音声、あるいは文字(あるいは手話の単位)を一列に並べて表わされる。音声も文字も言語ごとに違う伝統的な決まりごとにしたがって、一列に並べられる。どの順番で並べるかで、意味が作られる。並べ方の規則が、語彙文法です。この規則も言語ごとにすこしずつ違うが、その基本構造は同じです。形式的には、数少ない有限個の単位要素から構成される美しい構造を持っている。どこの国の言葉でも、それが書かれた文章を紙に印刷してみてください。伝統的な日本語の書き方ならば縦書きです。最近は、急に横書きが多くなっている。外国の文は、ほとんど横書きです。いずれにしても、一列に並んでいって、 紙の幅に制約されて折り返す。ながめてみると、模様として美しい絵柄になっている。まったく知らない国の言葉でもインテリアとして壁紙に使えそうでしょう?

拝読サイト:バイリンガル

拝読サイト:夏目漱石 「こころ」 - 縦書き

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外国語はスポーツ?

2008年06月26日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Caravaggio_fortune_teller

外国のレストランで次のような光景にであったとしましょう。テーブルの上に料理が並べられている。それを指差して「xxxx」と、何か外国語で言っている人がいます。何かを言いたいらしい、とは分かっても、それが「料理」なのか「食べもの」なのか「昼食」なのか「食べろ」なのか「食べてはいけない」なのか「私のおごりだ」なのか「昼食代はあとで請求する」なのか、言葉の意味はまったく分かりません。どうすれば、言葉が通じるようになるのでしょうか?

「○○語旅行会話」という本を携帯していて、言われた外国語の文が載っているページを、急いで探せばよいのでしょうか? それでは、とても間に合わない。ページをめくっている間に、ウェイターが来て、テーブルの上を片付けてしまうでしょうね。外国語を、辞書を引きながらいちいち日本語に翻訳しているようでは、実際の会話には役立たない。最近性能がよくなったといわれる電子翻訳機を使っても、実際、なかなかうまくはいきません。

外国語を本当にマスターするためには、やはり、二年なり三年なりの時間をかけて、その言語を使っている人々と毎日の生活をともにして、あらゆる場面での言葉の使われ方を経験するしかない。言葉の意味は、人間の動作、人間と物との相互関係、身体の周りに現れる物質現象への注目と操作、それが引き起こす仮想運動の集団的な共鳴、それに連携する音声の発声と聞き取りの学習による。つまり、その言語を使う人間集団内でそれら脳活動が共鳴するシステムを、スポーツのように身体運動シミュレーションとして習得し共有することで、それを使いこなせるようになる。

拝読サイト:炸裂ラホール 後編

拝読サイト:子供達の成長が人より早い

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