哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

哲学の終りの始まり

2006年10月31日 | 1哲学はなぜ間違うのか

とにかく哲学は最高の学問でした。優秀な若者は皆、哲学者を目指したそうです。逆に哲学を勉強していれば、優秀な若者だと思われたわけですね。

しかし筆者が高校生になったころ、一九六〇年代はもう科学の時代でした。一九六一年には、人類で始めて宇宙を飛んだソ連の宇宙飛行士が「地球は青かった」と言いました。一九六九年にはアメリカの宇宙飛行士が月の地面を歩いていました。そのころから世界中の生化学者はもうDNAの研究を始めていました。それでもまだ、哲学はなにか科学では解明できないもの、人生の深遠なもの、を代表する学問と思われていました。今から思うと、その頃が、哲学の終りの始まりだったのですね。

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ドクター・オブ・フィロソフィー

2006年10月29日 | 1哲学はなぜ間違うのか

ほんの百年くらい前まで、哲学は一番かっこいい学問でした。諸学問の女王と呼ばれていました。実際、当時、すべての学問は、哲学から分かれて作られたことになっていたのです。今でも英語では、どの学問でも博士のことをPhD,つまりドクター・オブ・フィロソフィーと言います。じゃあ、哲学の博士は何と言うか? ドクター・オブ・フィロソフィー・イン・フィロソフィーと言います。

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閑話休題

2006年10月25日 | 0プロローグ

Hatena02

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運動・感覚の共鳴と共感

2006年10月22日 | 0プロローグ

拙稿では、それを人間集団の中での運動・感覚の共鳴と共感などをヒントにして論じていきます。筆者の興味の一つは、このような新しい科学の進展によって将来、人間どうしの不完全な相互理解を改善できる可能性です。もしそれが可能ならば、人類の心は、遠い未来のいつか、文字通りひとつになっていくのかもしれません。 

それがどのように予想できるのか、現在の私たちには、もちろんはっきり分かりません。全知全能で全裸のハテナも、両手を開いて「???」とにっこり笑うだけで、何も答えてくれません。それは現在、誰が予想してもきっと間違うでしょう。

それでも筆者は、それについて考えてみようと思います。

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物質と精神

2006年10月20日 | 0プロローグ

もちろん、哲学の科学などという学問が現在あるわけではありません。筆者が今ちょっと思いついて言ってみただけです。

けれども楽観的に考えれば、これから数十年の科学の発展に支えられて、本当に、哲学の科学、のようなものが発展するかもしれません。それは哲学を変えると同時に科学自身の根っこをも変えていきます。現在の科学の根底になっている冷たい客観的物質世界を掘り返し、根をずっと深く人間個人の熱い身体感覚の中に下ろすでしょう。そこから、旧来の哲学が分裂させてしまった二つの世界、つまり物質と精神、を一つのものとしてつかみなおすことができるかもしれません。

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