哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

仲間の視線が作る私

2010年05月31日 | xx2私にはなぜ私の人生があるのか

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拙稿の見解では、むしろ「動物はくしゃみやあくびやよだれのような反射運動の組み合わせで行動する。人間も同じように、くしゃみやあくびやよだれのような反射運動の組み合わせで(思考し、また)行動する」とするほうが科学的でしょう。そこから、なぜ理性的行動に見える動きができてくるのか、それは、正直に言って、まだ科学ではよく分かっていません。

これに関して拙稿の見解を述べれば、人間は、仲間の視座から見て客観的に予測できる世界を現実として感じ取って、その中に自分の行為を予測して客観的に見る機構を持っているところが他の動物との違いを生んでいる(拙稿19章「私はここにいる―私と世界とのいかがわしい関係」)。

拝読ブログ:空想と現実の間で・・・・・悩み事

拝読ブログ:あいたり ひらいたり

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人類特殊論批判

2010年05月30日 | xx2私にはなぜ私の人生があるのか

人類の前頭葉が大きいのは事実ですが、その働きが他の動物とどう違うのか、あまりよく分かっていない。まず人間の身体が、他の動物の身体とそれほど違うという根拠がない。身体の見かけは確かに違って見えますが、その造りは他の動物、特に哺乳類の共通の造りからあまり違わない。

自動車にたとえれば、バスとスポーツカーは見かけはだいぶ違うけれども、同じような機械部品を同じように組み合わせて作られていて、同じ仕組みで動く。人間も他の哺乳類に比べて、二本脚で歩くとか、脚が長いとか、体毛が少ないとか、顎が小さいとか、見かけはだいぶ違うといえば違うが、つまりは身体部品のプロポーションが違うくらいのものです。

だからおおざっぱにいえば、人間以外の動物も人間も(拙稿の見解では)ほとんど同じ仕組みで動くようになっているはずです。動物共通の動き方のその詳細な(神経活動の)仕組みは、現代科学でも、まだよく分からない。分からないけれども、人間だけ違うという理由はないわけです。

拝読ブログ:人は人体でなくても好きになるか?

拝読ブログ:絶滅した奇妙な動物 川崎悟司著

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本能とは何か?

2010年05月29日 | xx2私にはなぜ私の人生があるのか

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右のような言い方をすると「なんだ。それではまるで、本能だけで動いている動物のようじゃないか。人間は動物と違って理性があるから、考えて動いているのだ」という反論が来そうです。だが、それって、本当にそうなのですか? と拙稿としては聞き返してみたい。

「動物は本能で行動する。人間は前頭葉が発達しているから理性で行動する」という理論が昔から当然のように言われています。筆者はこの理論を疑っています。そもそも本能とは何か、理性とは何か、だれもが何となく分かっているように思っていますが、実は(拙稿の見解では)科学としては、さっぱり分かっていない(二〇〇五年 マーク・ブランバーグ『基礎的本能:動の創生(邦訳:本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源)。そもそも、本能というものは存在するのか? 理性というものは存在するのか? そこからして怪しい。

拝読ブログ:529

拝読ブログ:実践性における「知ること」

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人生・くしゃみ・あくび・よだれ

2010年05月28日 | xx2私にはなぜ私の人生があるのか

哲学を科学から考える立場をとっている拙稿としては、この考え方を進めてみたい。すなわち「人生保持機構の働きは、動物の反射運動と同じ仕組みの神経系活動の組み合わせで構成されている」と言ってみたい。

このような考え方は世間常識とはだいぶ違っています。科学者の間では、ある程度の賛成が得られるとは思いますが、まだまだ確立された理論ではない。しかしここでは議論を分かりやすくするために、仮に、言い切った形で書いてみましょう。

つまり、私たちが自分の人生を考えて、何年も先のことである結婚や就職や出世や資産形成のために、毎日学校に行ったり友達と付き合いを切らさないようにしたり勉強したり身体を鍛えたりダイエットしたりアルバイトしたり貯金したりするのは、実は、熟慮した結論としてそれが正しい行動だと分かったからそうしているということではない。むしろ私たちのこれらの行動は、理論とはあまり関係なく、動物がくしゃみをしたり、あくびをしたり、よだれをたらしたりするのと同じような自動的な反射の組み合わせで身体が動いてしまうことから起こっている。私たちは、私たちの身体がいつの間にかそう動いてしまうのを見て、私たちは自分の人生を考えた結果このようなことをしているのだ、と思い込んでいる。

拝読ブログ:猫のあくび

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思考や行動は反射運動

2010年05月27日 | xx2私にはなぜ私の人生があるのか

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人類がかように繁栄しているという事実からみれば、人生保持機構が働くことで、少なくとも、そういう機構がない(何とか原人など)他の原始人類に負けないような仕掛けになっていたはずです。ということは、人生保持機構が、動物としての人類の生存繁殖を促進するように進化発展してきたから、と考えるべきでしょう。

つまり、私たちが自分の人生の問題として結婚や職業や社会的地位を求めて悩んだり努力したりすることは、動物としての生殖行動の一種として行われている。ところが、動物の生殖機構はすべて、それぞれの生存環境に適応するように進化した反射運動の組み合わせで構成されている。人間も動物の一種にすぎないとする考えをとれば、私たちが悩んだり努力したりしている思考や行動は、動物として適応進化した反射運動の組み合わせで構成されている、ということになります。

拝読ブログ:乳児期と幼児期の思考の違いについて  

拝読ブログ: 歳を取ると羞恥心がなくなる、という言い訳は誤り

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