この物質世界に、物質ではない心は存在しません。人間の脳の奥にあるように思える、私たちにはどうしても分かりきれない気がする神秘的な、心、というものは、存在感だけがあって、実は存在しない錯覚というべきものでしょう。
脳の中心にあって、物事を感じ、脳の中から指令を出して身体を動かしている心、という考えは、だれもが常識と思い込んでいるものですが、それは人間だれもが共有している錯覚です。人体という物質は、ただの物質であって、ただ物質の法則にしたがって変化していく。それを心の働きだと見ることは錯覚です。そういうものが確かにあるかのように錯覚する能力が、人類には備わっている。それは進化の結果、獲得したすばらしい能力です。その錯覚を作る能力が、言語を作り出し、社会を成り立たせ、人類の大繁栄を実現しました。だから今生きている私たちは、はっきりとお互いの心を感じることができるのです。
心はなぜあるのか、これがその答えです。
人の心というものは、その人を観察する観察者の脳の中に発生する錯覚を組み合わせて作られた、人間の社会形成のための便利な道具にすぎない。ただしそれは、私たち現生人類がこの世を生き抜いていくために、もっとも大事な道具なのです。
(サブテーマ:心はなぜあるのか? end)
(次回からは、サブテーマ:意識はなぜあるのか?)