哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

私はなぜ顔を洗うのか end

2018年12月02日 | yyy65私はなぜ顔を洗うのか


今朝、私は洗面所で顔を洗ったはずだが、はっきりとは覚えていない。シャツはどこにしまってあるか、などと考えていたらしい。しかし、ひげをそりながら、この顔で外出しておかしくないか、とも、うっすらと、考えていたのでしょう。かすかに、そういう記憶があります。■



(65 私はなぜ顔を洗うのか end)







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科学として記述される日を期待

2018年12月01日 | yyy65私はなぜ顔を洗うのか


このように、方法論も確定しておらず、ひどくアプローチのむずかしい問題は、正面から攻めるよりも、時間をかけてでも、外堀の下を掘ったり、埋め戻したりして攻める方法がしばしば功を奏するようです。そのような回り道を使ってでも、いつか拙稿がいう自我意識の存在論が科学として記述される日を期待して本章を終えます。







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人類最大の謎を呼ぶ

2018年11月30日 | yyy65私はなぜ顔を洗うのか


私達自身がこれは主観的なものでしかないと分かってはいても、かなり強烈な存在感があると感じられる自我意識や激痛や神や悪魔などは他の人にも分かるはずだ、分かってほしい、客観的な存在のようなものではないか、と思いたくなります。その気持が人類最大の謎を呼んでしまう。科学者も人間である以上、必ずこれに巻き込まれてしまいます(拙稿34章「この世に神秘はない」)。







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心身二元論と絡み合う

2018年11月29日 | yyy65私はなぜ顔を洗うのか


いまひとつ、自我意識の存在問題が科学の対象として図式化できていないことの大きな原因は、これが伝統的哲学の心身二元論と絡み合うからです(拙稿14章「人類最大の謎」)。







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デカルト心身二元論の適当な解釈



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11月28日、
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掴みがたい精神的領域

2018年11月28日 | yyy65私はなぜ顔を洗うのか


近年、研究者の層が厚くなってきている脳神経科学、認知心理学などでは自我概念や記憶のメカニズムなどの解明を目指して種々の最新技法が開発されていますが、まだまだ実証科学の対象としては掴みがたい精神的領域でありつづけています。








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