哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

塞翁が馬について end

2017年11月09日 | yyy59塞翁が馬について


マッチが燃えている間は幸福だが、それは束の間だろう、という思い。逆に不運のどん底でもいつか良い日が来る、という思い。どちらも、その根拠は実はなにもありませんが、理由もなく、私たちはそう思う。その思いが物語を作り、占いを作り、人生論を作り、明日の希望を作っています。逆にそうするしかない。そういうような身体が私たちだからでしょう。■








(59塞翁が馬について end)



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秋の夜長はやっぱり海外ドラマかしらと気づいた話




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J.ハリソン『プライムたちの夜』




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救いなんかない

2017年11月08日 | yyy59塞翁が馬について


悲惨な人生に救いなんかない。幻想があるだけだ、という怖い物語。たとえば人生の幸福はマッチが燃える間だけで、一瞬に消えてしまう(一八四五年 ハンス・クリスチャン・アンデルセン「マッチ売りの少女Den Lille Pige med Svovlstikkerne」)という童話。これが童話として子供に語られているのは、なぜでしょうか?







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井戸の茶碗②



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家庭内ストックホルムシンドローム



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ぞっとするものが

2017年11月07日 | yyy59塞翁が馬について


たしかに私たちが好む小説、ドラマ、物語は皆そうなっています。まず作者がそう思っているからです。そうでない作者がいた場合、ちょっとぞっとするものが見えてしまいます。







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ゾッとする!!昔の自分を見てるよう・・



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ピン抜けたけど、足をかばう癖が抜けない



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占いも人生もドラマも同じもの

2017年11月06日 | yyy59塞翁が馬について


人間万事塞翁が馬。占いの話でもあり、運勢の話でもあり、人生のドラマでもある。本来、占いも運勢も人生もドラマも小説も、同じものなのでしょう。私たちは自分の人生をこの(塞翁のエピソードの)ようなものとして見ている。成功があり挫折がある。しかし最後にはなんとか、救いもあるだろう。









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羽生の肉球w



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「DCスーパーヒーローズvs鷹の爪団」:笑えます。最高です。



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人間はこれができない

2017年11月04日 | yyy59塞翁が馬について


しかし、人間はこれができない。これができる者は人間ではありません。言葉をしゃべらず、仲間の空気を読まない。人間として生きていない(拙稿22章「私にはなぜ私の人生があるのか」)ということになります。












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「私のことを見て!」と叫んでいるのでは?



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考えるということ



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